不合理な要求を繰り返すクレーマーにはどう対処すればいいのか。国際弁護士の射手矢好雄さんは、「不条理な主張に対しては、そもそも“交渉”に応じる必要はない。開き直った態度を取ってしまえば、相手は何もできなくなる」という――。(第3回)

※本稿は、齋藤孝・射手矢好雄『BATNA 交渉のプロだけが知っている「奥の手」の作り方』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。

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※写真はイメージです - 写真=iStock.com/takasuu

■“嫌な人”を相手にどう交渉するか

交渉をしていると、相手が妙に頑固だったり、「絶対に妥協しない」という雰囲気を出したりしてくる場合もあります。

あるいは、押しが強くて強引だったり、ちょっとずるい人だったりと、あなたにとって“嫌な人”の場合もあります。そんな相手には、どのように対応すればいいのでしょうか?

実はこれも、「交渉の7つのカギ」(第1回記事「『これが中国のルールだ』国家マウントしてくる中国企業に国際弁護士が突きつける“奥の手”」参照)における〈利益〉の分析から突破口が開けます。

「この交渉でなにを実現しようとしているのか?」
「本当に大切なものはなにか?」

交渉で得たい成果=〈利益〉は、自分だけでなくその“嫌な人”にもあるはずです。そこで、まず相手が「なにを求めているのか」を探りましょう。

態度だけを見ると、確かに相手は“嫌な人”かもしれませんが、こちらが感情的にさえならなければ、相手が追求しているものを冷静に見極めることはできるはずです。

それさえ見極めることができれば、自分の〈利益〉とともに、相手の〈利益〉も達成できる〈オプション(選択肢)〉を提示すればいいのです。

たとえ相手が妥協しない雰囲気を出していても、得たい〈利益〉を提示されて譲らない人はほとんどいないので、相手がどこまでの条件なら譲歩するのか、〈オプション〉の提示によって探ることができます。

■好きなものを探って「武装解除」にトライ

場合によっては、交渉用語でいうところの「武装解除」を先に試みましょう。武装解除とは、〈コミュニケーション〉を通じて相手の心を解きほぐしていく作業になります。

どんなに“嫌な人”でも頑固な人でも、こちら側にとって嫌であったり頑固であったりするだけで、当然その人にも「好きなもの」はあります。

例えば、その人は落語が好きかもしれないし、囲碁が好きかもしれないし、お酒が好きなのかもしれません。そんな「好きなもの」を、まず会話という〈コミュニケーション〉から探り出していき、相手の武装を解除していきましょう。

そうして、少しずつ「相手がなにを欲しているか」という〈利益〉の分析に近づいていくといいと思います。

自分にとって嫌な相手だからこそ、むしろ自分の「嫌だ」と感じる感情から離れる姿勢が大切になります。

感情的には難しいかもしれませんが、相手には必ず突破口になり得る〈利益〉があるはずです。

その〈利益〉にアクセスするために、まずは〈コミュニケーション〉で武装解除して、しかるべき交渉に持ち込んでいきましょう。

■相手に「他にたいした選択肢はない」と匂わせる

こちらがなにをしても相手が譲らなかったり、不条理な行動をされたりしたら、もう〈BATNA〉という奥の手を出すしかありません。

「わかりました。そうであればあなたとは取引しません」と伝えて、交渉を打ち切ることになります。

〈BATNA〉はBest Alternative To a Negotiated Agreementの略で、「A社と話がまとまらなければB社に持っていこう」というように、目の前の相手と交渉が成立しないケースをつねに考え、あらかじめ持っておくべき「最良の代替案」のことです。

ただし、交渉を打ち切って自分の〈BATNA〉を取る前に、「相手の〈BATNA〉つぶし」を試してみるのはいい方法です。

〈合意〉しないということは、相手もまた自らの〈BATNA〉を取ることになるので、このときに、「もし取引をしないなら確実に損をしますよ」「この取引以外にたいした選択肢はないですよ」とちらつかせることが、効果的になる場合がとても多いのです。

■重要なのは相手の〈BATNA〉と〈利益〉の分析

「〈BATNA〉つぶし」は伝え方が難しい場合もありますが、要は、「こんないい話を断るのですか?」というニュアンスが相手に伝わればいいのだとシンプルに考えてみてください。

