コロナ(COVID)は世界をどう変えたのか。マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏は「ビデオ会議がこれほど一気に普及するとは予想していなかった。オフィスへの出勤は『過去の遺物』となった。この先10年で、リモートワーク移行はさらに進むだろう」という――。

※本稿は、ビル・ゲイツ『パンデミックなき未来へ 僕たちにできること』(早川書房)の一部を再編集したものです。

■デジタル・ツールはもともと日常の「穴埋め」程度のものだった

この本を書いているあいだ、COVIDのパンデミックによって感染症の領域でいかにイノベーションが加速したかを考えながら多くの時間をすごした。けれども今回のパンデミックは、保健分野でのイノベーションをはるかにこえる急速な時代の変化ももたらした。

2020年3月、世界の大部分が厳しいロックダウンのルールを採用していたとき、多くの人が対面での体験を安全な自宅で再現する術を見いだすよう強いられた。アメリカのような場所では、ビデオ会議や食料品のオンライン・ショッピングといったデジタル・ツールに頼り、それらを新しい方法で創造的に使うことで、その穴を埋めた(パンデミックの初期には、ヴァーチャル誕生日パーティーという考えをとても奇妙に思ったのを憶えている)。

2020年3月は、デジタル化が急激に加速しはじめた転換点として振り返られることになると思う。数十年にわたって世界はどんどんデジタル化されてきたが、このプロセスは比較的ゆるやかだった。たとえばアメリカでは一夜にしてだれもがスマートフォンをもつようになったと感じられるが、実際にはスマホを所有するアメリカ人が35パーセントから現在の85パーセントまで増えるのに10年かかった。

■ビデオ会議によるプレゼンも「無礼」ではなくなった

一方、2020年3月は前例のないときで、多くの分野でデジタルへの乗りかえが一挙にすすんだ。この変化は、なんらかの集団や特定の技術だけのものではなかった。

教師と生徒はオンライン・プラットフォームを頼りに学習をつづけた。会社員は〈ズーム〉や〈チームズ〉でブレインストーミング・セッションをはじめ、やがて夜には友人とオンラインでクイズ大会をするようになった。祖父母は〈ツイッチ〉のアカウントをつくり孫の結婚式を見た。それに、ほぼすべての人が以前よりずっとたくさんオンラインで買い物をするようになって、アメリカでは2020年のインターネット商取引の売り上げが前年比で32パーセントも跳ねあがった。

写真=iStock.com/metamorworks
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/metamorworks

パンデミックによって、さまざまな活動分野で何が許容されるのか考えなおすことを強いられた。以前なら劣っていると見なされたデジタルの選択肢が、突如として好ましく思われるようになる。2020年3月以前であれば、営業担当者がビデオ会議でプレゼンをしたいと言ってきたら、本気で契約をとりたくはないのだろうと多くの顧客が受けとめたはずだ。

■「なんとか用を足す」ものから格段に品質・機能が向上した

パンデミックの前には、基礎的な保健制度をいかに向上させるかビデオ会議で30分話しあいたいと政治家に頼むことなど思いもよらなかった。対面で会うよりも礼を欠くと思われただろうからだ。いまではビデオ会議を提案すると、みんなそのほうが実用的であると理解してオンラインで面会時間をとってくれる。デジタルの手段を一度知った人は、たいていそれを使いつづける。

パンデミックの初期には、多くの技術は「なんとか用を足す」程度のものだった。意図された目的のとおりに使われていたわけではなく、ときにうまくいかないこともあった。この2年間で、今後もデジタル・ツールが求められることがはっきりしたため、品質と機能がすさまじく向上した。こうした進歩をこの先もつづけるには、ハードウェアとソフトウェアをどちらもさらに改良しなければならない。

このデジタル化の新時代は、はじまったばかりだ。デジタル・ツールを使えば使うほど、その改良法についてフィードバックを得られる。それに、もっと創造的にそれを使って暮らしを向上させられるようにもなる。

■テクノロジーは未来の暮らしをどう変えるか

僕の最初の著書『ビル・ゲイツ未来を語る』(西和彦訳、アスキー)は、ようするにパソコンとインターネットがどのように未来をかたちづくるのか、僕の考えをまとめた一冊だった。1995年に刊行され、予言がすべて当たったわけではないが(僕の考えでは、デジタル・エージェントはすでに人間のアシスタントとほとんど変わらないぐらい優秀になっているはずだった)、重要なことをいくつか的中させもした(いまはビデオ・オン・デマンドがあるし、ポケットに入るコンピュータもある)。

本書(『パンデミックなき未来へ 僕たちにできること』)はかなり性質が異なる一冊だ。しかし『ビル・ゲイツ未来を語る』とまさに同じで、根本的には、いかにイノベーションで大きな問題を解決できるかについての本である。それにテクノロジーが暮らしをどう変えるのかについて、僕の考えを一部でも分かちあいたかった。パンデミックのあいだに僕らはアプローチを見なおす必要があったので、この変化はさらに急速に起こるだろう。

■「コーヒーを飲んでから地下鉄で出社」はすっかり過去のものに

僕が好きな著者のひとり、バーツラフ・シュミル(1943〜)が何冊かの著書で使っているおなじみの話がある。若い女性が目を覚まして、インスタント・コーヒーをマグカップ1杯飲み、地下鉄で出勤する。オフィスに着くとエレベーターで10階へ向かい、自動販売機でコカコーラを買ってからデスクにたどり着く。この話のポイントは、シュミルが語る状況が1880年代のものであって、現代のものではないことだ。

