※この記事は2022年03月07日にBLOGOSで公開されたものです

深まるロシアの孤立

[ロンドン発]ウラジーミル・プーチン露大統領のウクライナ侵攻を失敗に終わらせるため、ボリス・ジョンソン英首相は5日、6項目の行動計画を打ち出した。国連総会(193カ国)は2日、緊急特別会合を開き、ウクライナから無条件の即時撤退を求める決議案を賛成141カ国で採択。国際刑事裁判所(ICC、オランダ・ハーグ)も戦争犯罪や人道に対する罪、集団殺害(ジェノサイド)の罪で捜査を開始した。プーチン氏の孤立は深まっている。

ジョンソン氏は「軍事力によってルールを書き換えようとするたくらみから、ルールに基づく国際秩序を守らなければならない」と強調する。国際社会に対して打ち出されたジョンソン氏の6項目は次の通りだ。

(1)ウクライナのための国際人道支援連合を組織する。
(2)ウクライナの国防努力を支援する。
(3)プーチン政権への経済的圧力を最大化する。
(4)ロシアがウクライナで行っていることの既成事実化を阻止する。
(5)ロシアの傀儡(かいらい)ではないウクライナ正統政府の全面参加を前提に、危機をデスカレーション(緩和)させる外交努力を追求する。
(6)大西洋ユーラシア地域全体の安全と回復力を強化するため迅速なキャンペーンを開始する。

米シンクタンク、戦争研究所(ISW)の分析では、限定的な攻撃でウクライナ軍と義勇兵の抵抗は短期間で崩壊し、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は屈服するとのプーチン氏の所期の目論見は外れた。このためロシア軍は再度、作戦を休止して、戦闘資源を追加投入し態勢を整えている。しかしウクライナ側の士気と戦闘力は依然として高く、ロシア軍は今後、激しい市街戦を強いられる可能性がある。

ロシア苦戦の理由は?英戦略研究の第一人者が解説

ロシア軍は現在、以下4つの軸でウクライナに侵攻している。

(1)ベラルーシからキエフに南進
(2)北東部ハリコフへの正面攻撃
(3)東部ドンバスのルガンスク包囲作戦
(4)クリミア半島から北進

ウクライナ軍より優位に立っていたはずのロシア軍が苦戦しているのはなぜか。イギリスにおける戦略研究の第一人者でイラク戦争の検証メンバーも務めた英キングス・カレッジ・ロンドンのローレンス・フリードマン名誉教授はこう分析する。

無謀な賭け 戦争が計画通りに進むことはほとんどない。特に自身のレトリックを信じた場合は」と題した暫定的な分析(2月25日時点)の中でフリードマン氏は「ロシア軍は優勢だったにもかかわらず、戦術的な奇襲と圧倒的な数という利点があった開戦初日にも戦前の予想ほど進撃できなかった。ウクライナ人は気迫に満ちた抵抗を見せ、侵略者に犠牲を強いた」と指摘する。

「勝ち目のない戦争をプーチン氏が始めたのかと問うのはもっともなことだ。ロシア軍は最終的に勝つかもしれないが、戦争の初日は、どのような軍事的勝利を収めようともプーチン氏にとって政治的な勝利を収めるのは非常に困難な戦争であることを浮き彫りにした。自信満々で始めた戦争が悪い結果になる主な理由は敵の過小評価にある。プーチン氏は一貫してウクライナは国家でもなく、政府は非合法でナチスに支配されていると主張してきた」
「もしプーチン氏が、それが本当だと思い込んでいたとしたら一般のウクライナ人がそのような国のために一生懸命戦うことはないと考えたとしても不思議ではない。プーチン氏の過去の軍事行動は実質的な地上軍を展開するものではなかった。大規模な地上作戦の経験は限られている。このことが潜在的に敵を過小評価する傲慢さと結びつき、作戦のスタートでつまずく一因となった可能性がある」

ウクライナ軍が使うのはソ連崩壊の引き金となったミサイル

ウクライナ軍が使っているのはバルト三国のラトビアとリトアニアから供与された携帯式防空ミサイルシステム「スティンガー」。全体でも約15キログラムと軽量なこのミサイルは1980年代、アフガニスタンでソ連軍の攻撃ヘリを撃墜し、ソ連崩壊の引き金となった。米英やエストニアから供与された携帯式対戦車ミサイル「ジャベリン」と軽量の「NLAW(次世代軽対戦車兵器)」が戦車部隊をはじめとするロシア軍機械化部隊の進撃を阻んでいる。

