「あだ名禁止」「さん付け奨励」、親の思いは?

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 近年、友達を「さん付け」で呼ぶことを奨励する小学校が増えています。中には、「あだ名呼び」を禁止にしたり、「さん付け」奨励を校則に明記したりする小学校もあるようです。あらゆる場面で「さん付け」を奨励する風潮を、子どもの頃にそうした経験をしていないであろう親世代は、どう感じているのでしょうか。賛否ある意見の中から幾つかを紹介します。

「違和感覚える」人多く

 今回、取材対象にした、30代、40代の人たちは、授業中など教師がいる場面では「君付け」、あるいは「さん付け」で呼び、友達同士だけの場面では「あだ名呼び」が当たり前だった世代です。そうした経験からか、「さん付け」の奨励に「違和感を覚える」という人が多かったです。

「子ども同士が『さん付け』で呼び合う姿を想像すると、どうもしっくり来ないというか、健全ではないというか…。大人は子どもを教育する義務があると思いますが、ある程度は子どもに任せるべきだとも思います。『さん付け』の奨励はその最たる例です」(39歳女性)

「『さん付け』限定にしたら、子どもたちが心を許せる友達として、きちんと仲良くなれるのか心配です。(あだ名が)人を傷つける可能性があり、『あだ名呼び』が禁止にされるのだと思いますが、逆に『あだ名呼び』で深まる友人関係もたくさんあります。少なくとも、私が子どもの頃には『あだ名呼びがあってよかった』と感じています」(34歳男性)

 例えば、「あだ名呼び」を禁止しないが、「さん付け」を推奨している小学校では、その理由を(1)あだ名が『蔑称』となる可能性(2)児童が蔑称で呼ばれる可能性を低減する─などと説明しています。「さん付け」の推奨がもたらすプラスの効果は何通りか考えられますが、先述の通り、「あだ名呼びで起きる可能性がある悲劇を、未然に回避できるかもしれない」という点は、“さん付け”推奨学校では特に意識されているようです。

 そうした「さん付け推奨」の理由に真っ向から反論する声もありました。

「『さん付け』にしただけで、いじめやひどいあだ名付けなど、子どもが子どもを傷つける機会をなくしたり、減らしたりできるのでしょうか。もし、教育関係者がそう考えているなら、非常に危険だと思います。うわべだけを取り繕って安心してしまえば、根本的な対策はなされないままだからです。

知人のお子さんが通う小学校のクラスで、『あだ名アンケート』というのが行われたそうです。『自分のあだ名が気に入っているか・嫌じゃないか』、『友達のあだ名でひどいと思うものはないか』といった質問があり、児童の回答を読むのは先生のみ。そして、先生が見直す必要があると感じたあだ名について、クラスで簡単に話し合う機会を設けたのだとか。

この話を聞き、『あだ名呼び』について一歩踏み込んで取り組もうとする姿勢には好感を覚えました。大人が一律、『さん付け』や『あだ名禁止』を児童に押し付けるのに比べ、児童に考えさせる機会を設けている点もいいと思います。あだ名や『さん付け』へのアプローチは、このようにしてなされるべきだと思いました」(42歳女性)

「相手への敬意育む」との声も

 筆者も、個人的には「さん付け」の奨励に違和感を覚える中年の1人なのですが、賛成意見に耳を傾けてみれば、「なるほど」と納得させられるものもあります。

「変なあだ名で呼ばれやすい名前の子にとっては、『さん付け』の奨励はよいのではと思います。最近は、『キラキラネーム』など親が個性的な子どもの名前を付けることも増えており、そうした名前がひどいあだ名に直結するケースを考えると、その子がかわいそうです。『さん付け』の奨励は、そうした“なくていいハンディ”をなくせる試みだと思います」(40歳女性)

「『さん付け』で呼び合うことで、相手への敬意が育まれるのではないかと感じました。ネットが当たり前の時代になって、ネット回線の向こうにいる他者に対して一層の敬意が必要となってきています。その意味でも『さん付け』の奨励は時代に合った教育だと思います。

『“さん付け”だと友達と壁ができてしまうのでは?』という声も耳にしますが、私自身はそうは思いません。『さん付け』でも人と仲良くなることはできますし、あだ名に頼らなくても深い友情が生まれることはあり得るからです。総合的に見て、『“さん付け”奨励』は必ずしもマイナスばかりではないと思います」(45歳男性)

「あだ名があれば『相手の気持ちになって考える』トレーニングになります。あだ名で呼ばれた友達は、笑っているけど本心では嫌がっていないか、自分たちの楽しさのためにそのあだ名で呼んでいないかなど、あだ名を通して相手の気持ちを考えることができます。

しかし、普通は、子どもはあだ名に関してそこまで深くは考えません。だから教育する立場の大人が子どもを促して、それを考えさせるべきなのですが、そこまで思い至っていない大人(保護者、および教育関係者)が多いのも事実です。大人の準備ができるまでは、せいぜい『さん付け』の奨励が限界かなと見ています。

『さん付け』の奨励は、言ってみれば最初の一歩です。これをきっかけに『あだ名呼び』に関する議論や考え方が深まっていけばいいと考えています。ですので、そのスタートとなる『さん付け』の奨励を、私は支持したいです」(34歳女性)

 これらの意見は、賛否ともにそれぞれの正当性を感じさせます。どの意見も「子どもにとって良いのはどちらか」という点から出発しているので、相応の説得力や熱がこもるのでしょう。

 これまで、「あだ名呼び」が世の中で大きく注目されることは、それほどありませんでした。始まったばかりの潮流である「さん付け」の推奨も、しばらくは挑戦と試行錯誤が無数に繰り返されるはずです。

 先ほど、話に出てきた『あだ名アンケート』は、数あるアプローチの中のひとつの例に過ぎません。至らない点も見受けられるかもしれませんが、教育の現場でそうした試みが行われることが、今後ますます期待できそうです。