安倍晋三元首相の通夜に手向けられた花(写真:Bloomberg)

安倍晋三元首相の国葬への賛否が割れている。国会での議論をしないまま閣議決定で国葬実施を決めた政府の手法が専門家や野党から批判され、世論調査でも反対が増えた。日本では1926年に勅令である国葬令が定められたが、敗戦後に廃止されており、戦後は「特例」として実施された吉田茂元首相の例があるのみだ。そもそも国家が個人の死を弔うことの意味は何か――。著書『犠牲者意識ナショナリズム』で、「悲劇の主人公」の死を近代国民国家が利用してきた様相を分析した韓国・西江大の林志弦(イム・ジヒョン)教授に聞いた。

故人の遺志は強靭な生命力を持つ

澤田克己(以下、澤田):選挙遊説中に銃撃された安倍氏の死は、衝撃的なニュースとして世界に伝えられました。韓国での報道について、どのような印象を持ちましたか?


林志弦(以下、林):まずは、まったく予想できなかった事件に驚いたという反応だった。その次に出たのが憂慮だ。政治的な暗殺の場合、犠牲となった政治家の死は「気高いもの」と受け取られる。それが、安倍氏の政治的遺産の美化につながるのではないかと考えられた。アジア太平洋戦争や植民地主義の過去に肯定的な意味を与えたり、平和憲法を改正したりするような政治的動きへの感情的な支持が高まるのではないかという憂慮だった。

韓国では1974年に演説中の朴正熙大統領を狙った銃撃事件があり、流れ弾に当たった陸英修夫人が死亡した。朴正熙も1979年に側近によって射殺された。朴は国葬、夫人は国民葬とされたが、その時に韓国社会で起きたことがトラウマとして残っている。国葬という宗教的なものを感じさせる祭祀の放つオーラの中で軍事独裁という影は隠され、彼の功績だけが強調されたのだ。

澤田:積極財政や防衛力強化などという安倍氏の推進してきた政策の継続を求める自民党保守派の議員が、口々に「安倍氏の遺志」を継がなければいけないと主張しています。時に保守派の主張を抑える役割を果たしてきた安倍氏がいなくなり、「遺志」という言葉が独り歩きするのではないかと懸念されてもいます。「故人の遺志」という言葉は、なぜ強い力を持つのでしょうか。

:本人に真意を確かめることのできない「故人の遺志」は、生前の主張より強靭な生命力を持つ。死んだ人に真意を確認することなどできないと皆がわかっているから、「故人の遺志」はいかようにも解釈される。

2018年にリトアニアを訪問した時の安倍氏の言葉にも、それは表れていた。安倍氏は、第2次大戦中に日本の査証(ビザ)を発給して多くのユダヤ人難民を救った杉原千畝の記念館を訪れた際、唐突に「法の支配と国際秩序」を強調した。本国政府の訓令を無視して査証を発給した杉原の「遺志」を、自分の流儀で解釈したわけだ。

「安倍氏の遺志」もまた、無限に開かれたテクストだ。何が「遺志」なのかは、安倍氏が本当に考えていたことは何かで決まるのではなく、今後のパワーゲームの中で定まっていくのだろう。

澤田:19世紀フランスの歴史家、ジュール・ミシュレが「歴史」について名言を残しているそうですね。

:歴史家とは、死者たちに彼らの死の意味を説明してあげる解説者だと語った。私も歴史家の一人ではあるが、歴史家というのは卑怯なものだと思う。生きている歴史家の解釈に死者は反論できないのだから。

脱走兵よりも無名戦士を記念する碑が多い理由

澤田:前々回のインタビュー記事「『自分たちは犠牲者』の声が忘れている危険な思想」で、犠牲者意識ナショナリズムについて「先祖が犠牲となった歴史的記憶を世襲して自分たちを悲劇の犠牲者だとみなし、現在のナショナリズムを道徳的、政治的に正当化するものだ」と説明していますね。そして著書では、近代国民国家が戦死者の死を民族主義のために利用した「政治宗教」について分析しています。戦死者崇拝は、なぜ必要だったのでしょうか。

:脱走兵よりも無名戦士を記念する碑のほうが圧倒的に多いという、私たちの記憶文化の現実が物語っているのではないか。脱走兵は「敵」というレッテルを張られた他人に銃を向けることを拒否した末に銃殺されたヒューマニストたちである一方、無名戦士は祖国のために壮烈な戦死を遂げた人たちだ。国家の命令に従って、国家のために死んだ者を英雄に仕立て上げる儀礼が必要なのだ。

