前田美香さん(仮名・43歳)は、奨学金440万円を借りて看護師・保健師になった女性。しかし、一定期間、指定された病院で働くことで奨学金の返済が免除になる「お礼奉公」で、思わぬ落とし穴にハマることに(写真:OneShotFilms/GettyImages)

これまでの奨学金に関する報道は、極端に悲劇的な事例が取り上げられがちだった。

たしかに返済を苦にして破産に至る人もいるが、お金という意味で言えば、「授業料の値上がり」「親側におしよせる、可処分所得の減少」「上がらない給料」など、ほかにもさまざまな要素が絡まっており、制度の是非を単体で論ずるのはなかなか難しい。また、「借りない」ことがつねに最適解とは言えず、奨学金によって人生を好転させた人も少なからず存在している。

そこで、本連載では「奨学金を借りたことで、価値観や生き方に起きた変化」という観点で、幅広い当事者に取材。さまざまなライフストーリーを通じ、高校生たちが今後の人生の参考にできるような、リアルな事例を積み重ねていく。

今回話を聞いたのは大学病院でのいわゆる「お礼奉公」を経験した、看護師で保健師の前田美香さん(仮名・43歳)。

奨学金の中には、看護職や理学療法士の仕事に就く意思がある者に対して、奨学金(修学資金・貸付金とも)を貸与する、いわゆる看護奨学金と呼ばれる制度がある。看護学校や医療系の学校に通い、卒業後に指定の施設で働けば、奨学金の返還額の全額または一部が免除される。

3きょうだいの末っ子で、奨学金が必須だった

「奨学金を借りた理由はふたつあって、まず、私が3人きょうだいの末っ子だったこと。父は就職氷河期に就職活動を経験したため、『これからどうなるかわからないから、医療系の資格は絶対持っとけ』と、3人の子どもたちには医療従事者を勧めて、実際に3人ともその道に進んだんです。

でも、姉と兄の進学に際して結構な金額のお金を使ってしまって、私の分は残されてなかった。また、私が中学・高校の時に母親が入院していて、その入院費が結構かさんでいたのも影響しました」

そんな家庭状況だったが、父親の気持ちに応えるため、前田さんは3年制の看護の短大に入学。公立だったため、学費は安く、実家から通える距離でもあった。

「入学金や学費は相当安かったです。とくに地元の人間は優遇されるので、入学金も10万円程度で、学費も月2〜3万円。3年間で100万円程度しかかかってないので、親孝行ですよね。

一方で、借りたのは第一種奨学金(無利子)を120万円と、卒業後は地元の200床未満の病院で5年間働けば返済が免除されるお礼奉公付きの奨学金(修学資金)を120万円で、合計240万円。学費を考えると、ちょっと借りすぎですよね」

つまり、学費の倍の奨学金を借りたわけだが、その選択は間違いではなかった。看護師の資格を取得したのち、保健師の資格を取るために他県の国立大学に編入したのだ。そこに2年間通ったため、学生生活は合計すると5年間に及んだ。

「当時はまだ保健師という職業ができたばかりで、周囲に目指している人もいませんでした。でも、看護師に加えて保健師の資格もあったほうが、給与面でかなり変わってくるんですよ。それに、看護の業務だけではなく、特定保健指導、人間ドック受診者の面談、患者の健康指導など仕事にバラエティーが出るんですよね」

珍しいルートを歩むことになった前田さんだが、公立短大から国立大学へ進み、両親は喜んだ。

「卒業すれば学士だし、父親は国立ブランドというのが、いかに大事なのかということを昔から語っていましたしね。編入することで3年間借りた奨学金の返済は、まだ学生ということで2年間延ばしてもらいました。そして、国立といっても公立よりは学費が高かったため、新たに第二種奨学金(有利子)を200万円借りました。これで総額440万円ですね」

大学病院に就職も、職場が絶望的に合わず…

こうして、看護師であると同時に保健師にもなった前田さんは、卒業後は奨学金(修学資金)返済免除の指定施設のひとつであり、かつて通っていた短大の附属病院に就職する。

「1年目なので保健師よりも看護師の業務がメインになるのですが、大学病院というのが本当に自分には合いませんでした。内科から眼科まで混合という、なんでもやる病棟の仕事に慣れることができず、毎日17時上がりのはずが23時ぐらいまで残っていて、それでも仕事が終わらない。出来が悪いと言いますか、怖い先輩から『仕事の優先順位考えろ』と言われても、全然考えられないし、本当に飲み込みが遅かったんですよね」

