「してはいけない」という否定の言葉が子どもを非行に走らせることも(写真:Fast&Slow/PIXTA)

親が「よかれと思って」実践している声かけ・子育てが子どもの未来を呪ってしまっている――。そう語るのは、元法務省でこれまで1万人の犯罪者・非行少年を心理分析してきた犯罪心理学者の出口保行氏。出口氏の最新刊『犯罪心理学者が教える子どもを呪う言葉・救う言葉』は、そんな実例をまとめた子育ての解説書になっている。

本記事はその中から、「気をつけて」という言葉についての解説を抜粋。子どもに危険を知らせるこの言葉が、どうして呪う言葉になってしまうのか。非行少年に限らず、どんな家庭でも気をつけておきたい注意点と解決策を解説する。

※本記事に出てくる実例はプライバシー等を考慮し一部改変しています。

「気をつけて!」と言われ続けた少女・マイの結末

親が子どもに言う「気をつけて」という言葉にはさまざまな注意点がありますが、まずは極端な例を見ていきましょう。私が実際に心理分析した、ある非行少女(仮名マイ)の実例をご紹介します。

マイが幼い頃、両親がレストランを始めました。家族経営の小さなレストランですが、地域ではすぐに人気が出たようです。

忙しい父母にかわって面倒を見てくれたのが祖母のカズヨです。カズヨは公立小学校の校長をしていた教育者で、たったひとりの孫のために全身全霊で教育にあたっていました。

マイの父親は、教師であったカズヨをとても尊敬しており、子育てについてはカズヨに任せっきりだったそうです。

母親はといえば、義母であるカズヨに対し大きな引け目を感じていました。自分が高卒であるのに対して、カズヨは校長を退職後も地域の民生委員を務めるなど、地域の評価が高かったからです。

カズヨはマイを非常にかわいがる反面、心配性なところがありました。何かにつけて「危ないことはしちゃダメよ」「気をつけないとね」と言うのです。

同年代の子がブランコで遊んでいるのを見て、マイもブランコに乗ろうとすると、「おばあちゃんが昔いた学校で、ブランコのチェーンに指を挟まれて大ケガした子がいるの。危ないからやめておこうね」。

川のそばに咲く花を摘もうと土手を下りようとすると、「足をすべらせて川に落ち、亡くなった子がいるのよ」などと話してやめさせていたようです。

「〜してはいけない」ばかりで

マイは小さい頃はあまり疑問に思わなかったものの、小学校高学年になり周囲の子たちが友だち同士だけで遊ぶようになると自分もそうしたいと思うようになりました。

たとえば「みんなでショッピングモールに行くんだって。私も行っていいでしょ?」と聞いても、カズヨは一切認めなかったそうです。

「私は心配で倒れるかもしれない。それでもいいなら行きなさい」

脅しのような言葉に、マイは遊びに行くのをあきらめ、クラスの中でも浮いてしまうことが多くなりました。

中学生になり、塾や部活などの理由がつけられるようになると、さすがにカズヨの監督下から少し抜け出せるようになったようです。

マイは家ではいい子のふりをしつつ、外では不良グループと付き合うようになりました。高校からはティーン誌の読者モデルも始め、洋服やアクセサリーをバンバン買うので、お小遣いはすぐに底をついていました。

大学生になってバイトを始めましたが、金遣いの荒いマイには焼け石に水。思いついたのは、両親のレストランの売上金を盗むこと。多少抜き取ってもバレなかったので、何度も犯行を繰り返しました。

しかし、一度に盗める金額には限りがあります。今度はカズヨのタンス貯金に手をつけました。これまでさんざん自分を抑圧してきた代償を支払ってもらう気持ちで盗るので、とくに悪いことをしている認識はありません。

さらに大金を手に入れたくなったマイは、レストランによく来る高齢者をターゲットに、「うちのお店、3年後にリニューアルオープンして大規模店になる予定なの。いま出資してくれれば、高い配当を得られるよ。でもこれは内緒の話だから誰にも言わないでね」という話をするようになりました。いわゆる、特殊詐欺です。

