50代のひとり娘はここ10年ほど、老いた両親の介護と仕事を両立させている。何とかやってくることができたのは、夫やヘルパー、近隣に住む親族、親切な住人などの助けがあったから。7年前に父親が他界した後、現在は要介護3でアルツハイマー型認知症の母親の世話をしているが、「小学生の頃から母親のことが大嫌いだった」という事情もあり、母娘介護は一筋縄ではいかない――。(後編/全2回)
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【前編のあらすじ】関東在住の澤田ゆう子さん(仮名・50代・既婚)の父親は、元国家公務員。代々続く古い家の生まれで、家が決めた結婚相手と娘まで設けたが、3年後、一目惚れした女性と駆け落ちし、家の跡を継ぐ権利を剝奪され、仕事も失った。駆け落ちした両親の下に生まれた澤田さんは、両親から監視されるようにして育つ。それは駆け落ちした両親が、娘を心配してのことだと思われたが、澤田さんは窮屈な思いをしていた。大学を卒業し、就職した澤田さんは8歳年上の男性と結婚。父親は83歳のとき、帯状疱疹に苦しみ、近所の介護施設に通ったが、徐々に行くのを嫌がるようになってしまった――。

■83歳の父親の介護、スーパーヘルパーに救われる

帯状疱疹で顔が腫れる症状に苦しんだ、要介護3の83歳の父親はしばらく介護施設のデイケアに通っていたが、次第に行きたがらなくなった。

ひとり娘の澤田ゆう子さん(仮名・50代・既婚・関東在住)が相談すると、ケアマネージャーは在宅の訪問介護ヘルパーを勧めた。しかし、澤田さんはプロであっても実家の中に他人を入れることにためらいがあり、両親が受け入れるだろうかという不安も大きかった。

初対面の日、澤田さんが8歳上の夫とともに実家へ行くと、訪れたヘルパーは男性だった。澤田さん夫婦は一抹の不安を覚えたが、それはすぐに消し飛んでいた。彼はたちまち父親の心と胃袋を鷲掴みにし、母親(75歳)の信頼を得たのだ。

「彼が来てくれるようになってから、父の血色がみるみる良くなりました。彼は調理師の免許を持ち、数々のレストランに勤務した経験のある、市内でも最も長いヘルパー歴を持つスーパーヘルパーでした。誠実に仕事をしてきた彼は、役所からの信頼も厚く、豊富な人脈や介護知識があり、私たちは何度も救われました。最初はためらいましたが、家に介護ヘルパーを入れることを早期に決断できて、本当に良かったと思います」

彼は、「僕が行くと、利用者さんは体重が増えちゃうんですよ〜」と言って、用意された食材で手際よく、父親のリクエストに応え、おいしい料理を作ってくれた。風呂が大好きな父親は、彼の車が到着した音がすると、いそいそと服を脱ぎ始める。彼は玄関を上がってくるなり脱衣所へ向かい、ズボンを脱ぎ、父親の背中を流し始める。

父親の入浴が終わると、「はーい、おかあさ〜ん、お父さんの身体拭いて〜」と、母親に声がかかる。母親が父親の体を拭いていると、彼はそっと澤田さんに耳打ちする。

「お父さんのパンツが汚れていたから、お風呂でサッと洗っておきました。後で洗濯機回してください」

そして台所へ行くと、「あ、栗がある! 今日は栗ご飯にしましょう!」と言って栗をむき始める。

「入浴介助、汚れた下着の洗濯、栗ご飯……。どれも私にはできないことです。彼に感心し、のめり込んでいく両親や私を見て、親密度が上がりすぎることの弊害を心配したベテランケアマネジャーさんが、ヘルパー主導の介護に疑問を呈し始めたとき、私はケアマネさんのほうを変えました。プランを作るケアマネさんよりも、実際に介護をしてくれるヘルパーさんの意見と知識のほうが、私には重要だったのです」

一方、母親の脳の検査をしたところ、「アルツハイマー型認知症」と診断。機能回復のため、週1回のデイサービスを利用し始めた。

■父親の死

2015年夏。澤田さん夫婦はお盆に実家に帰省。数日滞在し、自宅に戻ってから2日後のことだった。父親自宅で意識をなくしていることに気付いた母親はなんとか隣(父親の実家)に助けを求め、父親の甥が救急車を呼んだ。

父親は脳内出血を起こしていた。連絡を受けた澤田さんがすぐに病院に駆け付けると、幸いにも父親は一命を取り留めた。1カ月後に退院し、老健(介護老人保健施設)に転院。だがその約2週間後、澤田さんが面会に訪れている時に、父親の病状が悪化。発熱していることが判明したため、再び病院へ移送。調べると、肺炎を起こしていることが分かる。

