「奇跡のチーム」大島高校〜激闘の夏(後編)

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「稼頭央、マジごめん。マジごめん。マジごめん......」

 西田心太朗はうめくように繰り返すと、両手をヒザについて顔を伏せた。大野稼頭央も同じ体勢でうつむいたまま、肩を震わせていた。

 鹿児島大会決勝戦の試合直後、グラウンドで閉会式の準備が進んでいる時のことだった。鹿児島実に2対3と惜敗した大島高校の三塁側ベンチ前で、選手たちは泣きじゃくった。西田は9回裏、無死一塁の場面で強烈な投手ライナーを放ったものの、鹿児島実・赤嵜智哉の好捕に遭い併殺に倒れていた。

「ファーストストライクの真っすぐをとらえようと狙っていたんですけど、ゲッツーになってしまって。自分が塁に出ていればもっと違う結果になっていたのかなと。稼頭央が頑張って投げてくれていたのに、こういう結果に終わって本当に申し訳ないです」


西田心太朗(写真左)と大野稼頭央の大島高校バッテリー

孤独と戦い続けたエース

 奄美大島から夏の甲子園へ。その夢ははかなく散った。大野も西田も中学卒業時点で島を出て、誘いのあった鹿児島実に進学する選択肢もあった。

 だが、「島のみんなと甲子園を目指したい」と西田が大島高校への進学を決断。小学生時から島内で対戦してきた大野に「一緒にバッテリーを組みたい」と誘い、ともに大島に進学することになった。大野は幼少期から抱いていた名門・鹿児島実への憧れにフタをし、島内に留まっている。

 高校入学後、急成長した大野の存在はプロスカウトも視察に訪れるほど大きくなっていった。高校2年夏には最速146キロをマーク。2年秋にはエースとして鹿児島大会優勝、九州大会準優勝に大きく貢献。押しも押されもせぬドラフト候補に君臨した。

 だが、「全国ベスト8」の目標を掲げて出場した春のセンバツは、初戦で明秀学園日立に0対8と大敗。拙守に足を引っ張られる格好でもあったが、大野は「立ち上がりから力んでしまった」と反省を口にした。慢性的な腰痛を抱えていた西田も「甲子園に行けてよかったという思いは正直言ってあまりない」と消化不良に終わっている。

 このままでは終われない。そんな焦りが、大野をいつしか孤独にしていた。甲子園に出られた満足感からか、練習に身が入らない部員もいるように見えた。奄美大島の人々からの期待を感じるたびに、大野は「自分がやらないといけない」というプレッシャーに押しつぶされそうになった。

「正直言って、春のセンバツが終わってから『逃げたいな』と思った時期はありました。期待されて、なかなか応えられなくて、キツイなと思ってしまって」

 チーム内には誰も大野に口出しできないムードが充満していた。センバツ後の春季九州大会初戦・小林西戦。思うような投球ができない苛立ちを大野はマウンドで隠そうともしなかった。その試合後、大島は3年生を中心に「本音をぶつけ合おう」と選手間のミーティングを開いた。

 先陣をきったのは、サードを守る前山龍之助だった。「苛立ちを表情に出すなよ」という前山の言葉に、大野は「自分はひとりではない」と気づかされた。

「苦しい時でもみんなが助けてくれたので。最後は『チームのために』と思って、投げられるようになりました」

因縁の鹿児島実に1点差の惜敗

 夏の鹿児島大会準々決勝・出水中央戦では大野が12安打を浴び、6失点と打ち込まれた。それでも、打線がエースを救った。4対6と2点を追う9回裏には、3点を取り返して逆転サヨナラ勝ちを飾っている。

 準決勝の国分中央戦では、今度は大野が快刀乱麻の投球を披露。7回13奪三振の完封勝利で7回コールド勝ちを収めた。

「絶対に夏の甲子園に行くんだと、チームは今、一番いい雰囲気になっています」

 国分中央戦の直後、大野は晴れやかな表情でそう語っている。

 大野、西田バッテリーにとっては、あとは進学するか迷った名門・鹿児島実を破って甲子園に行くだけだった。

 運命の決勝戦。1回表の立ち上がりにヒットを許した大野を助けるべく、捕手の西田が盗塁を刺す。3回表にはバント処理で悪送球を犯した西田を助けるべく、大野が連続奪三振でピンチを切り抜ける。

 そして5回表には、大野・西田バッテリーの真骨頂となる場面があった。

 二死満塁で4番の強打者・永井琳を打席に迎えた場面。大野は西田のサインに2球連続で首を振り、ストレートで空振り三振を奪った。試合後、西田は大野に「首を振れ」というサインを出し続けていたと明かした。

「事前に永井には変化球が合いそうだと分析していたので、勝負球は真っすぐと決めていました。少しでも永井を迷わせたくて、『首を振れ』のサインを出していたんです」

 中盤までピンチをくぐり抜けた大野だったが、今夏をひとりで投げ抜いた疲労もあったのだろうか。大野は6回表に2点、7回表に1点を失い、ビハインドは3点に広がった。大島は9回二死無走者から代打・青木蓮2点適時二塁打で1点差まで迫ったものの、あと一歩及ばなかった。

卒業後はそれぞれの道へ

 試合後、塗木哲哉監督は涙が止まらない大野をこうねぎらった。

「稼頭央、泣くな。これだけのプレッシャーのなかでやってきたんだから、大変だったよな。でも、それが人としての力になるんだ。俺が言うんだから間違いない」

 試合後、涙の乾いた大野はこう語っている。

「この夏は期待してもらっていることをプレッシャーに感じず、逆に力に変えられたと思います。それはこれからの自分にも自信になります」

 一方の西田も「粘り強い打者にも強い気持ちで立ち向かっていけるようになった」と大野の成長を実感したという。

 あらためて「大野投手を大島高校に誘ってよかったですね?」と尋ねると、西田は顔をほころばせて即答した。

「本当によかったです。稼頭央は最高のピッチャーです。夏の甲子園には出られなかったけど、このチームで野球ができて本当によかった。稼頭央には『ありがとう』と伝えたいです」

 今後、大野はプロ志望届を提出し、西田は大学で野球を続ける予定だ。そして、彼らの雄姿を目に焼きつけた奄美大島の野球少年も多かったに違いない。

 島を出るのも、島に残るのもそれぞれの決断であり、第三者がとやかく言うことではない。それでも、大島高校バッテリーの決断と奮闘は、今後の奄美大島球界の歴史を変えるほどのターニングポイントになったのかもしれない。