結果、500万円ほど騙し取っていました。しかし、当然ながら配当をすることはできず、逮捕されることとなったのです。

人の気持ちがわからない悲劇

少年鑑別所で面接をした際、マイは「とくに悪いことをしたとは思っていない。被害者の気持ちとか言われても、金儲けの話に目がくらんだだけじゃん。そんなうまい話に簡単に乗るほうがどうかしている」と話していました。共感能力が低く、被害者の気持ちを想像するのが難しいのもあって、なかなか内省が深まりませんでした。

しかし、少年院に送致され、そこでの面接や更生プログラムを通じて、次第に気づくようになっていきました。

「ああ、私から内緒の話をもちかけられて嬉しいと思ってくれたんだ。私はそれを裏切ったんだ……」

そんなふうに被害者の気持ちを考えられるようになるまで、時間がかかったのは確かです。

マイは同年代の子たちと関わる体験が圧倒的に不足していました。心配性の祖母が何でも先回りして失敗させないように動き、子どもだけで遊ぶことを禁じていたからです。いわゆる過保護・過干渉によって、共感性が育つ機会が奪われていたと言えます。

共感とは、他者の気持ちが自分のことのようにわかることです。その前提には2つあります。ひとつは「人の感情を正確に認知できる」。目の前の人が怒っているのか、泣いているのかといった、感情を表情などから読み取って認知することです。

もうひとつは「人の感情を正確に推測できる」。笑っているけれど、悲しい。冷静にしているけれど、怒っている。認知に基づきながら、相手の気持ちを推測できることが必要です。それではじめて共感能力を発揮することができるのです。

共感性はさまざまな人とのリアルなコミュニケーションから育まれます。ちょっとしたひと言で傷ついたり、ケンカになったり仲直りしたりと、対人関係上の失敗も共感能力を高めてくれます。普通は幼少時に小さなトラブルをいくつも経験しながら、共感性を育みます。自分の言動で相手がどう思うのかを考えることができるようになるのです。ところが、マイはそうした経験ができないままに育ってしまいました。

思春期になって、マイはクラスの中で自分が浮いた存在であることを自覚します。

クラスメイトたちの中でもうまくコミュニケーションをとることができません。自分の話ばかりしたり、余計なひと言を言って相手を傷つけたりしがちでした。仲良くしたくても、どうすればいいのかよくわからないのです。孤独感を感じたマイは、祖母を恨みました。

「おばあちゃんのせいだ。おばあちゃんが何でもかんでもダメだって言うから、私はこんなふうになっちゃったんだ」

そして、祖母の抑圧から助け出してくれない両親に対しても敵意を持つようになりました。レストランの売上金からお金を抜き取るのも、祖母のタンス貯金に手をつけるのも「このくらいやって当然」という感覚です。そうして家庭内窃盗を繰り返すうちに罪悪感もうすれ、投資詐欺に発展しました。

マイに限らず、こうした窃盗や詐欺を行う非行少年・犯罪者は共感性が低い傾向があります。「騙されるほうが悪い」と言って、被害者の気持ちを考えようとしません。

しかし、当然ながら騙すほうが100%悪いのです。

相手が欲にかられたからといって、犯罪をしていいことにはなりません。「騙されるほうも騙されるほうだ」という言い方がされることがありますが、それは犯罪者側の理屈です。

「気をつけて!」がダメな理由

さて、そろそろこの事例を、一般の子育てに応用していきましょう。

マイの祖母カズヨは、かわいい孫に「イヤな思いをさせたくない」「つらい気持ちになってほしくない」という気持ちが強く、何でも先回りして「気をつけて!」と言い続けてきました。よかれと思ってやってきたのです。

しかし、どう見ても過保護・過干渉でした。せめて両親がもう少しフォローできたらよかったのですが、それもありませんでした。その結果、マイは危険を自分で察知して判断する能力が低く、危険なことにも簡単に手を出してしまうようになりました。

同時に共感性が低く、相手の気持ちを推し量ることが苦手になってしまいました。

「気をつけて!」と何でも制止すれば、子どもは経験のチャンスを失います。経験にはポジティブな面もネガティブな面もあり、失敗して落ち込んだりイヤな気持ちになったりすることだってあるでしょう。しかしそれが成長の糧なのです。

たとえばハロウィンパーティーに誘われて行ってみたら、みんな仮装をしていて普段着の自分は恥ずかしい思いをしたとします。すると、次からはどういう服で行ったらいいか事前に確認しようと思うでしょう。自分が人を誘うときは、来てくれた人が恥ずかしい思いをしないようにあらかじめ服装について教えてあげようと思うでしょう。

