「親の力で人生が決まる」日本の決定的な転換点
ペアレントクラシー(親の影響力が強い社会)化が進む社会の実相と、新自由主義的色合いを強める教育現場の実態を紹介します(写真:NewStella/PIXTA)
“親ガチャ”というネットスラングに象徴されるように、日本は親の影響力が強い社会となりつつあり、生まれた家庭によって大きな格差が生じるようになっている。親の経済力と子どもの学力の相関関係は年々高まり、教育の場が階層固定の装置となる懸念も生じている。大阪大学大学院教授で、教育社会学を専門とする志水宏吉氏の著書『ペアレントクラシー 「親格差時代」の衝撃』より、ペアレントクラシー(親の影響力が強い社会)化が進む社会の実相と、新自由主義的色合いを強める教育現場の実態を紹介する。
近代世界を動かしたメリトクラシーの原理
日本の近代の出発点となるのは明治維新である。大政奉還がなされた1867年をそのスタートとみなすなら、そこから今日(2022年)まで150年余りの歳月が流れたことになる。
そのちょうど真ん中あたりに、近代の世界史のもっとも大きな出来事であった第二次世界大戦(1939年から1945年)が位置する。おおざっぱに言うなら、明治維新から第二次世界大戦終戦までの期間(約75年)とほぼ同じだけの時間が、大戦後すでに経過したことになる。図に示すと、次の通りである。
(出所:『ペアレントクラシー 「親格差時代」の衝撃』)
60歳を過ぎた筆者らの世代でも、「第二次世界大戦」に関してリアルな実体験があるわけではない。「明治維新」とともに、それは歴史上の出来事である。
しかしながら、自分自身が生きてきた図中のBの期間の長さがAの期間と同等になり、今後はそちらの方がどんどん長くなっていくという事態は感慨深い。もはや、「大戦後から今日まで」の時間の方が、「明治維新から大戦前にかけて」の時間よりも長くなりつつあるのだ。
教育について言うなら、図のAの期間(明治維新〜第二次世界大戦終戦)をつかさどったのが1872年に発布された「学制」である。四民平等の精神にのっとり、「必ず邑に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんことを期す」とうたったこの旧学制のもとで日本の教育は展開していった。
学校教育の拡大をバネに明治・大正・昭和と日本は急速な近代化を遂げたものの、それは、第二次世界大戦における敗北という不幸な帰結をもたらすもととなった。
大戦後、アメリカ合衆国GHQの指導のもとで、1947年にスタートしたのが新学制である。これは、小学校・中学校・高等学校・大学を軸とする単線型学校体系を打ち立てたものであった。日本はこの教育制度のもとで順調な高度経済成長を遂げ、1970年代には早くも先進国に仲間入りし、今日にいたるまで世界を先導する大国としての役割を果たし続けている。
教育勅語を柱とする旧学制から、民主主義を標榜する新学制へ。日本の教育の中身は、2つの時期できわめて対照的な特徴を有している。しかしながら他方で、両者は、同じ目標に向けて組み立てられたものであったと指摘することも可能である。その目標が「メリトクラシーの推進」ということになる。
明治日本の中心的国是は「富国強兵」であった。また、戦後の日本の最重要課題は「経済成長」であった。いずれもその鍵となるのは「人づくり」である。いかに国家にとって有用な人材をつくりあげるか、その目標に向けて学校制度の総力が結集され、国民の動員が図られた。
その背景にある人材選抜の考え方、そしてそれにもとづく国家統治のあり方がメリトクラシーと呼ばれるものである。この150年ほどの間、日本という国、もっと言うならば世界じゅうの国々を動かしてきたのが、このメリトクラシーの原理である。
メリトクラシーは「業績主義」と訳されることが多い。この言葉の生みの親であるイギリスのヤングは、メリトクラシーの社会を、次のような公式で表現している。
業績(Merit)=能力(IQ)+ 努力(Efforts)
明治維新が転換点に
(出所:『ペアレントクラシー 「親格差時代」の衝撃』)
すなわち、諸個人が有する能力と彼らが蓄積する努力が組み合わされた結果としての「個人のメリット(業績)」に応じて、彼・彼女の人生が切り拓かれていく社会がメリトクラシーの社会なのである。
教育社会学者のフィリップ・ブラウンの議論と重ね合わせると、そのうち、図のAの部分が「第一の波」、そしてBの部分が「第二の波」に等しいということになる。いずれも、メリトクラシーが主導原理だった時代である。
このような、個人の能力と努力が重視される近代社会の前に存在したのが、「アリストクラシー」(貴族主義)の社会である。一般的には、「身分社会」と表現することができる。
そこにおいては、王を中心とする貴族たちが社会の支配層を構成した。そして、諸個人の人生は、各自の生まれ(身分や家柄)によっておおかた定められていた。その「運命(定め)」に抗うことには、大きなリスクや社会的コストがつきまとったはずである。
18世紀末から20世紀にかけて、世界の多くの国々でそれぞれの歴史的文脈にもとづいた市民革命が生起し、アリストクラシーの社会がメリトクラシーの社会へと転換を遂げることになった。すでに述べたように、日本の場合は、明治維新がその転換点となる。
さて、図のBの時期の長さがAの時期のそれに並んだ今日、新しい事態が日本社会を覆いはじめている。端的に言うなら、150年続いたメリトクラシーの世の中が大きく変質しはじめているように見受けられるのである。
メリトクラシーの究極の形がペアレントクラシー
その変化の内実をなすのが、ペアレントクラシーへの移行だと表現することができる。フィリップ・ブラウンによれば、ペアレントクラシーは次のように定式化できる。
選択(Choice)=富(Wealth)+ 願望(Wishes)
21世紀を迎えた今日の先進諸国では、人々の人生は選択に基礎づけられたものとなっている。その選択に決定的な役割を有するのが、親(家庭)が所有している種々の「富」と、子どもの教育・人生に寄せる「願望」だというのである。
ペアレントクラシーには、理念としての側面と実態としての側面があることに注意されたい。「理念としての側面」とは、親の選択の自由を最大限に尊重しようとする政治的スタンスのことで、今日の新自由主義的教育改革の底流をなすものである。この側面が公教育の「解体」をもたらしつつあると見ることもできる。
他方、「実態としての側面」が、親ガチャという言葉で形容される、子ども・若者の間で見られる各種の「格差」の現状である。
筆者の考えるところ、ペアレントクラシーは、メリトクラシーの次に来る新たな時代というわけでもない。かつてヤングが警鐘を鳴らしたように、メリトクラシーの原理をつきつめるなら、その究極の形としてペアレントクラシーが立ち現れると考えた方が真実に近いように思われる。
「個人の能力と努力こそが大事だ」というメリトクラシーの理念は、近代社会を動かす機関車としての役割を果たしたと言っても過言ではない。ある時期たしかにメリトクラシーは、社会の進歩・発展のカギを握るものだとみなされていた。ただし、それはメリトクラシーが持つ光の部分である。
モノには必ず表と裏の両面がある。ヤングが強調したのは、メリトクラシーがもつ影の部分の方であった。すなわち、彼がその主著『メリトクラシー』(原著1958年)という未来小説で描いたのは、能力原理による階級対立が顕著になった分断国家の姿であった。
ヘタをすると、メリトクラシーの発展型としてのペアレントクラシーの社会は、かつての前近代社会のような、不平等と差別に満ちた社会に成り下がってしまうかもしれないのである。
(志水 宏吉 : 大阪大学大学院人間科学研究科教授)