今年3月に県立養護学校の小学部を卒業した綾(あや)優太さん(中央下。ご家族提供)

インクルーシブ(inclusive)とは、「全部ひっくるめる」という意。性別や年齢、障害の有無などが異なる、さまざまな人がありのままで参画できる新たな街づくりや、商品・サービスの開発が注目されています。
そんな「インクルーシブな社会」とはどんな社会でしょうか。医療ジャーナリストで介護福祉士の福原麻希さんが、さまざまな取り組みを行っている人や組織、企業を取材し、その糸口を探っていきます【連載第4回】。

小学校へ入学する子どもは、就学時健康診断を受診後、就学予定校名が記載されたはがきを役所から受け取る。一方、障害のある子どもの場合、「地域の小学校の通常学級、特別支援学級、あるいは、特別支援学校(以下、すべて養護学校を含む*1)のどこで学ぶか」を、教育委員会と相談する機会が設けられる。


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就学相談は地域にもよるが、入学する前年の6月前後から始まる。

就学相談は、障害のある子どもの親の間では“就学問題”と呼ばれ、悩みの上位に入ると聞く。親がとても悩む理由は、「障害のある子どもがどのように成長するかわからない」だけでなく、特別支援学校で学んだことがないため、「どんなところで、どのようなことを学べるか、あまりよくわからないこと」もあるだろう。

そこで、今回は特別支援学校を紹介する。

卒業式を迎えられないだろうと思っていた

神奈川県在住の綾(あや)優太さん(12)は、今年3月に県立養護学校の小学部を卒業し、現在は中学部に通学している。

生まれて半年後、医師から難病の「先天性ミオパチー」と診断された。全身の筋肉が発達しにくく、合併症を起こしやすい。日常的に人工呼吸器の装着や痰(たん)の吸引、栄養を取るための胃ろうといった医療的ケアを必要とする。生活のすべてで介助者がはいり、移動は背もたれ式のバギーを使う。

父親の崇(たかし)さん(48)は小学部を卒業する優太さんの姿を見て、喜びで胸を詰まらせた。「生まれて間もない頃から、小学校の卒業式を迎えることはないだろうと覚悟していた」からだ。

今回は小学部生活を振り返ってもらった。

特別支援学校では、介護が必要であっても、将来、自立を目指し主体的に生活を送ることを目的に、生活習慣を身に付ける、体調を管理する、コミュニケーション力や人間関係を作るなど、人間として豊かな生活や人生を送るための指導が重視されている。

1日の流れは、子どもの心身にあまり負荷がかからないよう、地域の小学校と比べて時間割がゆったりと組まれている。

5〜6人のクラスメートと指導を受ける

優太さんの学校では、授業は午前と午後に1コマずつ組まれている。午前の授業(40分間)は5〜6人のクラスメートと一緒に、音楽や運動、感触を発達させるための指導を受ける。

例えば、音楽では打楽器やハンドベルを鳴らしたり、運動ではスポンジボールの的当てや野球を楽しんだりする。感触の授業とは図工や理科のことで、絵の具を手に付けて作品を制作したり、野菜や花を育てたり、カットした野菜の断面にインクを付けてスタンプにしたりしていたそうだ。

「帰りの車の中で、『今日は何をしたのか』と聞くと、ハンドベルや野球など授業で楽しかったことを笑顔で話していました」と崇さんは言う。

午後の授業は、1人ひとりに必要な課題が設定される。優太さんが小学6年のときは、国語ではひらがなやカタカナの書き取りや絵本の音読、算数では数の概念や計算を学んだ。

2年生からは電動車いすで移動する練習をした。保健室にあるハト時計が好きだったので、その部屋までの距離を少しずつ延ばし、卒業前にはエレベーターに乗ることも含めて、教員の見守りのもと1人で動けるようになった。

一般的に特別支援学校では、障害のある児童6人に教員1人、重度・重複障害がある場合は児童3人に教員1人が付く。このほか、学習を担当する指導員、生活支援をする介助員、医療的ケアをする学校看護師、地域を巡回する医師が訪ねてくることもあって、地域の小学校より人員が多い。


修学旅行先のホテルで食事する優太さん(写真:ご家族提供)

優太さんの場合、小学5年生までは人工呼吸器に対応するため、崇さんか母親の綾子さん(46)のどちらかが毎日、校内で待機する必要があった。両親は学校にパソコンを持ち込んで仕事をしていた。小学6年生になる頃からは、親の付き添いはなくなった。

