21年前のスクデット獲得に貢献した中田。(C)Getty Images

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 パウロ・ディバラというビッグネームの加入に、ローマのサポーターは熱狂した。タミー・エイブラハムとのコンビに、かつてのフランチェスコ・トッティとガブリエル・バティストゥータの再来を期待する声もある。 さらに、パリ・サンジェルマンからジョルジニオ・ワイナルドゥムも獲得。ジョゼ・モウリーニョ監督の愛弟子ネマニャ・マティッチも加えていたローマは、この夏の補強で高く評価されている。2001年以来のスクデット(優勝)の可能性も騒がれているほどだ。 その21年前の戴冠に、元日本代表の中田英寿氏が大きく貢献したのは周知のとおりだ。伝説のユベントス戦の活躍でチームのトロフィー獲得に一役買った中田氏は、それからわずか5年後の2006年、弱冠29歳で現役引退を決めた。 イタリア・メディア『SCOMMESSE.ONLINE』は8月8日、中田氏の引退後の活動に注目。「ヒデトシ・ナカタがスクデットを獲得した際のローマ・サポーターのアイドルだったことは疑いない。歴代最強の日本人選手のひとりでもあった。しかし、彼の本当の人生は引退で止まることはなかったのだ。その直後から、日いずる国のカンピオーネの、信じられない物語が始まったのである」と報じた。 

 同メディアは「洗練されたボールタッチ、プレービジョン、ゴールセンスを持った昔ながらの10番で、完成された選手。観客からもとても愛された」と選手時代の中田のプレーを称賛。そのうえで、「彼が人生の本当の意味を見出したのは、サッカー界から引退した後のことだった」と続けている。「パルマでの重要な3年とボローニャ、フィオレンティーナ、ボルトンでの冒険を経て、彼は2006年に弱冠29歳でサッカー界を去ると決めた。もはや彼のためではなかった世界にうんざりしたのだ。そしてその瞬間、彼の人生は大きく、だが良い方に変わった」 そして、SCOMMESSE.ONLINEは、「ナカタはまずは旅することを選んだ。人生で多くの場所を見てきたが、ホテルとスタジアムの往復だけだったのだ」と紹介した。「世界を知りたいと望み、3年間で100か国を訪れた。そしてどこに行っても自分だと分かってもらえることに気づいた。それは自分ではなく、世界各地で愛されているスポーツ、サッカーの人気のおかげだと。このポテンシャルに気づき、彼は自分の幸運をお返ししようと、財団をつくり、自分の名声を生かして、地元のNPOを助けると決めた」 世界を渡り歩いた中田が母国である日本を深く知ろうとしたことは有名だ。同メディアも「おそらくは世界で最も有名な日本人であるにもかかわらず、ヒデトシは外国を旅する中で、自分が日本のことをほとんど何も知らないと気づいた。あらゆる人からその文化や街、伝統について尋ねられても、彼は答えることができなかったのだ」と伝えている。「そこで、彼はこの穴を埋めようと決め、母国を隅々まで旅し始める。超ハイテクな都市部だけにとどまらず、それぞれの伝統を見つけに行ったのだ。そうして、彼は自分の人生を本当に完成させたのである」 ローマ時代をはじめとするイタリア・サッカー界での活躍のみならず、引退後の人生にまでスポットライトが当てられる――改めて、その偉大さが感じられた。構成●サッカーダイジェストWeb編集部【画像】「かっこよすぎ」など反響!中田英寿と怪物エムバペの2ショット