それからというもの、澤田さんは父親の病室に泊まり込み、そこから都内にある金融系の会社へと出勤した。「介護休暇を取るより、半日でも勤務したほうが、後々業務に停滞をきたさない」と上司に諭され、澤田さんは半日有給休暇で対応。もともと40日以上あった有給休暇は、9月には9日を切っていた。

通勤するだけで2時間近くかかったが、おかげで毎日、「お父さん行ってきます」「お父さんただいま」「お父さんおやすみ」と声をかけることができた。

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主治医から、「厳しい状況です」と言われた日、親戚に声をかけ、集まってもらうことに。最後まで意識がはっきりしていた父親は、親戚たちが来る前に自ら、「オムツを替えてほしい」という合図を示し、親戚たちに不快な思いをさせないよう配慮。自分は今にも命がついえそうな状況にもかかわらず、周囲に気を配る父親の姿に、澤田さんは胸を打たれた。

ところが、1日に1回の母親の面会時、父親は点滴をしていないほうの手で母親の頭を叩いた。母親は、「なぜお父さんは私を叩くのかしら? なぜ?」と不思議がっていたが、澤田さんはこう思った。

「ずっとそばについていないことへの不満なのか、(母と駆け落ち婚をしたことで)前妻とその妻との子を捨てることになってしまった憤りなのか、私にはわかりませんが、母に対する何らかの不満が父の中にあったのだろうと思いました」

最期の日の朝、母親は季節外れで上下ちぐはぐな衣服を身にまとい、病室に来て5分もすると、「雨戸を締めに帰る!」とわけのわからないことを言い始める。

「お父さん、このまま逝っちゃうかもしれないんだよ?」と澤田さんが諭しても、「それでもいい! 家に帰る!」と言って聞かない。仕方がないので、いとこが母親を連れて帰ったが、病室を出て20分も経たないうちに父親の呼吸がおかしくなり、急いでいとこに連絡。再度母親を連れてきてもらった。

横たわる父親の手を母親がとると、2人は見つめ合った。母親は、「お父さん、お父さん」と何度も繰り返し声をかける。その声は澤田さんが今まで聞いたことのない、とても穏やかで優しいものだった。

「父の目に最後に映ったのは、母の顔。父の顔は穏やかでした。共に生きる人生を選んだ2人が、それを最期まで全うしたことを互いが認め合った最期だと思いました」

2015年10月。父親は85歳の生涯を、妻、娘、娘の夫、甥に見守られて閉じた。

■母親の介護に欠かせないもの

母親は2019年、82歳の時に要介護3になり、現在は週3回ずつの訪問ヘルパーとデイサービス、週1回の訪問歯科医を利用。いずれも、前述のスーパーヘルパーの情報から選んだサービスだ。

フルタイムで働きながら澤田さんは、1日に4〜5回母親に電話をする。朝の服薬から洋服のチェック、就寝時間などをチェックするためだ。さらに2〜3週間に1回の頻度で実家に通い、郵便物チェックや実家の周囲の清掃や庭の手入れ、親戚や隣近所との付き合いや、役所や銀行の手続きなどをこなしていた。

幸い、隣にいとこ夫婦が住んでいるため、近所の付き合いや、宅配業者や訪問者が来たときなどは対応してくれていた。

ところが2019年の夏のこと。澤田さんが母親に電話をかけたところ、様子がおかしい。「誰か来てるの?」とたずねると、「うん、あのね、えっとね」と口ごもる。電話を替わってもらうと、「こんにちは。今お母様に、ご先祖供養についてお話しているところです」と話し始めたため、澤田さんは慌てて隣に住むいとこに、「今、実家に怪しい宗教関係者が来てる!」と電話をする。すぐにいとこが駆けつけてくれたため、どうにか事なきを得た。

それから澤田さんは、見知らぬ人を簡単に家の中に入れてしまうほど認知症が進んだ母親を心配し、対策を考え始めた。

そこで思いついたのが、「見守りカメラ」の導入だった。澤田さんは、機械やインターネット関係、パソコン周辺機器に詳しいわけではなかったが、介護関係者に話を聞いたり、家電量販店に何度も足を運んで販売員やインターネット業者などからアドバイスをもらったりした学んでいった。

写真=iStock.com/Andrey Sayfutdinov
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インターネット回線は、遅滞なく動画を送るために、光回線を選択。カメラはマイク付きで、双方向で会話ができるタイプ。カメラの設置場所は、最初は門扉から玄関までのアプローチと、テーブルの上も見えるようにキッチンを想定した。