写真=iStock.com/Johnce
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ずっと前に初めてこの話を聞いたとき、シュミルが描く場面がとても身近なものであるのに驚いた。しかしパンデミックの最中にこれを再読したときには、初めて彼が過去を描いているように感じた(ただし、仕事の最中にコーラを飲む部分については別だ)。

パンデミックによって永久に変わるあらゆる分野のなかで、最も劇的に変化するのはオフィス・ワークではないだろうか。パンデミックのせいでほぼすべての業界で仕事に混乱が生じたが、オフィス・ワーカーはデジタル・ツールを最も活用しやすい立場にいた。毎日どこかへ通勤してオフィスの机で働くというシュミルが描く状況は、1世紀以上もごく普通のことだったにもかかわらず、過去の遺物と思われるようになりつつある。

これを書いている2022年はじめの時点では、新しい日常がどのようなものになるのか、多くの企業と従業員がまだ模索しているところだ。すでに元に戻して、完全に出社して働くようにしたところもある。すべてリモートにすると決めたところもある。たいていは、そのあいだのどこかで最善のかたちをいまも探っている。

■仕事をめぐる従来の常識がひっくり返されている

僕は実験の可能性にわくわくしている。仕事をめぐる従来の常識がいろいろとひっくり返されてきた。物事を見なおし、効果のあることとないことを明らかにするチャンスがたくさんあるのだ。たいていの企業はハイブリッド方式を選び、社員は週に数日オフィスに出勤することになりそうだが、それが正確にどのようなかたちをとるかについては、かなりの柔軟性がある。

会議のために全員にオフィスにいてもらいたいのはどの日だろう? 月曜と金曜にリモートで働かせるのか、それとも週の真ん中に在宅させるのか? 通勤渋滞を最小限に抑えるために、地域の企業がすべて同じ日を選ばないようにできたらいちばんだろう。

『ビル・ゲイツ未来を語る』での予測のひとつに、デジタル化によって住む場所の選択肢が増え、多くの人が都市から離れた場所に移るというものがあった。これは実現しそうになかったが、そこにパンデミックがやってきた。いま僕はその予測にいっそうの自信をもっている。企業のなかには、オフィスへの出勤は月に1週間だけでいいと判断するところも出てくるだろう。

そうなれば社員は遠くで暮らせるようになる。ほぼ毎日出社しなくてよければ、長距離通勤もあまり苦にならないからだ。こうした移行が起こりつつある初期の徴候がすでに見られるが、雇用者がリモートワークの方針を正式に採用していくにつれて、これからの10年でさらに増えると思う。

■将来は「在宅勤務の希望」も履歴書に書くことになりそう

社員がオフィスにいるのは勤務時間の50パーセントでいいと判断したら、職場をほかの企業とシェアできる。企業にとってオフィス空間の賃料は大きな出費だが、それを半分に減らせるのだ。かなりの数の企業がこれをしたら、家賃の高いオフィス空間の需要は減るだろう。

いますぐに企業がはっきり決断しなければならない理由はないと思う。いまはA/Bテストの手法を試す絶好のときだ。ひとつのチームにあるやり方を試させ、ほかのチームに別のやり方を試させて、結果を比較し、だれにとってもふさわしいバランスを見つける。新しいやり方に慎重になりがちな管理職と、より大きな柔軟性を望む社員とのあいだには緊張が生じるだろう。将来的には在宅勤務の希望も履歴書に書くことになりそうだ。

写真=iStock.com/frema
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■現在の仕事の仕方は2020年3月よりもはるかに洗練されている

パンデミックによって、企業は職場での生産性について考えなおすことを強いられた。かつて別々に存在したブレインストーミング、チーム・ミーティング、廊下での立ち話といった領域の境界線が崩れつつある。職場文化に欠かせないと思っていた構造が変わりはじめていて、今後、新しい日常の働き方に企業と社員がなじんでいくにつれ、この変化はさらにすすむ一方だろう。

この先10年のイノベーションのペースには、たいていの人が驚くと思う。ソフトウェア企業はリモートワークのシナリオに焦点を合わせている。ウォータークーラーの前でたまたまだれかと会うといったような、同じ物理的空間で働く恩恵の多くは、それにふさわしいユーザー・インターフェースで再現できる。

ビル・ゲイツ『パンデミックなき未来へ 僕たちにできること』(早川書房)

仕事で〈チームズ〉のようなプラットフォームを使っているとしたら、2020年3月に使っていたものよりはるかに洗練された製品をすでに使用していることになる。ブレークアウトルーム、文字起こし、さまざまな画面表示のオプションといった機能は、いまではほとんどのオンライン会議サービスに標準搭載されている。ユーザーは提供されている豊富な機能を活用しはじめているところだ。

たとえば僕はオンライン会議の多くでチャット機能をよく使い、コメントを加えたり質問したりする。いま対面で会議をすると、グループの邪魔をせずにできるこの種のインターネット上のやりとりが恋しくなる。

やがてデジタル会議は、対面の会議を単に再現したものをこえる進化を遂げるだろう。リアルタイムの文字起こしによって、いずれは社内の全会議を横断してある話題について検索できるようになる。対処が求められることが話に出たら、やることリストにそれを自動で追加できるようになるかもしれないし、会議の録画を分析して、もっと生産的に時間を使う方法を知ることができるようになるかもしれない。

(マイクロソフト共同創業者 ビル・ゲイツ)