止まらない近本の連続試合安打 その裏に隠されたディマジオ、イチローら先人たちが残した記録の偉大さ

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 阪神・近本光司が1日の中日戦で2安打し、連続試合安打を「27」に伸ばした。2011年にマートンが残した球団記録の「30」にあと3。高橋慶彦(広島)が1979年に残したNPB最長記録の「33」も視野に入ってきた。

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 「27」とした時点で、1951年の岩元義行(松竹)、1964年の広荑叔功(南海)、2008年のラミレス(巨人)、2019年の西川龍馬(広島)、そして昨年の松原聖弥(巨人)に並んだ。

 すでにバースの「25」、大豊泰昭の「26」を上回り、球団単独3位に浮上。「28」の桧山進次郎に王手をかけている。1日もマルチ安打と好調に陰りは見られず、記録がどこまで伸びるかに注目が集まる。

 もっとも海の向こうにはよりアンタッチャブルな記録が残っている。ジョー・ディマジオ(ヤンキース)が1941年に残した「56」は、不滅の金字塔としてディマジオの代名詞のように語り継がれている。

 ディマジオは5月15日のホワイトソックス戦から、7月16日のインディアンス戦まで2カ月以上にわたって打ちまくり続けた。7月17日の同戦で途切れたが、その翌日の同戦からなおも16試合連続安打を放った。もし17日の試合で1安打でもしていたら記録は「73」まで伸びていたという計算だ。

 日本人最高のヒットマンといえば、誰もが思い浮かべるのがイチローだろう。イチローのNPB時代の連続試合安打記録は「23」。オリックスで大ブレークを果たした1994年に記録した。

 イチローのメジャー移籍後の連続試合安打記録は、NPB時代を上回る「27」。2009年にマークされた数字はマリナーズの球団記録として、未だにさん然と輝き続けている。今回、近本はオリックス時代のイチローの記録を抜き、マリナーズ時代の金字塔にも肩を並べたことになる。

 もっとも一部マニアの間で語り草になっている裏記録も存在する。それがイチローが2軍戦で2シーズンにまたがって続けた「46」試合連続安打だ。

 高卒1年目の1992年6月20日の広島戦から、翌1993年8月8日の阪神戦まで。当時は1、2軍を行ったり来たりという立場にあり、安打を放った試合は飛び飛びではあるのだが、1年以上にわたって2軍戦で安打を放ち続けたのだ。

 翌1994年には鈴木一朗から「イチロー」に登録名を変えて、大ブレークを果たすことになる。前述した1軍での「23」試合連続安打を残したのもこの年だ。しかもこのシーズン、2度にわたって「23」を記録している。記録が途絶えた際には四球もついてまわり、連続試合出塁に括れば「69」まで数字を伸ばしていた。これは今も残るNPB記録だ。ちなみに2位も翌1995年にイチローが残した「67」。当時のイチローの別次元の打撃が浮き彫りになる数字だ。

 先人たちの偉業は功績の大きさを押しつけてくるかのようだが、今は現在進行形の近本に目を向けたい。高橋慶彦の記録も迫りつつ、歴代2位の1971年長池徳二(阪急)の「32」、同3位の2015年秋山翔吾(西武)の「31」も視界に入る位置まで来た。なかなかチームの成績が上がらず気持ちの上でも難しいところかもしれないが、1つでも多く数字を積み上げてもらいたい。

[文/構成:ココカラネクスト編集部]