異端発掘!ニッポン「ロック革命的名盤」/「四人囃子」デビュー作にしてテクニカルハード・プログレの最高峰に!

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 74年に発売された「四人囃子」の実質的デビューアルバム(デビュー作は73年の高野悦子の手記を映画化した「二十歳の原点」のサントラ)にして、日本のハード・プログレの最高峰とされるのが「一触即発」だろう。

 ギターの森園勝敏と、キーボードの坂下秀実、ドラムスの岡井大二が結成した「ザ・サンニン」にベースの中村真一が加わり、グループ名を四人囃子に改名。71年5月に行われた「東大5月祭」で鮮烈なデビューを飾り、翌72年4月には、フラワー・トラベリン・バンドの帰国公演でオープニングアクトを務めるなど、本格的テクニカルプログレ・ロックグループとして、音楽関係者から注目を浴びることになった。

 抒情的な歌詞に、ピンク・フロイドやイエス、EL&Pなどのエッセンスを取り入れつつ、ディープ・パープルを代表とするブリティッシュ・ハードのテイストを兼ね備える、当時の日本のロックシーンにおいて類のない、彼らの魅力を詰め込んだのが本作だった。

 ターンテーブルに針を落とした瞬間から始まる、当時、画期的だったメロトロンを使用した「hΛmaebeθ」に続き、プログレ的なアプローチにフォーク調のシュールな歌詞を乗せた「空と雲」「おまつり (やっぱりおまつりのある街へ行ったら泣いてしまった)」が、アナログ盤のA面。そしてB面が12分を超える大作で、ロック史に残る傑作と言われるタイトル曲に、サウンドエフェクトを多用した「ピンポン玉の嘆き」というラインナップ。

 四人囃子のメンバーは当時、まだ20歳そこそこ。しかし、森園の卓越したギターワークと、岡井が叩き出す超変則ビートが入り乱れた表現力豊かなドラミングは、まさに圧巻のひと言に尽きた。

 テクニックに裏打ちされた演奏に加え、ドラマティックな楽曲の構成力は、海外のロックバンドと比べてもなんら遜色がないほど、完成されていた。

 94年のCD化に当たり、佐久間正英が参加したボーナストラック「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」「ブェンディア」の2曲も追加。中村とのべースプレイ聴き比べも価値ありだ。

(山川敦司)

1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。