給食の時間は、すべての児童に教員か介助員などが付いて食事指導を受ける。

優太さんは主治医の許可を得て、シリンジ(注射器のような形をしたポンプ)に牛乳やスープ、ミキサー食を入れて、味見をする練習をした。その成果があり、口の中に食べ物を入れても嫌がらなくなり、6年生になった頃からはストローでジュースなどを飲めるようになった。

優太さんの学校生活について、綾子さんは学期初めに作成される「個別教育計画」の評価欄(学期の終わりに記載される通知表のようなもの)でよくわかったと話す。

「5人の教員がそれぞれの視点から、日常生活でのエピソードや指導目標に対する達成ぶり、ちょっとした変化やコメントを細かく記載してくれました」

例えば、朝の支度をする場面では、「教員が腕時計を差し出すと、優太さんが自分でストップウォッチの画面を出してスタートボタンを押し、タイムを見ながらスピーディーに取り組み、終わったら止めて、かかった時間を知ることができた」などと記載されていた。

学校のマンツーマン指導で成長した

また、人工呼吸器を付けていると声を出せないと思われやすいが、優太さんは1年生のときから身ぶりを交えながら話している。卒業する頃の評価欄には、「4語文(いつ、どこで、だれが何をどうした)を話せるようになった」「『苦しい』『助けて』と、周囲に吸引のお願いもできるようになった」と評価された。

「ストローでジュース類が飲めるようになったり、ストップウォッチで時間を計測できるようになったり、4語文を話せるようになったりしたのは、明らかに学校でマンツーマン指導を受けた成果です」と崇さんは言う。


3年前の優太さんと父親の崇さん。優太さんに緊急で肝移植が必要になり、崇さんがドナーになった。ICU(集中治療室)にて(写真:ご家族提供)

冒頭で紹介した就学先の選択について、綾さん夫妻は「地域の小学校は教科学習中心の時間割で、次々と進んでいく。本人のペースで学校に通えたほうがいい」「地域の小学校を選んだ場合、親が授業に付き添わなくてはいけない。しかし、今後、第三者から介助を受けるときに(優太が)お願いすることを含めて、自分でできる範囲を広げるために、家族から離れる時間を作ることを優先した」ことから、「地域の小学校での集団生活にはあまりこだわらなかった」と言う。

一方で、「特別支援学校ではどうしても大人とのやり取りが多くなるため、同年代のお友達作りは課題」「本人にとっては、どちらの学校へ行っても得られるものはある」とも付け加える。

教育委員会との就学相談については、「2013年に制度が一部変更されたにもかかわらず、うまく機能していない」と崇さんは指摘する。

従来は、障害のある子どもは原則的に特別支援学校への就学を指定された。制度変更後は子どもの障害の状態、それに伴う教育ニーズ(個々に必要な教育目標)とともに「本人と保護者の意見を最大限尊重する」とされ、総合的な判断によって、教育委員会が最終決定することになっている。

崇さんはこう話す。

「制度では『保護者の希望を尊重する』とされていますが、保護者が意見をまとめて判断できるほど、教育委員会からは情報をもらえませんでした。担当者から、『看護師がいたほうがいいよね』『地域の学校は難しいよね』と言われながら、教育委員会の判断を聞かされたという印象が残りました」

そのうえで、「原則として、親の希望を最大限尊重するというのであれば、教育委員会がそれを適切でないと判断した場合、その合理的な判断の根拠を明らかにすべきで、教育委員会にはその責任があります」と言う。

この就学相談については、障害のある子どもとその家族と会うたびに取材を重ねたが、話し合いで合意を形成できなかったケースもあり、難しさと課題が残る。

障害の数は3000種類ほどといわれ、個別性が高い。教育委員会は国民の権利である義務教育を、憲法の条文の通りそれぞれの子どもに合った方法で受けさせることを責務としている。

文部科学省も国連で採択された障害者権利条約に基づく「インクルーシブ教育システム」を取り入れることで、障害の有無にかかわらず、一緒に学べる場を設定している。だが、同条約の理念を掲げただけで、学校側からも、障害児の父兄からも不評を聞く。

そもそも、「健常児、障害児と学校を分けることは、国連の同条約および国内の障害者基本法、障害者差別解消法に反するのではないか」という声は根強い。

障害のある子には個別教育が必要

それでは、どうして、障害のある子どもには個別教育が必要なのか。

東京都立村山特別支援学校の坂口しおり校長(58)は、特別支援学校で35年間、障害児教育を担当してきた。特別支援学校教諭免許のほか、言語聴覚士(*2)の資格を持つため、教育と医療の両方に詳しい。