看護師に限らず、どの世界でも1年目とはそういうものだが、どうにも前田さんと大学病院は相性が悪すぎたようだ。

「監督者にも『自分の身の丈に合うような、もっと小さな病院で働いたほうがいい』と言われる始末でした。だけど、奨学金返済免除の条件は『200床以上の病院で5年間働くこと』だったので、5年間働かないと120万円を自費で返さなければなりません。だから、辞めたくても返済免除のために今の仕事を辞めるわけにはいかない……。

当時は友達も少なかったし、相談できる仲間もおらず、外に遊びに行くこともないので、休みの日は寮の自室にずっと引きこもって鬱々としていました」

同級生から「ビジネスの誘い」が…

奨学金(修学資金)が、仕事を辞めたくても辞められなくする、「枷」のようになってしまったが、ここから話は急展開する。

「寮の自室で塞ぎ込んでばかりいたのですが、ある時、同じ寮に住む短大時代の同級生が『お部屋でケーキ焼いてみたよ』と、手作りのケーキを持ってきてくれたんです。そんなに仲良しではなかった子でしたが、とても美味しかったので詳しく聞いてみたら『すごくいいお鍋で焼いたんだよ』『週末にこのお鍋を使って料理パーティをするんだけど、あなたも来る?』と。行ってみたら……そう、ネットワークビジネスでした。

ただ、世間知らずだった私は素直にすごいと思ってしまい、『グループ内で上位にいけば権利収入を得られて、成功すればたくさんお金がもらえて、仲間もいっぱいできて……』と説明されるうちに感化されてしまって。『素晴らしい仲間ができて、権利収入ももらえるんだったら、今の嫌な仕事を辞められるし、奨学金も返せるじゃん!』と思っちゃったんですよね」

話を聞いていると、前田さんは極めて真面目な性格。学生時代もバイト・学業に勤しんでいたらしい。ただ、その結果の友人付き合いの乏しさが、裏目に出てしまった。

その後、積極的な勧誘活動を開始したが、寝不足になり、遅刻も繰り返し、とうとう職場にもネットワークビジネスがバレてしまう。結局、大学病院を2年半で退職し、親にも勘当されたという。

「ネットワークビジネスで周囲にいろいろ迷惑をかけてしまい、辞めざるをえなくなったんですよね。それで、親に『看護師辞める』と言ったところ、『お前はもう、うちの娘じゃない!』と激怒されたんです。

ネットワークビジネスの件はもちろん、公務員を2年半で辞めたというのが許せなかったのでしょう。しかも、5年勤めきれず、奨学金(修学資金)を全額返済しなくてはならなくなったと思ったのも、影響していたんだと思います」

奨学金返済免除もナシに…なると思いきや

こうして、仕事を失った前田さん。住んでいた寮も出て行かざるをえなくなり、近所の総合病院でアルバイトとして働くこととなるが、奨学金はどうなったのだろうか?

「今まで働いた分がリセットされてしまい全額返還になってしまうのかな、と思っていたのですが、奨学金(修学資金)の事務所に相談してみたところ、同じ県内の病院で、退職から入職までのブランクがなかったため、新たな病院で3年働いたら返済免除になることに。実は200床未満の小規模病院だと、5年ではなく3年で返済免除だったんですよ」(※なおこれは当時のルールで、現在は変わっている)

制度の設計に助けられる形で、首の皮一枚つながった。そして、新しい病院での看護業務は大学病院とは、大きく異なる環境であり、これが彼女には合っていた。

「大学病院がキツすぎて合わなかったのですが、町の病院は私にすごく合ったんですよ。大学病院時代は、夢の中でずっとナースコールが鳴るような状態だったんですが、町の総合病院は業務量も少ないし、ありふれた病気を扱っているので、レベルが全然違うんですよ。

公務員時代には支給されていたボーナスはなくなりますし、寮もないので一人暮らしの費用もかかったけど、月20日は働くので手取りで20万円程度はあって。だから、バイトでも食べていけました」

仕事に忙殺され気分が塞ぎ込んだことから始めたネットワークビジネスからも、ようやく足を洗う。

「ネットワークビジネスで騒ぎを起こして前の病院を辞めたのに、バイト先の病院でも懲りずに続けていたのですよね。だけど、散財したせいで、450万円あった貯金がとうとう100万円にまで減っていたんですよ。奨学金を返せる額だったのに……。そうして、やっぱりこれはおかしいと思うようになって、ついに辞めました。あれだけ頑張ったのに権利収入がまったくないのはおかしいと、ようやく気づいたんですよね」

