離島から甲子園出場、奇跡のチームに異変? 大島高校は「ずっと勝てていない。どん底です」
【短期連載】離島から甲子園出場を叶えた大島高校のキセキ 第1回
平日の練習は2時間大島高校の駐車場にレンタカーを停め、あたりを見回す。ささやかなテニスコートはあっても、運動場が見当たらない。近くにいたジャージ姿の女子生徒に「野球部のグラウンドはどこですか?」と聞くと、まず「歩いていかれるんですか?」と問い返された。
歩いていけないような場所にあるのかと尋ねると、その生徒は「行けなくはないですけど......」と言って、数十メートル先にそそり立つ急坂を指さした。
「あの山の上です。車高の低い車だとこすりますよ」
そんな物騒な助言を受けては、レンタカーで登る冒険はできなかった。汗を飛ばしながら体感45度の急坂を100メートルほど登ると、その先に土のグラウンドが広がっていた。
大島高校の全体練習は50分程度で、あとは自主練習にあてられている
奄美大島に「海が美しい観光地」のイメージを持っていた身としては、奄美空港の周辺から小高い山々が連なる光景に面食らってしまった。奄美大島の面積の大半は山地で占められている。
島の中心街にある大島高校も、運動部のグラウンドは「上部グラウンド」と呼ばれる高台にある。エース左腕の大野稼頭央は「至近距離でイノシシに遭遇したことがあります」と言っていたが、納得のロケーションである。草むらにボールが紛れると、野球部員は専用のトングで草をかき分け、ボールを探す。野生のハブに噛まれないようにするためだ。
扇形の決して広いとは言えないグラウンドを野球部、サッカー部、ラグビー部、女子ソフトボール部でシェアする。離島の高校という特殊事情だけでなく、練習環境も恵まれているとは言えない。在校生の大半が島外の大学への進学を目指す進学校でもあり、野球部の平日の練習時間は2時間に満たない。
── 本当にこの環境から甲子園に出たのだよな......。
あらためて、しみじみと実感する。奄美大島は本州と沖縄本島の中間に位置する離島である。FMラジオをつければ三線の音色が流れ、そこかしこに沖縄のような南国ムードが漂う。
身体能力は決して高くない大島高校の野球部員は公式戦や練習試合のたびにフェリーに乗り、12時間前後の海路で鹿児島に渡って試合をする。植直之副部長は「フェリーから降りたあとも、しばらくは地面が揺れているような錯覚を起こすんです」と教えてくれた。
そんなハンディがあるにもかかわらず、大島は昨秋の鹿児島大会で優勝。さらに九州大会では準優勝と躍進し、選抜高校野球大会(センバツ)出場を決めた。今春のセンバツは明秀学園日立(茨城)の前に0対8と完敗したものの、今夏の鹿児島大会でも優勝候補の一角を占める実力校である。
練習環境だけを見れば、ごく普通の公立高校のそれに近い。だが、大島が特殊なのは、グラウンドには密着取材するテレビカメラのクルーがおり、複数人体制で視察に訪れたプロスカウトがいることだ。
平日の全体練習はわずか50分足らずで終わった。その後は自主練習の時間となり、バックネットに向かって打ち込む者、ノックを受ける者、それぞれの課題に取り組む。
自主練習の時間が長いのは、塗木哲哉監督の方針である。
「島の子は反復練習を嫌わずにできます。たとえばティーバッティングをやるなら、休まずに延々と同じ練習ができる。だから技術が身につくのでしょうね」
目を奪われるようなパフォーマンスを見せる選手もいれば、ごく平凡な力量の選手も混在する。島の子どもと言えば身体能力が高いイメージがあるが、大島の指導者は「鹿児島市内の子のほうが身体能力は高い」と口をそろえる。
かつて奄美大島北部地区の中学選抜チーム「奄美クラブ」を率い、2008年の全日本少年軟式野球大会ベスト8に導いた実績のある奥裕史コーチはこう証言する。
「10数年前より奄美の中学野球のレベルは落ちていますし、選手たちのお父さん世代のほうが身体能力は高かったですよ。以前は100メートルを11秒台で走るような子がチームに4〜5人はいましたけど、最近はいませんから」
島内を走るバスで通う部員もいるため、練習は18時には終了。グラウンド整備や片づけをして、選手は帰宅する。
キャプテンの武田涼雅に今のチーム状況について聞くと、意外な答えが返ってきた。
「去年の秋の九州大会決勝からずっと勝てていないので。チームはどん底だと思います」
奇跡のチームに何が起きているのか。時計の針を3月のセンバツに戻してみよう。
(つづく)