そのためには、やはり相手の〈BATNA〉を知っておくことが欠かせません。相手の〈BATNA〉は、相手の〈利益〉や〈オプション〉を客観的に分析するなかである程度推測できますが、それに加えて、〈コミュニケーション〉によってふだんから探っておくのも大切です。

相手が自らの〈BATNA〉を具体的にいわない可能性もあるため、その場合は推測になりますが、立ち戻るべきは相手の〈利益〉の分析です。そのうえで、相手が〈BATNA〉を取ることで、いかに大きな〈利益〉を逃してしまうかを伝えていけばいいのです。

■トラブル対応の究極の手段「どうぞどうぞ」

ビジネスでは、ときに思わぬトラブルに見舞われることがあります。トラブルの種類は様々ですが、どんな業界や仕事でもありがちなのは、クレーマー被害やSNSなどでの炎上、ランサムウェアなどのサイバー攻撃などが挙げられます。

「〈BATNA〉つぶし」は、目の前の交渉を〈合意〉に持ち込みたいときだけでなく、このようなトラブル対応の究極の手段としても役立ちます。

どういうことかというと、例えば「言うことを聞かないと訴えるぞ」といったクレームに対して、当初は相手の言い分を誠実に聞きますが、あまりに不合理な主張であれば「どうぞやってください」という態度を取ってしまうのです。

相手はなんらかの交渉を欲していて、交渉が成立しないなら〈BATNA〉を選ぶ(この場合はこちらを訴える)わけなので、「どうぞどうぞ」といって、あらかじめその〈BATNA〉をつぶしておくのです。

■実際の訴訟で損をするのは脅した側

実際に訴訟になると、損をするのは脅しをかけた側ですから、「〈BATNA〉つぶし」だけで多くのトラブルは収まります。仮に、実際に訴えられたとしても、粛々と対応すれば、悪い結果にはなりません。

写真=iStock.com/William_Potter
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/William_Potter

これらのトラブルで相手はなにをしているのかというと、「危害を加える」と匂わせて、相手に服従を強いようとしているのです。ランサムウェアなどの身代金要求も同じで、「身代金を払わなければ機密情報をばらす」という脅しに過ぎません。

でも考えてみれば、相手は情報を流すだけでは一文の得にもならず、むしろ罪が重くなるだけです。身代金を取ってはじめて、相手の〈利益〉は達成されるからです。

つまり、トラブルに見舞われたときはいかに恐怖心を取り除くかが重要であり、「ばらしたいならどうぞやってください」「たいした内容じゃありませんから」と開き直ることが、必要な対応策になるのです。

■複数人で対処し恐怖心を取り除く

人の恐怖心を利用したトラブルの事例は、ほかにもたくさんあります。極端な例では、暴力で脅される場合も同じです。

実際に暴力を振るうと傷害罪になるので、「どうぞやってみなさい」という態度を取ると、暴力に訴える人はほとんどいなくなります。

齋藤孝・射手矢好雄『BATNA 交渉のプロだけが知っている「奥の手」の作り方』(プレジデント社)

もちろん、トラブルにひとりで立ち向かうとどうしても恐怖心が勝ってしまうので、警察などの法的機関や客観的な第三者に相談し、複数人で問題に対処することが大切です。

これは、「こころの健康電話相談」や各種SOSにも通じることで、自分ひとりで考えると目の前が真っ暗になりがちですが、誰かに相談すると、生きていくための〈オプション〉がたくさんあることに気づき救われます。

まとめると、ビジネスでなんらかのトラブルに対処するときは、相手の脅しに決して乗らないことによって、相手の〈BATNA〉を徹底的につぶす方法が有力です。そして、複数人で対処にあたるのがよいでしょう。

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射手矢 好雄(いてや・よしお)
国際弁護士
1956年、大阪府生まれ。弁護士、ニューヨーク州弁護士。アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー。一橋大学法科大学院特任教授。京都大学法学部卒業後、ハーバード大学ロースクール修了。2022年度より日本交渉学会の会長を務める。M&A、紛争解決、海外法務を専門とし、中国をはじめインド、タイ、ベトナム、インドネシアなどとの国際ビジネス交渉に従事。編書に『中国経済六法2022年増補版』(日本国際貿易促進協会)、監修書に『2021/2022 中国投資ハンドブック』(日中経済協会)、齋藤孝氏との共著に『うまくいく人はいつも交渉上手』(講談社)がある。
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(国際弁護士 射手矢 好雄)