失くした金は戻ってこないが、それでも、気持ちの面で楽になった前田さんは、ここから奨学金返済に本腰を入れ始める。

「大学病院で働いていた頃は毎月、第一種が1万円程度、第二種が2万円程度、合計3万円程度を返していました。それで、バイトを始めたときに、これからどれだけ返さないといけないのか、再度計算してみたところ、第一種が90万円、第二種が140万円も残っていたのです。

そこから一念発起して、フルタイムのバイトに加えて、週3回別の病院で夜診のバイトも始めました。それで、手取りも毎月30万円程度になったので、家賃で6万円引かれ、光熱費が4万円程度かかっても、20万円は残ります。そこから、15万円を貯金に回し、残りの5万円でなんとかやりくりしていました。もう、毎日安い食材を買って、自炊して弁当作って、外食とおやつは一切なし。ストイックですよね」

その後、1年かけて月に15万円の貯金を貯め続けた前田さんは、アルバイトの身分ながら、ついに第一種の支払いも終えた。このときまだ27〜28歳であった。

ありがたい返済免除、しかしデメリットもある

本連載では以前、別の看護師の女性のケースを取り上げた。その女性はそもそも看護奨学金制度の存在を知らなかったが、もちろんこの制度にもデメリットもある。合わない職場で働くことになった前田さんのケースは、やや極端なものの、その一例だろう。

「新人の看護師の中には『修学資金の返済免除があるから病院を辞められない』と思っている人が多いですし、SNSを見ても奨学金の返済に悩んで『死にたい』『死ぬほど辛い』と投稿しているアカウントもよく見かけます。

でも、自分に合った職場がある可能性も当然あるので、そちら側に目を向けるというのは、別に逃げではないことを知ってほしいです。

また、一口に修学資金と言っても、条件はさまざまです。私が借りていた都道府県の修学資金はアルバイトでもフルタイムだったら返済免除になりましたが、グループや個々の病院になると、病棟、外来、アルバイト、常勤などで、返済免除の条件が変わってくるはず。

だから、『就職先の病院が自分に合わなかった場合』のことも考えておかないといけないと思うんですよね」

その後、奨学金をすべて完済したことを両親に報告したことで、ようやく和解。「勘当」と言われた時とは打って変わって褒められ、実は彼女のためにこっそり貯めていたという学資保険の200万円が前田さんの口座に振り込まれた。実際は娘のことを気にかけていたようだ。

「『よくやった! もう、言うことはなにもない』と言われましたね……。いただいた200万円はありがたく心理学や自己啓発、昔から興味があった音楽の勉強に使いました。もう、ネットワークビジネスには使っていませんよ(笑)。

でも、奨学金を完済してからは、趣味に高じるようになり、音楽の専門学校に入り直しました。そこでDTMの勉強をしたり、2年前からはYouTubeに動画投稿も始めて、今ではチャンネル登録者数も2000人を超えています」

奨学金で「お金の仕組みを学べた」

現在、前田さんは看護師、保健師として働くほか、音楽活動は趣味にとどまらず、最近では講師もしているという。


画像をクリックすると本連載の過去記事にジャンプします

仕事に趣味に自由に生きているようだが、ネガティブに捉われがちな奨学金を借りたことで、「お金の仕組みを学べた」と振り返る。

「奨学金を借りたことに後悔なんてないです。というのも、奨学金を借りたことで、自己投資ということを学べたからです。何かを成し遂げるために、先に投資するというのは、非常に大事なことで、そのあとでそれ以上のことが返ってくるのですよね。

自己投資して一生懸命生きて、学んで、仕事した結果、自分は多くの看護の技術と知識を身につけましたし、さらに看護とは別の音楽などの知識や技術も身についたので、今は金銭的にも精神的にも、非常に潤った生活を送れています」

一時はネットワークビジネスで、貯金を溶かしてしまった前田さんだが、コツコツ働いて、お金を貯めて、自己投資を続けたことで、安定した収入を叶えた。落とし穴も紆余曲折もあったが、それらも彼女の場合は糧になっているようだ。

本連載「奨学金借りたら人生こうなった」では、奨学金を返済している/返済した方からの体験談をお待ちしております。お申し込みはこちらのフォームよりお願いします。ヤフーニュース等外部配信サイトでご覧の方は、東洋経済オンライン本サイトからお願いします。

(千駄木 雄大 : 編集者/ライター)