坂口さんは、障害のある子どもの体の状態について、こう説明する。

「重度の障害児の多くは、脳や脳神経の特定部分の形成不全、または損傷をしていることが多いため、環境や教育から自然に取り入れる情報量が少なく、処理能力も弱くなっています。このため、周囲の人や物とのコミュニケーションが十分に取れないことがあります」

さらに、「目の機能、手の動き、体の姿勢など、自分の体をどのようにコントロールするかを、生活で自然に学習しにくい」とも言う。


特別支援学校では行事に重点を置く。コロナ感染対策をしたうえで、昨年も「夏祭り」を開催(写真:東京都立村山特別支援学校提供)

坂口さんは、特に重度障害のある子どもの発達とコミュニケーション教育の指導法に、「脳の画像を分析検討した内容」を取り入れて成果を上げてきた。障害の有無の大きな違いは「発達のスピード」という。障害のある子どもは残存している脳機能を使いながら、脳を形成したり、損傷している部位を成長過程で再生・修復したりしているからだ(*3)。

「障害児は環境や教育から情報を受け取り、脳の中でそれを処理するとき、障害のある部位を使えないので、迂回路を形成しているイメージです。このため、子どもたちはスロービデオのようにゆっくりと、でも確実に発達していきます」と坂口さんは説明する。

例えば、乳幼児がコミュニケーション力を発達させるときは、周囲の人や物に関心を持ち、その状態や反応に気づき、気持ちのやり取りをしていく。こうしたことを、障害のない子どもは友達と遊びながら身に付ける。そのスピードはとても速く、大人が変化に追いつけないこともある。

障害のある子はゆっくりと発達

一方、障害のある子どもは反応が微弱なため、周囲に気づかれにくい。そのうえ、先に挙げたような自然な習得がとても難しいため、1つのことができるようになるまでに、小刻みで何段階もの意図的な指導が必要になる。例えば、「トイレが終わったら、手を洗う」など、1つの生活習慣を身に付けるためには21段階の指導目標が設定される(*4)。

このような個別教育は、子どもの障害を改善・克服するという「医学モデル(障害は人にあるとする考え方。連載1回目に詳述)」と批判されることがある。かつて、教育における個別訓練と呼ばれていた指導は、指導法が確立していなかったこともあり、その効果を疑問視されていた時代もあった。

しかし、坂口さんは個別教育の効果について、「子どもは手をかけないと変わりませんが、専門的な指導法で向き合う時間を作れば、1年でも変化していきます」と言う。発達年齢の時期は健常児より幅があり、「高校生から指導を始めても可能性はある」という。

「障害児教育で最も大切なことは、どこで学ぶかではなく、どんな教育を受けるかです。子どもが本来の力を発揮し、介護を受けていても自立した生活を送り、社会の中で誇りを持って生きていくためには、どのような教育・サービス・支援が必要かを整理し、それを実現できる学校を目指し、不足をどう補うかを考えることが大切です。地域の小学校も特別支援学校も100%ではなく、それぞれによいところがあるからです」

障害のある子どもへの教育は、「共生社会」の考え方とともに少しずつ変わってきている。次回は、「地域の子どもは地域で育てる」の理念のもと、「地域の小学校が重度障害児をどのように受け入れているか」を紹介する。

*1 平成18(2006)年の学校教育法改正にともない、翌年から障害のある子どもの学びは「特殊教育」から「特別支援教育」へ名称が変更された。学校名も 盲・聾(ろう)・養護学校から「特別支援学校」へ変更されたが、一部の学校ではいまでも養護学校の名称を使っている。教育内容は同じ。

*2 コミュニケーションには、聴覚、言語発達、発声・発音、認知等の機能が関係している。言語聴覚士は専門的な検査によって障害の構造を明らかにしたうえで、根拠のあるプログラムを設定し訓練を実施する。摂食嚥下(えんげ)も専門的に対応する。厚生労働省による国家試験で免許が付与される。

*3 加藤俊徳、坂口しおり[2005],『脳と障害児教育』,ジアース教育新社, p26

*4 坂口しおり[2006],『障害の重い子どものコミュニケーション評価と目標設定』,ジアース教育新社, p73

(福原 麻希 : 医療ジャーナリスト)