退勤まで「延々と暴力」新人パティシエの壮絶被害
「殴る」「麺棒でお腹や腰を叩く」「完成したケーキを投げる」……。パティシエールの佳奈さん(仮名・28歳)は最初に勤務したお店でオーナーによる壮絶なパワハラ被害に遭った女性。想像を絶する体験を聞きました(写真:Koji_Ishii/Getty Images Plus)
「パワハラが原因でうつ病になった」「職場で受けた仕打ちのせいで人と接するのが怖くなった」「就労が困難になり困窮した」……ブラック企業という言葉が定着して久しい日本社会では、こういった体験を見聞きすることは決して珍しくないだろう。
本連載ではそうしたハラスメントそのものについてだけでなく、まだ十分に語られてきていない「ハラスメントを受けた人のその後の人生」について焦点を当てる。加害者から離れた後の当事者の言葉に耳を傾けることで、被害者ケアのあり方について考えられると思うからだ。
今回インタビューに応じてくださったのは、パティシエールとして働いている佳奈さん(仮名・28歳)。美味しいお菓子を提供する職場とは思えない、流血を伴うすさまじい暴力にさらされた体験を伺った。
お菓子屋さんで日々「腹や腰を麺棒で叩く」暴力
――本日はよろしくお願いします。答えるのがつらい質問のときには、例えば「スキップ」などと言ってもらえればすぐ別の話題に切り替えますのでおっしゃってください。
ありがとうございます。そうさせてもらうかもしれません。
――では、簡単に経歴を教えてください。
私は製菓の専門学校を卒業後、22歳からパティシエール(※パティシエの女性名詞形)として働いています。パワハラを受けたのは、最初の勤め先のオーナーからでした。
彼はもともと、学生時代の私の修行先のお店の常連さんで、私が専門学校を出るタイミングでちょうど彼がパティスリーを開業することになり、オープニングスタッフとして声をかけられて就職したんです。
――つまり、最初から雇い主と労働者という関係性だったわけではないんですね。
はい。そして、出会ったときは本当にいい人でした。明るく元気で社交的な人で、菓子職人としての理念もしっかり持っていました。お店のヴィジョンが素敵だなと思ったし、尊敬するパティシエも同じ人だったので共感もしていました。それで、「この人と一緒に働きたい」と思ったんです。
――変わったきっかけはどのようなものだったんでしょうか。
最大の要因は、次第に店の売り上げが落ちて、余裕を失っていったことだと思います。でも、それ以前にもお金が絡む場面では片鱗を見せることがありました。業者の方と請求についてやりとりをしているときなど、一方的に値下げを要求したりといったことがままありました。そういう素の部分が、徐々に露呈していったのだと思います。
従業員への暴力は、最初の頃は言葉だけにとどまっていたんですが、すぐに手が出るようになりました。胸ぐらを掴むとか殴るとか。生地を伸ばすのに使う麺棒という木製の道具があるんですが、それで腹や腰を叩くというのが一番多いパターンでした。からかって小突くとかではなく、出勤から退勤まで延々と続けるんです。
――どのような理由で暴力を振るってきたのでしょうか。
理由はあまりありませんでした。最初の頃はミスをしたとか――それにしたって言いがかりのようなときも多かったですが――何かしら理由があったように思うんですが、それもすぐになくなり、ただただ機嫌が悪いときに暴力を振るってくるようになりました。
日によるんです。すごく機嫌がいい日もあって、そういう日は一切手を出しません。だいたい7:3くらいで不機嫌な日が多くて、理由も周期もわからない。なので、毎日オーナーが店に来るまで"どっちの日"かわからず、おびえて待っていました。
それに、数分前に自分が従業員を殴ったことを忘れていたり、言っていることとやっていることが一致しなかったりと、異常な言動が多く、何か病気を抱えていたのかもしれません。泥酔状態や二日酔いで出勤してくることもあって、そういう日は事務所でずっと寝ているので、逆に安心でした。
同期は全員すぐに退職、佳奈さんも体に異変
――暴力は佳奈さんだけでなく他の従業員にも?
そうですね。と言ってもほとんどの期間、お店はオーナーとスーシェフ(副料理長)と私の3人だけで回していました。オープン時に3人いた同期がすぐいなくなってしまったので。職場に行くのが怖くて家から出られなくなった人、お医者さんから出勤を止められた人など、3人ともオーナーが原因です。
販売員だった同期が全員いなくなったので、私が製菓だけでなく販売員もやることになって、負担が倍増したのが本当につらかったです。朝の販売の支度をしなくてはならないので、オーナーやスーシェフよりずっと前に出勤していましたし、2人が来る前にケーキの組み立てなんかもやらなくてはならない。帰りも一番遅くまで残らされました。厨房、店内、店の前、すべての掃除が私の仕事だったので。
朝4時までに出勤して0時頃に家に着く生活が3年続きました。少しでも長く眠る時間を確保するために、帰り道は自転車を漕ぎながらコンビニのおにぎりを口の中にねじ込むような形で食事をしていました。休みは週に1回あったんですが、何かしら理由をつけて呼び出されて、実質無休の週もありました。
――壮絶すぎてなんと言っていいのか……。
そうですよね。
会社は社会保険未加入で手取りは12万〜13万円
――ちなみに、当時のお給料を伺ってもよろしいでしょうか。
月に手取りで15万円くらいでしたね。でも、保険は自分の負担だったので……国民健康保険料を差し引くと、手元に残るのは12万〜13万円くらい。
給料が出ない月も2カ月ありました。私が計量を間違えたせいでカスタードクリームがだめになったので、それを弁償しろということでした。私は普段通り計量したと思っているんですが、オーナーの中ではそういうことになっていました。「お前は働きにきてるはずなのにおれの足を引っ張ってる! 勉強代を払え!」と言って。一応、数カ月遅れで支払われはしたんですが。
――その後、スタッフは増やさなかったんでしょうか。
新人さんは頻繁に入ってきました。ただ全員が1〜2カ月もたずに辞めていきました。それに、後半はスーシェフもいなくなって、オーナーと私の2人きりの期間がしばらく続きました。
――スーシェフがいなくなった経緯はどのようなものだったんでしょうか。
きっかけは百貨店の催事でした。お店にとって重要な機会で、定期的に出店していたんですが、オーナーが無茶なスケジュールでの出店を決めてきてしまったんです。
案の定、当日までにオーナーが決めた個数の商品を用意できなくて……するとオーナーが激怒して、私とスーシェフがなんとか用意した在庫を投げつけてきたんです。
――「在庫が足りない」と怒っていたんですよね?