興味深いのは、ジョージ・モッセの著書『大衆の国民化』の日本での売り上げが事件後に伸びたことだ。フランス革命以降の国民主義の展開を大衆的儀礼やシンボルから考察したファシズム研究の書だ。国葬こそ大衆を国民化する装置だという批判意識が、モッセの本を求める理由ではないだろうか。アマゾン・ジャパンの「ナチス関連」図書の販売ランキングでこの本が上位に上がってきたことを知り、日本社会の知的な力はたいしたものだと思った。

澤田:靖国神社の戦死者崇拝は、第1次大戦後の欧州諸国と共通性があると著書で指摘されています。どういう点が共通し、違っている点は何でしょうか。

:戦死者崇拝を通じて国民国家への忠誠心を呼び起こす点は共通している。日露戦争(1904〜1905年)を経て戦死者崇拝を強めた日本は、第1次大戦(1914〜1918年)を契機に同じ道を歩んだ欧州諸国にとっての先駆者だったと表現できるかもしれない。イタリア・ファシズムの代表的理論家だったエンリコ・コラディーニが、日本から政治宗教を学ばなければならないと力説したことも興味深い。コラディーニによれば、日露戦争を経て国家と民族に神性を与え、国民にその世俗的政体を崇拝させるように仕向けた日本の政治宗教は、国民統合の模範答案だった。

日本と欧州の違いは宗教的なバックグラウンドだろう。崇拝対象を新たに加えるのが容易な神道は、一神教のキリスト教と大きく違う。欧州諸国は、キリスト教という伝統宗教と国民国家という世俗宗教の間で国民の忠誠心を争わねばならなかった。

武道館と靖国神社の位置関係

澤田:安倍氏の国葬が開かれる武道館と、靖国神社の位置関係にも着目されていますね。

:実証史学の父と呼ばれ、戦前に東京大学教授を務めた黒板勝美は、靖国神社を政治宗教の場とすることに取り組んだ。欧州視察で見た諸民族の記念碑や愛国の祝祭に感銘を受けた黒板は、靖国神社の周囲に古代ギリシャのオリンポス競技場のようなものを建て、国民的な祝祭を執り行う聖なる空間とするよう提案した。競技場は実現しなかったが、千鳥ケ淵戦没者墓苑と武道館、昭和館、科学技術館、近代美術館などが周囲に配されたことで、政治宗教的な複合空間としての靖国神社に対する黒板の提案はある程度実現したと言えるだろう。

澤田:英霊という言葉は、戦後の韓国でも使われたそうですね。

:帝国日本の戦死者崇拝と政治宗教の儀礼は、戦後も東アジア各国に残った。アメリカ軍に占領されて戦前を全否定せざるをえなかった日本と違い、国家建設が切実な問題だった新生独立国の韓国は典型例だった。韓国では、さまざまな国家儀礼で「護国英霊」や「祖国の守護神」といった呼称が使われた。戦死者の神格化は、植民地朝鮮より解放後の韓国で強まったと言える。

敗戦前の靖国神社の招魂祭と同じように、ソウルの国立墓地で開かれる戦没将兵の合同追慕式に参列する遺族は特別な配慮と礼遇を受けた。国家神道ではなく仏教やキリスト教の儀礼となったし、いくつか追加されたこともあったが、新生独立国・大韓民国の戦死者儀礼は基本的に帝国日本の政治宗教から出たものだ。

ただ韓国の新世代にとっては、「英霊」はもはや耳慣れない古い言葉になっている。モッセの著書『‘Fallen Soldiers’』が翻訳された時に付けられた書名が象徴的だ。日本語版タイトルは『英霊』とされたが、私が解題を付けた韓国語版は『戦死者崇拝』だった。

日本らしくない過剰な哀悼

澤田:安倍氏の「国葬」を巡る日本国内の動きから何を感じていますか。

:ダイアナ妃が自動車事故で亡くなった時、冷淡だった王室を除く全国民が哀悼ムードに包まれた英国は、まるで「服喪中の国」という様相を見せた。

それは、帝国としてのかつての栄光を失った社会の底辺に押し込められてきた「ポスト・コロニアルな憂鬱」が、ダイアナの死によって噴き出したかのようだった。彼らが哀悼していたものが、ダイアナの死だったのか、あるいは失墜した大英帝国の威光だったのか、今でもどちらなのだろうという思いにとらわれる。

帝国だった時代の日本を懐かしむ声を堂々と上げていた安倍氏の死を悼み、「国葬」を語る日本らしくない過剰な哀悼という大きなうねりを見て、衰退した帝国のかつての栄光に対する「ポスト・コロニアルな憂鬱」を感じるとしたら、それは行き過ぎた解釈なのだろうか。

(澤田 克己 : 毎日新聞論説委員)