南野拓実、リヴァプールでのゴール数で上回った有名FW11人
モナコへの移籍が決まった南野拓実がリヴァプールで決めた通算得点は14ゴールだった。
ここではリヴァプールでの得点数が14に満たなかったFWたちを取り上げてみる。
イアゴ・アスパス
1ゴール(15試合)
2013年に加入したスペイン人FW。
セルタのエースだった秀英レフティは背番号9を託されたものの、ノーインパクトに終わった。チェルシー戦でやってしまった最悪のコーナーキックが悪い意味で伝説に…。
ON THIS DAY in 2013 #LFC signed Iago Aspas..https://t.co/ZxP6QTY07e pic.twitter.com/ApdxNZiD3o
— Liverpool FC News (@LivEchoLFC) June 23, 2016
当時はルイス・スアレスとダニエル・スターリッジが大活躍しており、アスパスは「自分があのレベルでプレーできないことは理解していた」と後に語っている。
だが、復帰したセルタでは通算得点数がクラブ史上1位になるなど完全なレジェンドになった。
ファビオ・ボリーニ
3ゴール(38試合)
弱冠16歳の時にチェルシーに青田買いされたイタリア代表FW。
カルロ・アンチェロッティ監督が惚れ込むほどの才能を持っており、ローマでブレイクを果たすとEURO2012にも出場した。
ただ、スウォンジー時代の恩師であるブレンダン・ロジャーズ監督に誘われる形で加入したリヴァプールでは期待されたほどの活躍は見せられず。
リッキー・ランバート
3ゴール(36試合)
下部リーグから這い上がり、30代になってからイングランド代表デビューを果たした苦労人FW。
吉田麻也ともプレーしたサウサンプトンではレジェンド的存在だ。32歳にして故郷のリヴァプールへ凱旋移籍する夢を叶えたが、不発に終わる。
本人は「リヴァプール行きを決めた時、レギュラーの地位を犠牲にした。そして、その時から(サッカーへの?)愛が冷め始めた。ベンチ要員になることを決して受け入れるべきではなかった」と語っている。
マリオ・バロテッリ
4ゴール(28試合)
類稀なる才能と数々の奇行でその名を轟かせてきた元イタリア代表FW。
2014年にリヴァプールに移籍してプレミアリーグに再降臨したものの、期待を裏切る結果に終わった。
本人は「(リヴァプール移籍は)俺の人生で最大のミス。ファンは別だよ。彼らは本当にファンタスティックな扱いをしてくれた。あと選手もだ。彼らとはいい関係を持っていた。でもクラブは好きじゃない」と述べている。
ただ、当時同僚だったランバートからは「練習での態度がなっていなかった」と批判されている。
ニコラ・アネルカ
5ゴール(22試合)
クレールフォンテーヌ(仏国立ユースアカデミー)の最高傑作と謳われた元フランス代表FW。
PSG、アーセナル、レアル・マドリー、マンチェスター・シティ、チェルシー、ユヴェントスなど錚々たるクラブでプレーしたが、唯我独尊的な性格が物議を醸すことも度々だった。
2002年1月、PSGからのローンで加入するとリヴァプールで半年だけプレー。
後年、本当はリヴァプールに残りたかったものの、当時のジェラール・ウリエ監督から低い給与を提示されたので退団したと語っている。
そのうえで、「完璧な組み合わせだったので、自分史上最大の後悔だ。全てが完璧だった。あのクラブの全てを愛していた。ファンとも素晴らしい関係を築けた。振り返ると、あの歴史的クラブのユニフォームを着て、アンフィールドと素晴らしきファンたちを知れたのは誇り」とも述べている。
エル・ハジ・ディウフ
6ゴール(80試合)
2002年の日韓ワールドカップで“セネガル旋風”を巻き起したヤンチャ系FW。だが、期待されたリヴァプールでの3年は失望に終わった。
後年、プレーしたのを後悔したクラブはあるかと聞かれると、「リヴァプール。同じチャンスがあったら、マンチェスター・ユナイテッドかバルセロナに行く。当時2チームとも俺を欲しがっていたからね」と発言。
また、スティーヴン・ジェラードが「ディウフは私がもっとも嫌いなチームメイトの最上位だった」と自伝に記すと、ディウフは「ジェラードはクソ、キャラガーは無能」と応戦しており、リヴァプールとの関係は完全に崩壊している。
アンドリー・ヴォロニン
6ゴール(40試合)
リヴァプールで10番を背負ったウクライナ代表FW。
全盛期はスピード、運動量、献身性、高いシュート意識を持ったフォワードとして活躍した。代表では絶対的エースのアンドリー・シェフチェンコを補佐する役割に尽力。ただ、リヴァプールでは期待とは裏腹に不発に終わった。
ロビー・キーン
7ゴール(28試合)
146試合・68ゴールというアイルランド代表史上最多出場記録と最多得点記録を持つレジェンドFW。
2008年夏にトッテナムからリヴァプールに移籍するも、わずか半年後の翌年2月に古巣スパーズに復帰。少年時代に応援していたリヴァプールでは無念の結果に終わったが、本人はこう述べている。
「自分がやったことは何一つ後悔していない。
あそこにいったのは間違いではなかった。何らかの理由でうまくいかなかっただけさ。
ラファ(・ベニテス)のプレースタイルにフィットしなかっただけだ。
もし違う監督だったら、うまくいっていたかもしれない。
プレーするためにできることは全てやったし、チームに尽くした。それが最も大事なことだ」
クリスティアン・ベンテケ
10ゴール(42試合)
2015年、当時のクラブ史上で2番目に高額だった3250万ポンド(62億円)もの移籍金で引き抜かれたベルギー代表FW。
だが、シーズン途中に就任したユルゲン・クロップ監督のもとでは序列が下がり、わずか1年で退団することに。
その後、移籍したクリスタル・パレスでは深刻なゴール欠乏症に陥ることもあったが、「自分は今のリヴァプールでもやれる」と発言して話題になった。
アンディ・キャロル
11ゴール(58試合)
2011年1月、チェルシーに移籍したフェルナンド・トーレスの後釜として、ルイス・スアレスとともに加入した大型ストライカー。
当時乗りに乗っていた彼を引き抜くためにリヴァプールは当時のクラブ最高額となる3700万ポンド(56億円)もの移籍金を支払った。
だが、スアレスが頼れるエースに成長した一方、キャロルはチームにフィットし切れず、期待外れに終わっている。
フェルナンド・モリエンテス
12ゴール(61試合)
レアル・マドリーで272試合に出場し、通算100ゴールを決めた「心優しき」FW。
非常にクリーンなプレーで知られ、オフザボールの動きは抜群だった一方、強引なゴールは奪えないという弱点もあった。
【写真】日本人選手が2人!「プレミア史上最高の“マイナー国”助っ人10人」」
リヴァプールでは12ゴールに終わるが、親友であるラウール・ゴンサレスが故障中によくアンフィールドに試合を見にきていたそう。