サガン鳥栖戦で同点ゴールを決め、観客の声援に応える水沼宏太(横浜F・マリノス)

 7月16日、佐賀。サガン鳥栖対横浜F・マリノス戦の後半28分に投入されたMF水沼宏太(32歳)は、すぐに流れを変えた。

 右サイドで幅を取り、深みを作り、プレーに動きを生み出し、鳥栖の守りをぐらつかせる。チーム全体で押し込んだ後の後半40分だった。波状攻撃からゴール前ニアに入ると、クロスを呼び込み、頭でボールの角度だけ変えてネットを揺らした。値千金の同点弾になった。

 水沼は横浜FMで唯一、プレーにリズムの変化を作り出せるアタッカーと言える。スピード、パワーで一辺倒になりがちのチームで緩急をつけ、違いを作れる。5得点6アシストという数字も光るが、それ以上に、チームプレーヤーとして全体を動かすインテリジェンスが傑出している。

 今シーズン、水沼は首位・横浜MFを牽引している。右足クロスの精度はJリーグナンバー1で、伝家の宝刀と言える。6月には月間MVPに選出されているが、年間ベストイレブン、年間MVPの候補のひとりだろう。

 その実りとして、水沼は32歳にして初めて日本代表に招集された。水沼という"遅咲き"
の代表選手の実像とは?

 水沼は、元日本代表の水沼貴史氏を父に持つ。血筋的にはサラブレッドで、それは本人にも誇らしい事実だったが、周りからは嫉妬や批判も受けやすかった。少年時代、知り合いに言われてネットを見たら、ありとあらゆる誹謗中傷が並んでいたという。

「『水沼の息子』と言われることで、メンタルは強くなったかもしれないです」

 拙著『グロリアス・デイズ』(集英社)で、水沼は明るくそう語っていたが、その不屈さが柱としてあるのだろう。

「"条件の厳しい戦いに勝って世間を見返してやる"という思考展開が、自分は得意なんですよ。そもそも、自分は子供のころから、他の人と比べて図抜けた力があると思ったことはなくて、本当に"見返してやる"という気持ちだけでずっとやってきたんです。それで悔しさを晴らした時は、本当にうれしいし、人生、その繰り返しですね」

先発わずか1試合で最多アシスト

 実際、水沼は父がいた横浜FMでは不遇を囲い、J2栃木SCに新天地を求め、泥臭くプレーを続けるなかで成長していった。ルーマニア1部のクラブに武者修行に行き、タフな戦いをする選手に共感したこともある。鳥栖に入団して「不屈さ」に磨きをかけ、実力を示した。FC東京では評価を得られなかったが、セレッソ大阪ではタイトル獲得の中心選手になった。そして原点である横浜FMに戻り、昨シーズンはたった1試合の先発出場ながら、チーム最多、リーグ2位のアシストを記録。今シーズンは中心選手の座を勝ち取り、代表の座をつかんだ。

 水沼は"起伏"のなかで居場所を作ってきた。負けない、めげない、へこたれない。その精神が原点にある。そして特筆すべきは、苦境やライバルを少しも恨むことがない点にあるだろう。反骨心は復讐心にも似て、しばしば暗さを伴う。ところが彼にはそれが一切ない。とことん明るく、朗らかに振る舞うことができる。明るさと言っても、はしゃぐような類のものではない。明朗さは集団スポーツではひとつの才能である。

 E−1選手権に挑む日本代表でも、水沼の明るさはチームに好影響を与えるだろう。 

 ひとりの戦力としても、そのクロスは強力な武器になる。彼ほどの精度でクロスを上げられる日本人選手はいない。代表のレギュラーは、圧倒的なスピードを誇る伊東純也、中に入って左足でのプレーを得意とする堂安律、久保建英が有力だが、まったく色合いが異なる。サイドバックを引き出し、インサイドハーフと連係し、ゴール前に入る賢さもある。代表メンバーが26人に増えただけに、最後のピース候補と言えるだろう。

「(水沼)宏太は幼い頃から、物事をあきらめずに続ける強さがあった」

 『グロリアス・デイズ』のなかで、水沼貴史氏は父としてそう証言していた。

「小5の時、宏太は二度も右足中足骨を骨折している。サッカー選手として一番、技術が身につく時にボールを蹴ることができなかった。あいつをソファに座らせ、ソフトボールを左足に投げ、戻させる練習をしたのを覚えているよ。それに子供の頃の宏太はFWで、シュートをバンバン打っても入らなくて批判的な声も出た。それでも、あいつは打っていた。とにかく諦めなかった」

 エリート然としなかったことが、水沼を不屈の選手として強くしたのかもしれない。体が大きくもなく、特別に足が速くもなかった彼は、常にプレーと向き合ってきた。がむしゃらに走りながら、どうしたらチームのプレーがうまくいくのか、自分のプレーは生きるのか。その答えを試合の中で探ることで成長することができた。

 その結実が、今回の代表初招集なのだろう。

「夢のスタートラインに立ったと思っています。(代表でも)自分らしく戦えるように頑張ります」

 E−1選手権に向けての、水沼の決意表明である。