これまでヘルメット5千個しかウクライナに供与してこなかったドイツも旧東ドイツ時代のソ連製携帯式地対空ミサイルシステム「ストレラ」2700基を送る。ウクライナ自身もヘリや低空飛行のジェット戦闘機を撃ち落とせるストレラを保有している。ウクライナ軍参謀本部のフェイスブックによると、これまでにロシア軍機44機とヘリ48機を撃墜したという。トルコからは無人戦闘航空機「バイラクタル TB2」が供与されている。

「しかしロシア軍が今後も苦戦すると結論付けるのは賢明ではない。とはいえ戦争の第一印象は重要だ。自国を守る者の士気と決意は侵略者のそれを上回る。ウクライナ人が本気で国を守ろうとしていること、回復力があることが分かった。ロシアは精密誘導ミサイルの在庫を失い、市街戦に引き込まれ、戦闘は残忍になる恐れがある」。攻撃には防衛の3倍の戦闘力が必要とされる上、ウクライナには陸路で武器や志願兵が途切れることなく供給されている。

「ウクライナ東部での限定的な作戦は維持できる地域を切り取るという意味である程度、理に適っていた。しかし現在の作戦は政権交代を必要とするため、あまり意味をなさない。米英はイラクとアフガンでこれがいかに難しいかを学んだ。占領軍の後ろ盾なしに従順な人物を大統領に据えて長続きさせられると考えるのはウクライナの国民性の根源を理解できていない人たちだけだ。ロシアには長期間、占領軍を維持する人数も能力もない」という。

フリードマン氏は「新型コロナウイルスの感染と妄想が作り上げたウクライナを恐れる孤独な人物(プーチン氏のこと)の異常な事情と性格のため、すでに多くの命が失われた。プーチン氏は独裁政治が大きな過ちを招く恐れがあることを思い起こさせる。ロシアでも民主主義による政権交代が起こってくれればいいのだが…」と締めくくっている。しかしプーチン氏にはプーチン氏なりの計算があったはずだ。

ウクライナ国民の政府信頼度は世論調査で3割弱だった

英シンクタンク、王立防衛安全保障研究所(RUSI)のニック・レイノルズ、ジャック・ワトリング両氏は今年2月にロシア連邦保安庁(FSB)がウクライナ各地で実施した世論調査の結果を分析している。ロシアの軍事力増強が必ずしも侵略につながるとは考えていなかった人が回答者の9割にのぼり、ウクライナ国民の大半がロシア軍の侵攻に不意をつかれていたことがうかがえる。

世論調査の結果は、ウクライナ人は概して将来に悲観的な上、政治に無関心で、政治家や政党、ウクライナの国内機関の大半を信頼していないことを示していた。主な関心事はインフレと生活費の逼迫で、状況は悪くなると考えていた。大統領府への信頼度は27%にとどまり、67%が不信感を抱いていた。ゼレンスキー氏の不支持率を差し引いたネット支持率はマイナス34%と極めて低かった。

ウクライナ軍は予備役、退役軍人も含めて国民の信頼が厚く、68%が支持を表明した。地方政府や自治体に対しても国民の40%以上が好意的な意見を持っていた。しかしウクライナ議会や政党への信頼はそれぞれ11%と8%と最悪だった。兵役や侵略と戦う意志については40%が「ウクライナを守るつもりはない」と回答。ロシア語話者が多い南部や東部ではウクライナ国家に対する信頼度がかなり低かった。

レイノルズ氏らは「ロシアがウクライナ軍の破壊による衝撃と畏怖がウクライナ側の抵抗を抑えると期待していたのであれば、結果は逆に出ている。FSBの世論調査は実施された時点では正確であったかもしれないが、侵攻でウクライナの国民感情がどのように変化するかについてはほとんどつかめていなかった」と分析する。

プーチン氏は抵抗の少ない東部と南部から攻め、首都キエフを包囲すれば、ゼレンスキー政権は簡単に崩壊すると考えていたふしがうかがえる。

中国の習近平国家主席と事実上の相互不可侵協定を結び、核戦力の行使を威嚇にちらつかせるプーチン氏はウクライナ国民のナショナリズム、コメディアン出身のゼレンスキー氏の指導力、ウクライナ軍と義勇兵の士気と抵抗、米欧の結束、従順だったオリガルヒ(新興財閥)やロシア国民の反発のすべてを過小評価していた。それもこれも孤独な独裁者であるプーチン氏の耳に事実を伝える忠臣が1人もいなくなってしまったことに帰因する。

(おわり)