第三部『風の谷のナウシカ』より、ナウシカ=中村米吉 提供:松竹(株)

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ウイルスのまん延や戦争、頻発する銃撃事件と、終末感がいや増しに増す今日このごろ。『風の谷のナウシカ』が発する人類への警告が、皮膚にめり込むように感じられる観劇体験だった。

【全10枚】七月大歌舞伎『風の谷のナウシカ』迫力のステージ写真

皇女クシャナの存在をクローズアップさせたリニューアル版

2019年12月に新橋演舞場で初演された新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』は、大ヒットした映画版(1984年)が原作2巻までのアニメーション化だったのに対し、主演の尾上菊之助の発案で、全7巻分すべてを舞台化するという、壮大な企てのもとに行われたものだった。

全十一段で描かれる『仮名手本忠臣蔵』のように、それぞれの幕に見せ場を設けた全七幕を、昼の部(序幕〜三幕)と夜の部(四幕〜大詰)に分けて一日で上演するというスタイル。中身もたいへんな労作ではあったのだけれど、複雑な全貌を伝えようとするあまりに、逆に茫洋として、焦点がつかみづらい点が否めなかった。

今回は、この昼の部にあたる部分を再構成。小国の少女ナウシカとともに、大国トルメキア王国の皇女クシャナの存在をクローズアップさせた、リニューアル版の前編「上の巻」となっている。

戦争により文明が破壊されてから千年後。有毒ガス<瘴気>を発する菌類の森<腐海>には巨大化した虫<王蟲>が生息し、わずかに残った人間たちはなおも争いを止めず、トルメキア王国と土鬼(ドルク)諸侯国連合帝国の二大列強が対立している。

トルメキアと盟約を結ぶ辺境の小国・風の谷の族長の末娘ナウシカは、父に代わって戦闘に加わることを選び、最前線で戦う勇将でもあるトルメキアの皇女クシャナと行動をともにする――。

中村米吉のナウシカはどこから見ても少女そのもの

今回ナウシカ役に抜擢された中村米吉が、特筆すべき素晴らしさだ。菊之助が演じた初演時の髷物のかつらから、原作に近いミディアムショートになったビジュアルにあわせるかのように、せりふもしぐさも自然で、およそ女方の技術を感じさせない。どこから見ても、すべての命を分け隔てなく愛おしむ、つぶらな瞳の少女そのものなのだ。

脚本(丹羽圭子・戸部和久)も「虫めづる姫君」であることをより強調していて、ナウシカが命がけで王蟲を救おうとし、痛みに寄り添い怒りを鎮め、完全に王蟲に共感できる才能を持つ人物であることに、説得力を持たせている。

スピリチュアルな彼女のパワーを、王蟲の精の示現で見せるところからは、音楽・演出ともに歌舞伎味にギアが入り、青き衣への引き抜きで、次の幕への期待を盛り上げる。

この場面では、菊之助の長男・丑之助の幼き王蟲の精の神々しさが忘れがたい。登場した瞬間に舞台の空気が一変し、これは王蟲の擬人化ではなく、文字通り「精(スピリット)」の可視化に相違ないと思わせる。一挙手一投足に釘付けとなる、畏るべき8歳児だ。

菊之助のクシャナは類型的な性別など超越した趣

菊之助のクシャナは、「白き魔女」の名にふさわしい磁力と美しさに満ち、同時に武将としての統率力と勇敢さを前面に出して、ブレのない冷徹さを漂わせる。女方が見せるか弱げなしなをつくらず、歌舞伎の役柄のひとつである女武道(武芸に秀でた女性の役柄)とも異なる声としぐさで、類型的な性別など超越した趣。

異母兄や父にまで疎まれながら、ほとんど弱みを見せない皇女だが、今回は「夢の場」が新たに加わり、家族のなかでただひとり彼女が敬慕していた生母トルメキアの王妃(上村吉弥)への想いと、哀切な母娘のやりとりが展開する。

ナウシカは、そんなクシャナの孤独に共鳴する力を持っているし、クシャナはナウシカのなかに、かつての自分を見ている部分があるだろう。歌舞伎俳優としての先輩と後輩である両優のシチュエーションも重なって、互いを理解し敬う、清々しくも最強のシスターフッド・ストーリーが立ち現れていた。

宮崎駿作品の普遍性と歌舞伎との親和性を初演時以上に強く感じる内容に

三部制という時間の制約もあり、前回あった二幕目がカットされ、ナウシカの師ユパ(坂東彌十郎)やペジテの王子アステル(尾上右近)、マニ族僧正(中村又五郎)らの見せ場が減ったのは残念ではある。

が、総花的な筋追いを止め、テーマを絞り特定の人物について掘り下げることを優先したのは、賢明な選択。遠くない将来に上演されるであろう「下の巻」では、また別のキャラクターに焦点が当たるのかもしれない。

マスクが外せない日々と世界で残虐な戦争が続くなかで、歌舞伎版『風の谷のナウシカ』を観る日が来ようとは思いもよらなかったけれど、宮崎駿作品の普遍性と歌舞伎との親和性を、初演時以上に強く感じることができた。再演と進化を重ねて、『忠臣蔵』のような歌舞伎の人気狂言に定着することを期待したい。

※尾上丑之助は体調不良のため、7月17日より休演。当面の間、一部演出を変更して上演。

※7月23日以降 全公演中止。詳細は公式サイトをご確認ください。