「奇跡のチーム」大島高校〜激闘の夏(前編)

 マウンドに大島高校の野手が集まる。鹿児島大会決勝戦という大一番の5回表一死一、二塁。0対0の均衡が破れかねないピンチに、三塁側・大島ベンチから背番号14をつけた上原賢寿郎が伝令に走った。

 頭に被ったブカブカの帽子を脱ぐと、上原はツバの裏に書かれた文字を選手たちに披露した。じつはこの帽子は大島の塗木哲哉監督のもので、意外な"おみやげ"にマウンドの輪に笑顔が広がった。再開後は二死満塁までもつれたものの、最後はエース左腕の大野稼頭央が空振り三振を奪いピンチを脱出している。


伝令役としてチームメイトを盛り上げる上原賢寿郎(写真左端)

「今日は僕の帽子を借りていくんだと言うので、渡したんです。賢寿郎はお調子者なので、本人なりにいろいろと考えていたんでしょうね。準決勝で伝令に行った時は、友達の帽子を借りていったみたいです」

 塗木監督は試合後にそう語った。上原からすれば緊張をほぐそうとした行動だったろうが、結果的に大島野球部を象徴するシーンだったように思えてならない。塗木監督の帽子のツバの裏にはこう書かれていた。

「啐啄同時」

「そったくどうじ」と読む。卵の内側から雛が出ようとくちばしでつつき、その動きに呼応して親鳥が外側から卵をついばみ助ける。学ぶ者と教える者の意思が一致して初めて殻を破ることができるという意味で、塗木監督の座右の銘である。

大野のワンマンチームとは呼ばせない

 結果的に大島は決勝戦で鹿児島実に2対3で敗れ、離島から春夏連続となる甲子園出場はならなかった。大島といえばドラフト候補の大野の存在ばかりがクローズアップされてきたが、準々決勝の出水中央戦では大野が打ち込まれるなか、野手陣が奮起して7対6で逆転サヨナラ勝ちを飾っている。

 大野のワンマンチームとは呼ばせない。そんな選手の意地と塗木監督の辛抱が、今夏にいくつもの「啐啄同時」を起こした。

 6番・三塁手の前山龍之助は準々決勝まで13打数2安打と不振を極め、三塁守備でもミスが目立った。本人も「ふがいないプレーばかりで、この3日間ミスが頭から離れませんでした」と語るほど悩みは深刻だった。大会前から控え三塁手の体岡大地(2年)が好調という背景もあり、6月の時点で塗木監督に「夏は体岡くんを使うのですか?」と聞くとこんな答えが返ってきた。

「夏はやっぱり3年生の盛り上がり次第だと思いますから。前山もこのままでは終わらないでしょう」

 7月22日の準決勝・国分中央戦でも、塗木監督は前山を先発で起用している。スタメン落ちも覚悟したという前山は、意気に感じたという。

「スタメンと言われた時は『絶対に期待に応えてやる』と思いました」

 ファーストスイングから快打を放ち、「あ、これはいけるな」と乗った前山は3安打2打点と実力を発揮。チームも7対0とコールド勝ちした。試合後、塗木監督は前山についてこう語っている。

「前山は落ち込んでいましたけど、ずっとバットを振り続けていた子なんです。練習に早くこなければいけない時、最初にくるのが前山で、チームのみんなもそれを見てきました。私はスタメンを替えようという思いはなかったし、スタッフやキャプテンにも聞いて全員一致で前山を使いました」


9回二死から2点タイムリーを放った大島高校・青木蓮

代打・青木蓮の執念のタイムリー

 外野手の青木蓮は春のセンバツでは背番号7をつけながら、慣れない甲子園球場で手痛い守備のミスを犯した。日頃から「ひとりのミスを全員のミスにしない」とチームで補い合うことを大事にしているだけに、チーム内に青木を責める者はいなかった。だが、青木は「守るのが怖い」と感じるほど思い詰めてしまった。