母親には澤田さんが、「高齢者宅に、防犯のカメラを市役所が入れてくれることになったの。知らない人が入ってきたり、お鍋が焦げていないか警察や消防署がチェックして来てくれたりするんだよ。火事や泥棒は怖いからね」と説明すると、母親も同意。

「導入するにあたって母に嘘はつきましたが、『見張られている』『監視されている』ではなく、『見守られている』と母が安心できるようにしたいという思いからでした。認知症ですから、何を言ってもすぐに忘れてしまいますけどね……」

1カ月ほど検討した結果、最終的に澤田さんは、介護ブロガーが推す7000円ほどのシンプルなカメラを購入。9月の連休には、スーパーヘルパーに手伝ってもらい、実家にカメラを設置。「これで一安心!」と思った次の瞬間、帰宅した澤田さんの携帯に連絡が入る。

その頃は、スーパーヘルパーともうひとり女性のヘルパーが母親のケアに来ていたのだが、その女性ヘルパーが、「やっぱり見守りカメラに抵抗があるのですが……」と言い出したのだ。

あらかじめカメラ設置については相談して了解も得ていたし、「設置場所についてのアドバイスをもらったりしていたはずなのに……」と、澤田さんは愕然。

だが、澤田さんはすぐに思いついた。女性ヘルパーが来ている間だけ、カメラにハンカチを被せることにしたのだ。これには女性ヘルパーも快諾。

「カメラの目的は、母が1人の間の見守りです。考えてみれば、誰だって見られるのは愉快じゃありませんよね。私がヘルパーさんだとしても同じ気持ちです。もっと丁寧に話し合うべきだったと反省しました。ヘルパーさんに気持ちよく働いてもらう環境を整えることは家族にしかできません。見られる側、働く側の心理に、もっと配慮すべきでした」

カメラの機能は日々進化している。母親が何を食べているのか、何を着ているのか、どんなテレビを見ているのかを、澤田さんは自宅から確認できる。コロナ禍で帰省がままならない間も、「今日は寒いね・暑いね」と、部屋の様子を見ながら会話できるカメラは大いに役に立った。

時々、母親がカメラ本体の電源プラグを抜いてしまったり、Wi-Fi機器の電源を切ってしまったりすることがあるが、その度に澤田さんは隣家のいとこやスーパーヘルパーに直してもらうなどして対応した。

■母娘介護が一筋縄ではいかない理由

現在50代の澤田さんだが、実は小学生の頃から母親のことが大嫌いだったという。

「母には昔から、度々暴言を吐かれてきました。特に、母が浴びせてくる捨てぜりふには何度も嫌な思いをさせられました。自分ではどうにもならないような、鼻の頭に汗をかいてしまうことや、胸が大きいことなどをあげつらわれて、『そんなことだと将来恥をかく』とか、『人からバカにされる』とか言われたものです。今だったら毒親間違いなしですうよね」

母親は、澤田さんに対してだけでなく、自分の姉妹や周囲にも余計なことを言ってはよく問題を起こした。「事実だから」と言って他人を不愉快にさせたことを認めようとせず、絶対に謝らないという悪い癖があった。

その癖は、認知症になってからますますエスカレート。

「母は気に入らないことがあると、『もうあんたは来なくていい』と言い、私の夫に向かって、『夫さんだけ来てくれればいい』と言います。『市役所に電話して言いつける』とか、ひどいときには、『虐待されてまーす!』と大声を上げたりすることもあります。ヘルパーさんに言われたりされたことが気に入らなかったときは、市役所に電話するふりをしながら、『もしもし! 今家に来ているヘルパーさんに虐待されています!』と芝居を打ったことも……。認知症なのにこんな悪知恵が働くなんて、本当に憎らしいし、わが母ながらあきれます」

さすがにこのときは、温厚なスーパーヘルパーでさえキレた。

こうした様子をカメラで見ていた澤田さんの夫は、「もう施設に入れたほうがいいんじゃないか?」と言い、澤田さん夫婦はケンカになったという。母に対する積年の怒りはある一方、育ててもらった恩も感じている。

「母は、50年以上今の場所で暮らしています。近所の顔見知りや親戚との会話が何よりうれしいのだと思います。家の窓が閉まったままだと、『窓が開いていないけど大丈夫?』とわざわざ私に連絡をしてきてくれる近所の人たちの気配り、思いやりは、本当にありがたいです。こういった環境があるからこそ、要介護3の認知症でも母は一人で生活ができます。私も会社勤めを続けられ、遠隔介護が続けられます」

