東芝野球部でコーチを務める新垣勇人さん【写真:中戸川知世】

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東芝野球部コーチの新垣勇人さん、大谷と9歳離れた同期入団

 エンゼルスの大谷翔平投手は今季、1918年のベーブ・ルース以来、実に104年ぶりとなる2桁本塁打&2桁勝利を記録するなど“投打二刀流”の進化形を見せている(MLBはABEMAで毎日生中継)。2013年に日本ハムへ入団。プロ10年目にして、この試みは完成に近づいていると言えるだろう。同期として日本ハムに入団した新垣勇人さん(現・東芝野球部コーチ)は9歳下の大谷に慕われ、様々な姿を目にしてきた。親しみを持って「クソガキ」と表現する、若き日の大谷の姿とは……。

 もう10年前になる。2012年の秋、新垣さんは何とも複雑な感情を抱えていた。

「どんな選手なのかな? 会ってみたいな……とは、思っていましたよ。反面、絶対すごい投手だって分かっているわけです。高校生で160キロ投げたことは知っていましたし。最悪(NPBに)来なくてもいいのかな……という気持ちもありましたね。ライバルになるんじゃないかと思っていたんです」

 ドラフト会議の前に、高校から直接メジャーリーグへ進むと表明した大谷を指名したのは日本ハムだけ。他の指名選手が続々と入団を決める一方で、大谷の入団交渉は年末までかかった。11月22日、大谷以外の6選手だけでひとまず入団発表が行われた。当時すでに27歳だった新垣さんにとっては、横浜商大を卒業後、社会人野球の東芝で5年過ごしてようやくかなえた夢。即戦力としてのプレッシャーもあった。

 年が明けて1月の新人合同自主トレ初日、大谷と最初にキャッチボールをしたのは新垣さんだった。カメラの放列の中、ボールを追っただけで桁違いの素質が分かった。ボールがどんどん伸びて、なかなか落ちてこないように感じたのだ。「社会人でもこういう球を投げる投手は少ないですからね」。ライバルかもしれないという想いは、あっという間に吹っ飛んだ。

 そして、大谷には人の懐に入り込む能力があった。千葉県鎌ケ谷市の球団寮では、いつも話題の中心にいた。「(体は)でかくて顔はちっちゃいし『何この子?』って感じです。僕らは“クソガキ”と言ってましたね。人なつこいというか、いい意味で気を遣わない。弟みたいな感じでしたよ」。携帯ゲームをすれば勝つまでやめなかった。「先輩とか、すぐ関係なくなりましたね。後ろから突っつかれたり。いたずらしても、みんなにかわいがられて……」。カキさん、と呼ばれるようになるまで、すぐだった。

野球となると顔が変わる…「いつもウエート場にいるイメージ」

 ただ、トレーニングとなれば人の輪から外れ、黙々と前に進むところがあった。うまくなりたいという欲が、他の選手とは段違いだったのだ。「基本的にウエートトレーニング場にいるようなイメージです。夜、ご飯を食べた後なんかにもいるんですよ」。常に違うものを取り入れて、上に行こうとしていた。「一人でやっている時間の方が、はるかに長かった。見えないところで、何をすれば自分は向上するのか考えていましたね」。トレーナーにサプリメントの摂取について尋ね、管理栄養士には何を食べたらいいのか質問攻めにしていたのだという。

「変わり続けていたことがすごいと思うんですよ。常に新しいものに対応して、アジャストしているからあそこまでできるのかなと。もともと才能がある上にここまでやられたら、他の人が追いつけないのも当たり前ですよね」

 そしてグラウンドに立てば、身にまとう空気まで違った。「顔がいいんですよね。普段はかわいい顔をしているのに、野球となるとガラッと変わる」。投げる才能に加えて、バッティングをすれば左翼へ、右打者が引っ張ったかのような強烈な打球を飛ばした。さらに「とにかく足が速いのは驚きましたね……。あれだけでかいのに、なかなかいませんよ」。タイムを計れば、チームでも俊足の中島卓也内野手や西川遥輝外野手(現・楽天)級のスピードを誇った。メジャーでも昨季26盗塁を記録した快足は、当時から話題となっていた。

 指導者となった新垣さんは、大谷が何をしていたのか、どのような考えを持っていたのかを、東芝の選手たちに伝えることがある。誰がどう見ても、日本一の野球選手。ともに過ごした時間が生きている。

「何をどういう考えでやっていたのか、目の前で見ていたんですからね。最初は『来るな』と思ったけど、今になって思えば『来てくれてありがとう』ですよ。本当に大きな財産です」

ふざける新垣さんに「うるさいすよ!」 入院先で見ていたのは…

 大谷は高校卒業後、即メジャーリーグに進むと一度は公言している。それを一旦取り下げ、日本ハムでは二刀流という新たな価値を作っていった。いつまでもここにいる選手ではないことは、チームの皆が分かっていた。新垣さんも「いつ行くか、だけだろうと思っていましたね」と振り返る。

 真剣な想いに触れたことがある。大谷は2016年のシーズン終盤に右足首痛を発症し、2017年のオフにかかとの手術をした。入院していた大谷を見舞った時だ。「どーもーっ!!」といつもの調子で病室に入っていった新垣さんに、大谷は「うるさいすよ!」と返した。見ていたのは、メジャーリーグのテレビ中継だった。

「バッターもピッチャーも、じっと見ていましたね。いつか、近い将来に対戦するという見方をしていたんだと思います。真剣な表情にこちらがびっくりしましたね」。言葉を交わさなくても、ここを去る時が来たのだと分かった。大谷がポスティングシステムを利用したメジャーリーグ移籍を表明したのは、退院後すぐだった。

 交友は今も続く。社会人野球のトヨタ自動車東日本でコーチを務める大谷の兄・龍太さんと練習試合で遭遇し、写真を大谷に送ると反応があった。「カキさん、まじめにコーチしてくださいよ」。遠い世界に行ったように見えても、そこでは“クソガキ”の顔のままだ。

 指導者としての目で見れば、今季の投手・大谷は下半身がつぶれず、力を真っすぐ前方に伝えられるようになったという。ストレートで空振りを奪えるのが何よりの証拠だ。「これからもいろんな記録を達成しながら、45〜46歳くらいまで現役でやるんじゃないですかね。それでも150キロとか投げそうじゃないですか。年を取ったら取ったで、また違う方法で進化していくと思うんですよ」。出会いからあっという間の10年、そして次の10年で見せてくれる新たな価値を、新垣さんは楽しみにしている。(羽鳥慶太 / Keita Hatori)