はい。なのに、自ら今あるお菓子を無駄にする形で暴力を振るいました。それまでも散々暴力は振るわれてきましたけど、そんなふうにお菓子を扱うことは、私たち菓子職人にとって一線を越えた行為でした。それでスーシェフは心が折れてしまって、店を飛び出していって、そのまま辞めました。
私も飛び出していったスーシェフの後を追おうとしたのですが、逡巡していると、オーナーから「お前がおらんと販売員がいなくなるから残らんとあかんやろ!」と怒鳴られてしまって。
――理由になっていないように思います。
本当にそうなんです。でも、当時は反射的に「そうか、私が売らなくちゃいけないんだ」と思ってしまったんです。それくらい判断能力を奪われていました。
――そんな労働環境で、体を壊さず働き続けられたんでしょうか。
いえ、勤務中に3回、救急車で運ばれたことがあります。販売員としてお店に立っているとき、忙しいとなかなかトイレに行きにくいんですが、我慢しすぎて尿管結石になってしまって。接客中に倒れてしまいました。同じことが2回あって、もう1回は睡眠不足と栄養失調で倒れました。私、背は比較的高いほうなんですが、当時は体重が38kgくらいしかなかったんです。
救急搬送された日も、意識が戻るとオーナーから「何してんねん! 早く戻ってこい!」と電話で呼び出されて、3回とも点滴が終わったらお店に戻りました。
それでも辞めたいとは思わなかった理由
――先程から言葉を失うようなお話ばかりで、どれも即訴訟ものと言っていいレベルかと思うのですが、それでもお店に居続けたのはどういった理由からだったのでしょうか。
辞めたいと思ったことは一度もなかったんです。「この業界はこれが当たり前」「俺らの時代はもっとひどかった。だから感謝しろ」と毎日言われていて、むしろもっとがんばらなきゃいけないと感じていました。「お前はなぜ寝る時間を削って勉強しないんだ、努力が足りない」「うちを辞めたってどこもお前なんか雇わない」と言われて、そうなんだと思い込まされていたんです。当時はいっぱいいっぱいで、自分の将来に関わる大きなことを考える余裕がまったくなくて、そうなんだと思うほうが楽だったのかもしれません。
――前回インタビューしたゆりなさん(前任者6人を潰した上司と2人きりの部署になり、他の社員がいる前で罵倒されるなどさまざまなパワハラに遭う)も同様に、「辞めたいとは思わなかった」とおっしゃっていました。
私自身、前回の記事を読んですごく共感しました。辞めるという選択肢がなくなるんですよね。それに、私の場合はオープニングからいたので、お店に思い入れが深かったのもありました。
――そのお店を離れる決心はどのようにして固まったのでしょうか。
私が離れようと思ったというか、お店がなくなっちゃったんです。営業停止になって。
――いったい何が?
オープンから3年ほど経った頃に入ってきた後輩が初めて長続きしたんです。それまでに何人も新人さんが入ってきたけど、何十人単位でみんなすぐに辞めていきました。そんな中、その後輩は2カ月経っても辞めなかった。順応しようとがんばれてしまうというか、私と似たところがあったんだと思います。
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その子が増えたので、労働環境としては少しマシになりました。気持ちの面でも、その子と助け合うという意識があったからやっていけた部分が大きいです。
ただ、ある休みの日に自転車でお店の前を通ると、オープンの時間を過ぎているのに鍵がかかったままだったんです。どうしたんだろうと中に入ると、後輩が頭から血を流して倒れていました。
すぐに救急車と警察を呼んで命は助かったんですが、訳を聞くと泥酔したオーナーに殴られた拍子に冷蔵庫に頭をぶつけて、そのまま気を失ったということでした。私がたまたまお店の前を通りかからなかったら亡くなっていたかもしれないと思うと……。
――佳奈さんが駆けつけたとき、オーナーはその場にいなかったんでしょうか?
後輩が気を失っている間に逃亡して、それっきり会っていないんです。
次回はハラスメント後の人生を伺う
あまりにも常軌を逸した内容に動揺するばかりで、連載初回で伺った被害者との対話についてのノウハウをなんら意識できない取材になってしまった。
次回は引き続き佳奈さんにお話を伺い、被害者としての体験を元に、今現在被害に遭っている人に対してどのように接するべきか、思うことを聞かせていただいた。
(後編:「頭から流血」見習いパティシエが遭った壮絶暴力)
本連載では、お話を聞かせてくださる、ハラスメント被害者の方を募集しています。パワハラ、セクハラ、モラハラ、アカハラ……など種別は問いません。応募はこちらからお願いします。(ヤフーニュースなど外部サイトの方は、お手数ですが東洋経済オンラインをご覧ください)
(ヒラギノ 游ゴ : ライター/編集者)