こういった小さな失敗で致命的なことが起こるわけではありません。先回りして何でも教えていたり、そもそも「パーティーなんてやめておきなさい」と止めていたりしたら、その子は経験ができないのです。

もちろん、本当に危ないことは止めなければいけません。

危険の大きさに関する判断を整理することが大切

子どもが切り立った川岸に向かっているのに自由にさせていてはダメです。落ちたら死んでしまいます。親はまず危険の大きさに関する判断を整理することが必要です。

一番の軸は身体生命の安全に関わるかどうか。それ以外はどこまで許容できるかです。

心配でつい口を出したくなる気持ちはわかります。しかし、親はいつまでもついていてあげられるわけではありません。親が「転ばぬ先の杖」となって転ばせなければ、転んだ経験のない子は自分で何に気をつけたらいいかわからないのです。本当に子どものためを思ったら、あえて失敗させてあげることです。

とくに対人関係の失敗は共感性を育てます。友だちに「誰にも言わないでね」と言って打ち明けられた話をうっかり人に言ってしまった。機嫌が悪いときに友だちがふざけてきたのでカッとしてひどいことを言ってしまった。そんな失敗も学びになります。

もし子どもが「だって〇〇ちゃんはいつも自分勝手だから、バカって言いたくなるのも仕方ないよ」と話したら、「そう思ったんだね」と言い訳を否定せず聞いてあげましょう。

たくさん話しているうちに自分で「でもあの言い方はちょっとひどかったかな。傷ついていると思うから、明日あやまろうかな」と気づくかもしれません。自分ひとりでは内省が深まらないようなら、「〇〇ちゃんはどう感じたかな?」というように促してあげるのがいいでしょう。親の考えを言うのではなく、本人に考えさせてあげることです。

子どもの頃に何を経験したかが、その後の人生に長期的な影響をおよぼします。

年をとってからも学ぶことはできるし、体力は落ちても心理的な発達は続くわけですが、どうしても子どもの頃の経験がベースになります。自立した大人になるためというだけでなく、一生に影響するのだということも知っておいてほしいことです。

反省ではなく、内省を促す

共感性が低く、自己中心的な考え方をしていると、なかなか内省は深まりません。

内省は「反省」に似ていますが、別のものです。自分自身の心に向き合い、自らの言動や考え方について客観的に振り返って分析することです。気づきを得ることを目的にしています。

一方、反省とは、自分の言動や考え方のよくなかった点を振り返り、改めようとすることの意味で使われます。

問題行動があったとき、大人は「反省しなさい」と言いがちです。しかし、残念ながらこの言葉には意味がないことが多いです。

「ごめんなさい。悪いことをしました。もうしません」

そんな言葉を引き出すことに成功しても、本人は心の中で舌を出していることはよくあります。自分自身の心に向き合わないまま、反省の言葉を言わされているだけだからです。

私が見てきた非行少年はとくに反省を表現することに慣れていて、いくらでも言うことができました。それこそお経のように唱えることができるので、感心するくらいです。神妙な顔をするのも得意です。しかし、反省の言葉と表情がどれだけうまくなっても、それが何になるというのでしょうか。


最初はきっと、言い訳をしたに違いありません。

「こういう理由があったから、仕方なかったんだ」

それに対して「言い訳するな! 反省しろ」と余計に叱られるようなことを繰り返すと、言い訳をしなくなります。

「ごめんなさい、私のせいでこんなに迷惑をかけてしまいました。これからは心を入れ替えて頑張ります」

このように反省上手になります。しかし、内省していないので同じようなことを繰り返すのです。

さらには、「反省しなさい」という言葉は抑圧を生みます。その子が抱えている不満を聞いてあげることなく一方的に反省を押しつければ、不満はどんどん蓄積し、いずれ爆発するでしょう。

繰り返しますが大事なのは内省です。自分の言動や考え方を振り返るのが苦手な子に対しては、「どうしてこういう行動をしたの?」「そのときどう思ったの?」と問いかけて内省を促します。「ここがよくなかったよね」「こんなことしたら、相手は怒るに決まっているよね」などと指摘するのではなく、本人に気づかせてあげてください。

(出口 保行 : 犯罪心理学者)