ホワイト企業転職したつもりがそこは思いがけぬ職場でした(写真:Kazpon / PIXTA)

大手企業に転職した。給与も高く、残業もない。福利厚生も充実し、会社の家賃補助で都内の高級マンションに家族と暮らした。

周りの人にも「いい会社に入ったね!」と羨ましがられ、生き生きと仕事をしながら、順調にキャリアを重ねていけそうな気がする。

しかし、いざ働き出すと、想像していた業務と大きく違う。会社のルールに馴染めない。面接では、「新しい風を吹かせてほしい」と言われたはずが、弱風さえ吹かすことができない。次第に増していく違和感。自分は道を間違えたのか――。

今回ご紹介するのは、現在外資系IT企業で働く安斎さん(仮名、30代)。自身の転職経験をもとにした知見をTwitterで「転職デビル」として発信し支持を集めている。

その安斎さんは、新卒でメーカーに勤務し、20代で海外駐在員を経験した。その後、転職をしながらキャリアアップを図るつもりだった安斎さんだが、2社目では予想外の展開になったという。一体、何があったのか。

初めての転職活動で50社受けたものの…

「決して一流大学ではなかった」と語る安斎さん。今後、仕事をするうえで武器が必要だと、大学時代は英語と中国語の2カ国語を必死に学んだ。社会人になる頃には、仕事で使えるレベルまで上達したという。

新卒でメーカーに就職し、20代後半で中国へ海外駐在員の辞令が出た。学生の頃から海外への憧れがあった安斎さんにとって、念願叶ってと思いきや、少々複雑だったと語る。

「その会社では、初めて駐在した国がその後の専門になる可能性が高かったんです。中国語を真剣に学びましたが、中華圏のビジネスに特化したかったわけではなく、アメリカやイギリス、シンガポールなど、英語を使ったキャリアを希望していて。ちょっと自分が望む方向性とは違うと思いました」

中国に異動して4カ月目に入った頃、別の会社に移ろうと気持ちを決めた。

初めての転職活動は、予想以上に苦戦したという。1社目と近い業界や職種に絞り、50社ほど応募したものの、ほとんど書類選考で落ちてしまった。

その中で面接までたどり着いたのは4社。当時はオンライン面接がほとんどなかったため、面接が決まれば、そのたびに上海から日本に帰国して、面接が終わればとんぼ返りで上海に戻った。その結果、1社から内定をもらうことができた。それも、多くの人が知っている有名な大企業だ。

「やっと決まったと思いました。これでまた新しい道が開けるだろうって安堵しましたね」しかし、安堵が落胆に変わるのに、そう時間はかからなかった。

会社にこもって「エクセルの単純作業」という地獄

安斎さんの新しい配属先は、海外営業部だった。前職も近い部署だったため、多少の違いはあっても、大きく内容は変わらないだろうとイメージしていた。1社目では、外部との交渉や販促物の企画、営業予算の作成や、業界で活躍している人にインタビューをするなど、自ら足を使って積極的に動き回った。多忙ながらやりがいがあった。

しかし、転職した2社目では、会社から外に出ることはまずなかった。

「上司から言われた会議資料をパワーポイントでひたすら作るか、エクセルで作業することがほとんどでした。特別高度な技術を求められるわけでもなく、出荷情報の内容をAからBに淡々とコピペ(コピー&ペースト)するのみ。アナログなやり方なので5時間くらい掛かりますが、マクロを組むとか、設定を変えればすぐに終わる仕事でした」

それでも、安斎さんなりに少しでも資料を見やすくしようとフォントを変えたり、設定を見直そうとしたら、「勝手なことをするな」と怒られたという。ほかにも、業務改善を提案したり、新しい意見を言おうものなら、「口で言うのは簡単」「そんなことできるわけない」と一蹴された。

「外の新しい風を取り入れたい、気づいたことがあったら何でも言ってねって口では言うものの、実際新しい風なんて求めてないし、改善も期待していない。意見の内容がいい悪いは関係なくて、今までと同じやり方、みんなと同じでいることがそこでは正義なんだと思いました」

「それに、10歳上の先輩も自分と同じ仕事をしている姿を見て、自分が若いからこの仕事をしているわけじゃないんだなって気づいて。このままだと、今までのキャリアが無駄になってしまう。せっかく必死に勉強してきたのに、使い物にならない人材になってしまうんじゃないかって不安になりましたね」

飲み会こそが「人事評価の場」

会社の飲み会も独特だった。入社して間もなく安斎さんの歓迎会が開かれた。主役だった手前、2次会までは参加。3次会にも誘われたが、すでに深夜2時を回っていたため、その日は挨拶をして帰宅した。すると、翌日に上司から個室に呼びだされた。

「ちょっとさぁ、飲み会はコミュニケーションなんだから。みんな、君が新しく入ったから歓迎しようと思って先輩たちも集まってくれたのに。うちの会社は見ての通り、ルーティンワークがメインだから、よっぽどじゃない限り仕事では差がつかないの。仕事で差をつけようなんて無理だし、誰がやっても一緒だから。この会社で出世したいとか、海外駐在したいとか、バリバリ働きたいと思ったら、飲み会しかないんです」

入社1週間目の衝撃的な出来事だった。

その後も会社の飲み会は月に10日程度あったが、とても居心地がいいとは言えなかったという。宴会芸を強いる上司。「脱げ!」と言われたらその場で脱がざるをえない空気。「一気飲み」を張り切ってコールする人たち。

さらに新人は、その場で今の目標を宣言させられる。仕事の目標を掲げる人もいれば、「今年は絶対彼女作ります!!」と自ら一気飲みをし、「いいぞ!いいぞ!」と上司が喜ぶ。