澤田さんは、帰省の際は近所の人に日頃の感謝を伝えるため、手土産を持っていく。「気持ちは言葉や形にしないと伝わらない」。介護を始めて、より一層強く感じていることの1つだという。

ところが、2022年4月。「母の施設入所を早急に検討しなければ!」と思う事件が起こった。

母親が、テレビのアンテナコードの乱暴に抜き差しを繰り返したため、芯線が壊れ、テレビが映らなくなってしまったのだ。再三「抜いてはいけない」と言い聞かせて、母親に自筆で書かせた貼り紙が家中に貼ってあるにもかかわらずだ。

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隣家の甥やスーパーヘルパーに泣きつき大騒ぎする母親。「テレビが壊れた!」「テレビが見られない!」「○○さんが触ったらテレビが映らなくなった!」と悪態をつく様子を見守りカメラは映し出していた。

周囲に迷惑を掛けた挙げ句、謝罪もお礼もしない母親に、堪忍袋の尾が切れた澤田さんは、仕事を休み、実家に駆けつけた。見ると、スーパーヘルパーがわざわざ購入して設置してくれた新しいアンテナコードは抜けていた。またしても母親が抜いたのだ。

怒りがこみ上げた澤田さんは、母親の肩を押さえつけ、拳を振り上げて頭を叩いてしまった。アルツハイマー型認知症で要介護3。そんなことをしても意味がないことは百も承知だったが、衝動が抑えられなかったのだ。

母親はわざとらしく声を上げ、泣き真似をする。涙は出ていない。澤田さんはなおも手を上げ続けた。その時、アンテナコードを差し込んだテレビから、偶然高齢者虐待のニュースが流れ始め、澤田さんはわれに返る。

「このままではいけない。母の施設入所を検討すべき時なのかもしれないと、強く思いました……」

■エアコンの電源プラグを抜いてしまうという母親の暴挙

「正直、介護は仕事ではないし、報酬もないので、やりがいは感じません。私が母を好きではないこともあるのでしょう。でも、外を歩く時、そんな私でも母と自然に手をつないで歩いたりします。弱い者をいたわる気持ちが自分にもあるのだと思う瞬間です。また、夫が私の母をいたわり、一緒に歩いてくれる姿に、『これが私の家族なのだ』と胸が熱くなります。『結婚してよかった』と思うのは、こんな時かもしれません」

介護費用は、基本的に母親自身の年金を使っているため、夫に経済的な負担を強いてはいない。しかし、時間は大幅にとられるうえ、介護に対する考え方の違いから口論になることがしばしば。そのときが一番つらいと澤田さんは話す。

「父とも良好な関係を築いてくれた夫には感謝しています。夫がいたから父をみとることができました。隣の家のいとこ夫婦や親戚、近所の人にも良くしてもらっています。直接の介護ではないけれど、異変があった時に駆け付けてくれる存在は本当に有難いです。そして、スーパーヘルパーさんは、神がわが家に遣わしてくれた天使です……。介護の苦労は、介護をしなくなる時まで続くと思います。介護は“家族で味わうつらさや苦しさの元凶”の1つだと思います。終わりを望めないから少しでもラクに続けられるように、ない知恵をしぼり、周囲に甘えていろいろお願いしています」

夫やいとこ、スーパーヘルパーや近所の人……。どれ1つ欠けても、澤田さんの介護は成り立たなかった。その他にも、澤田さんには介護経験のある友人や同僚も多く、愚痴を言い合ってガス抜きしながら、何とか仕事と通い介護を両立させている。

2022年8月からは、施設への入所の前段階として、母親にショートステイを体験させてみることにした。

テレビは生死に直接関係しないが、エアコンは直結する。35度を超える猛暑の中、エアコンの電源プラグをソファによじ登って抜いてしまうという母親の暴挙が続いたのだ。

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「私は、母の希望が今の家で暮らすことであることを知っています。なので、施設に入れるタイミングは、母が私のことをわからなくなったらとか、排泄の失敗が続いたらとか、さまざまなアラームがあると思いますが、その時々に判断すればいいと思っています。ショートステイはその第一歩です」

隣近所や親戚に頼れない人も少なくないと思うが、「ちょっと気にかけてもらう」程度でもありがたいものだ。最低限、自分でないとできないことは自分でするしかないが、自分でなくてもよいこと、誰でもできること、自分でないほうがよいことは、それぞれ最も適した相手に任せるほうがよい。それでも悩みや不安、愚痴が出るのが介護だ。絶対に1人で抱え込んではならない。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。
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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)