 6月に奄美大島で心境を聞いた際、青木はこんな本音を漏らしている。

「最近は何をやってもうまくいかなくて。捕れない焦りから投げるほうも悪くなって、ひとつ悪くなると全部崩れてしまいました。夏の大会まで時間がないなかでどうやって治すか考えているんですけど、まだ答えが見つかっていません」

 自信を喪失した青木に対して、塗木監督は一時実戦でレフトを避けて起用するなど立ち直る時を待った。やがて青木は「完璧には吹っ切れなくても、残りの最後の夏にかけよう」と、開き直りの境地に達する。バットでチームに貢献しようと切り替えたのだ。

 準々決勝の出水中央戦では代打で途中出場し、同点の犠牲フライを放つなど活躍。塗木監督に「大事な場面で蓮を使おう」と思わせるほどの信頼を勝ち得ていた。

 鹿児島実との決勝戦では、9回二死無走者まで追い込まれたが、エラーとヒット、暴投が絡み二、三塁と最後のチャンスをつくった。ここで塗木監督は青木を代打に起用する。塗木監督には、「蓮なら打つだろう」と確信があったという。

「逆転をかける場面で蓮を出そうと、とっておいたんです。蓮の状態がずっとよかったですし、(相手投手の)赤嵜(智哉)くんのボールがちょうどいい高さに入ってくるようになっていましたから」

 青木が思いきり振り抜いた打球はサードの頭を越え、レフト線の内側に入った。ふたりのランナーを還し、青木は塁上で派手なアクションとともに雄叫びをあげた。三塁コーチャーを務める嶺塁守は、こらえきれず涙を流していた。

 反撃も及ばず敗れた試合後、青木は不思議そうな顔でこう語った。

「試合中、塗木先生から『バットを振っていて』と言われてずっと準備していたんですけど、自分よりあとで準備を始めたふたりが代打で使われて、『自分の出番はないのかな?』と思ったんです。でも、8回裏くらいに塗木先生から『場面がくるから待っとけよ』と言われて、出ることを信じていました。9回に2アウトからちゃんと回ってきて、『やっぱりこうなるようになっていたんだな』と思ったんです」

 思い悩んだ時間が長かったからこそ、報われた喜びは大きいはずだ。だが、高校で本格的な野球にピリオドを打つ青木に「悔いはありませんか?」と聞くと、ほぼ即答で否定の言葉が返ってきた。

「いえ、全然。もう悔いだらけです」

 青木の微笑には、高校野球の厳しさがすべて詰まっていた。

「みんなにお礼を言いたい」

 高校野球はいくら勝ちを重ねても、トーナメントの途中でひとつでも敗れれば敗者となる。大島の夏の甲子園への挑戦は、あと一歩及ばなかった。

 閉会式を終えると、塗木監督は涙を流す選手たちを前にこう語りかけた。

「ナイスゲーム! 泣く必要なんてない。みんながやってきたことはすばらしいことだ。みんなが今までできなかったこと、人からできないと決めつけられたことをやってのけたんだ。『島から甲子園なんて無理だ』『夏の決勝なんて無理だ』『粘り強い試合はできない』とか言われたよな。でも、やればできる。これからも自分の可能性を信じて、みんなの可能性を信じて、人生を生きていけばいい。

 俺からみんなにお礼を言いたい。自分の教え子たちの思いをずっとつなぎながらやってきたけど、その子たちの思いもみんなが甲子園に行ってくれたことで果たしてくれた。うれしかったし、ありがたかった。だから、今回は夏の甲子園には行けなかったけど、みんながやってきた野球を見て、次なる大島高校の後輩たちが達成してくれる日がくる。それをみんなはスタンドで、テレビの前で、職場で応援してやればいい。それが追い風になるよ」

 平和リース球場のスタンドからは、選手たちに向かって「ありがとう、ダイコウ(大島高)!」「よくやった!」などとねぎらいの言葉が次々に飛んだ。

 選手たちが卵の内側で思いきり叩き、外側で待つ指導陣が引っ張り上げる。そんな大島高校の啐啄同時はこの夏、多くの人々の心を動かした。

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