「飲み会は、いわゆる人事評価の場なんです。上司にいかに面白いやつだと思わせるか。上司に気に入られるか。もちろんそれもある程度はわかります。でも、度が過ぎているというか、飲み会にかける比重が高すぎて……」

酒が進むにつれて下ネタが飛び交い、女子社員へのセクハラが平然と行われた。2次会が終われば、男性社員だけでキャバクラか、いかがわしいと言われる店に行くコースが多かった。

会社の飲み会がすべて悪なわけではない。あえて偉い上司がいる場に連れて行ってくれて、会話をする場を設けてくれた先輩もいた。

しかし、大半は異様な空気の中で酒を飲み、最後まで付き合わないと翌日個室に呼ばれたりするシステムだ。

そもそも、”一気飲み”はいまだに残る文化なのか。服を脱いだら盛り上がるのは伝統か。そしてセクハラは――。昭和の話ではない。すべてここ数年前の話だ。

昼休みの過ごし方にもルールがあった。昼休みは12時〜13時だが、前の会議が11時58分に終わって外に出たら、「2分早いけど、外出届は出したのか」と先輩がすっ飛んできた。

そもそもランチは同じ部の、同じ島のメンバーでいく暗黙のルールがあった。「さっきまで仕事をしていたメンバーと、同じエレベーターに乗って、同じ食堂で食べるんです。場所が仕事部屋から食堂に変わっただけですね」。

日に日に居心地の悪さは増すばかり。はじめは、「慣れたら大丈夫」と自分に言い聞かせた。しかし、休日になっても会社のことが頭から離れなくなり、徐々に限界を感じてきたという。

「かなり苦労して転職活動をしたのに、いざ入ってみたら全然想像と違って。その葛藤がつらかったです」

もうこの会社には長くはいられない。転職して3カ月経った頃、再び会社を変えようと心に決めた。

次第に干されて…

転職する覚悟が決まると、安斎さんの行動も変化した。

まず、ランチは1人で外に出た。飲み会は、送別会など部で開催するような大きな飲み会以外は参加するのをやめた。

初めは、「どうしてみんなと一緒に行かないのか?」と、周りから散々言われたが、すでに転職する覚悟を決めていた安斎さん。何を言われても右から左に言葉が抜けた。

次第に飲み会に呼ばれなくなり、送別会など部をあげた飲み会に参加しても、安斎さんに話しかけてくる人はほぼいなくなった。遠くの席で、新人が先輩にチヤホヤされる姿をボンヤリ眺めながら時間が過ぎるのを待った。

「干されましたね。仕事は滞りなくやったつもりですが、あいつは飲み会にも来ないとんでもないやつだ。飲み会に来ない=仕事ができないといった扱いを受けて、みんなから疎まれていたと思います」

まるで、劣等生の気分だったという。

再びの転職活動。不安もあったが、それでも1社目から2社目に転職した際、会社には不満があっても「内定をもらえた」ことは自信に繋がったという。時間が掛かっても、どうにかなるだろう思ったそうだ。

2社目に入って3カ月目には再び転職活動をスタート。そこから半年後に3社目の内定をもらった。

3社目は自分の適性を考えて、大手企業から中小企業に変えたという。

「給料もグンと減りました。家賃補助もなくなって、引っ越しもしました。それでも、転職して断然よかったと思います。仕事にやりがいをもてたし飲み会も強制じゃない。飲み会に参加しても、普通に楽しかったです」

3社目では、生き生きと働くことができた安斎さん。その後も、何度か転職を経験するが、他社からの引き抜きや、興味をもった分野への転職など、どれも前向きな理由だったという。現在は新卒から数えて5社目の会社に在籍しているが、とても充実しているそうだ。

メンタルを壊すより軌道修正

今までの経験を振り返ると、2社目の会社に入ったことは失敗だったとハッキリ語る。1社目から早く出たいという気持ちが先行してしまった。もっと考えて転職してもよかったのかもしれない。

しかし、転職エージェントを利用して、転職本も数冊読んで、傾向と対策をノートに記し、業界も大まかに絞った。当時の自分に、あれ以上何ができたのかという本音もあるそうだ。そして安斎さんはこう語る。

「いくつか転職して思ったことは、『置かれた場所で咲きなさい』とか『嫌ならすぐに転職する』とか、両極端になる必要はないと思います。割り切って安定した会社に居続ける選択肢もあるし、転職するのも勇気がいりますから。ただ、自分が良かれと思って選んだ道がそうではなかったら、軌道修正していいと思うんです。無理してメンタルを壊すより、自分の意志で、人に人生を預けないで生きられるといいなと思います。転職回数が増えることにネガティブなイメージを持つ人もいるかもしれないけど、周りは関係ないですね。自分の人生ですから」

安斎さんは、社会人になった頃から、定年まで1つの会社にいるつもりはなかったが、30代で5社経験するとも思っていなかったともいう。


「これからも自分の環境に合わせて転職する可能性はあると思います。こういった考え方になったのは、2社目を経験したからかもしれないです。いろいろ吹っ切れた部分もあるし、自分がどうありたいか、決断ができるようになったんだと思います」

一度決めた道を全うすることは素晴らしい。継続できるスキルも必要かもしれない。ただ、必ずしも自分が抱いた方向に進むとは限らない。または、道を進む途中で気持ちが変わることもあるだろう。

人は感情の生き物だ。心に違和感があれば見過ごさない。その都度、軌道修正をしながら進んでもいい。自分の人生を自分の意志で決めた安斎さんから学ぶものは大きい気がしてならない。

(松永 怜 : ライター)