北京五輪の裏でも続くウイグル問題 あいまいな態度を続ける日本の現状 - 宇佐美典也
※この記事は2022年03月01日にBLOGOSで公開されたものです
私がウイグルの現状を知り日本も“米中の技術冷戦”に参加しなければならないと思った理由
北京オリンピックが終わった。
日本選手の躍進は喜ばしく、個人的には平野歩夢選手の演技を見てる際には「すげー人が空飛んでる」などと年甲斐もなくあんぐり口を開けて感動してしまい、他にもジャンプやスケートといった競技での悲喜こもごものドラマには心動かされ、相変わらずオリンピックの上質なエンタメ性を感じた次第である。ただ水を差すようなことを言って申し訳ないのだが、どうにも開会式、閉会式だけは見る気がしなかった。
というのも、今回のオリンピックが平和の祭典と言われるとどうしても、中国国内のウイグル弾圧の問題がちらつき、疑問符を付けざるを得なかったからである。もちろんだからといってそれで競技大会としてのオリンピックの価値自体はいささかも落ちるものではないので、冒頭に書いたように競技自体は個人的に楽しんだのだが、国家としてのセレモニー的な要素が強い開会式、閉会式はどうしても見る気がしなかったということである。
ただ私自身、実際にウイグルでどのようなことが起きているかは、断片的な情報で大まかにしか承知していなかったし、「日本が関わって得することはない」という認識でいたこともあり深く知ることを避けていたところがあるので。4日にはパラリンピックの開幕も控える今、この機にこの問題とも向き合ってみようと「AI監獄ウイグル」という本を読んでみた。
市民の相互監視システム、家の中に監視カメラ……
この本は著者であるジェフリー・ケイン氏が2017年8月から2020年9月までに168名のウイグル関係者に行ったインタビューをベースに21世紀に入ってからウイグルで何が起きたかをまとめたものだが、その内容は背筋が寒くなるようなもので絶句した。本書の主人公であるウイグル族の女性・メイセムの身に起きたことを一部まとめると以下のようになる。
1990年代:
・ウイグルにおいて平穏な少女時代を送る。
2000年代初頭:
・高校にてインターネットに出会う。
・この時期インターネットの影響でウイグル地区に、民族主義、イスラム教、中国の共産主義思想、欧米リベラル思想など異なる種類の文化的な目覚めがあり内部で対立、派閥争いなどが始まる。
2007年:
・メイセムは全国統一模試で優秀な成績を収め、北京の大学に合格。大学入学後、外交官を目指すも社会には漢族によるウイグル族に対する差別があり、重要なポストは漢族にほぼ独占されていたのでその道が厳しいことに気づく。
2009年:
・ウイグルにて大規模な騒乱が起きる。
・他方メイセムは大学においてウイグル族を代表する知識人、イリハム・トフティに出会い感銘を受ける。
2013年:
・ウイグル族の数名が天安門にて自爆テロ。
・メイセムは社会科学の学位を得て北京の大学を卒業。トルコの大学院に進学する。
2014年:
・夏休み、ウイグルに戻る。
・この頃からIDによる住民管理が強化され始める。住民は政府が取得した各種個人情報により「信用できる」「普通」「信用できない」三段階に格付けされ、「信用できない」と評価された場合はガソリンを購入する権利が剥奪されるなど不利益処分を受ける。
・ベールなどイスラム教の伝統的な衣装を着ることは警察を刺激すると考え、外出時は赤い服を着るなどの対策を始める。
・中国政府がイリハム・トフティを国家分裂罪で起訴、無期懲役刑が確定する。
2016年:
・夏休み、再びウイグルに戻る。
・この頃には各世帯が十世帯単位程度に相互監視し合う「地域自警システム」が始まる。各世帯の玄関には管理のためのQRコードが貼られるようになる。
・胃腸炎にかかって寝込んでいたら共産党員である班長が家に来て「近所から通報がありました。今朝の9時にいつものように散歩に行かなかったのはなぜですか?」と問いただされる。数日後、警察の指示で家の中に監視カメラが設置される。
・1ヶ月後、家族全員が怪しいとのことで「検査」を受けさせられ、遺伝子情報などを収集される。
・数日後、公安部の役人に「市民教育クラス」を受講するよう指示される。
・8月、陳全国がウイグル自治区の委員会書紀に就任し、「コンビニ交番」が続々と設置される。また急遽市街地がフェンスで囲まれ、身分証明書がなければ出入りできなくなる。
・メイセムは収容施設である「再教育センター」に行くよう指示される。ここで反抗的な態度を取ったため「拘留センター」に移送される。
・9月末、収容施設から出ることに成功し、トルコの大学院に戻る。以後二度とウイグルに戻っていない。
さてここで述べた収容施設がどのような施設であるかはBBCが積極的に報道しているが、見ていただければわかるように、およそ21世紀とは思えないようなおぞましい人権侵害、洗脳教育が行われている。詳細は是非本書を読んで欲しい。
米国が中国のITベンチャーに厳しくなった背景
21世紀に入り、漢族のウイグル地区への進出が本格化するにつれ、ウイグル族は漢族による社会的差別を直接的に実感するようになった。これに伴い、ウイグル族の不満が溜まって、民族としての文化的な目覚めもあり騒乱やテロが起きた。中国が急速にウイグル地区への抑圧を強めたのは、メイセムの例から2014年以降のことだと読み取れる。
これに対して中国政府は差別を見直す方向には向かわず、アメリカの技術を積極的に導入し、中国国内のITベンチャー企業の協力を得て、AIを活用して徹底的に住民を監視するシステムを作り上げた。そして監視するだけではなく、文化大革命的な「再教育システム」と結び付け、さらには最先端の妊娠中絶技術などと組み合わせることで文化的、民族的にウイグル族を葬り去ろうとしているといわれるのが現在のウイグルの「状況」である。
こうしたAIによる住民監視システムはウイグル族のみならず、おそらく中国の多くの国民に適用されており、国内の強権的統治のためのITプラットフォームとなっている。そして、Huawei、微博、SenseTimeといった新進気鋭の中国のITベンチャーがこの国民監視システムを技術面、データ収集面で支えている。そして彼らに技術的基礎を与えたのはNVIDIAやマイクロソフトといったアメリカの会社である。
みなさんご存知の通り、こうした構造に気づいたアメリカは2010年代後半からHuaweiをはじめとした中国のITベンチャーに厳しい態度を取るようになり、特に最先端半導体を彼らに作らせない、使わせないように輸出管理を強めている。一方中国としてはアメリカに頼らずとも最先端の半導体を作れるように莫大な投資を進めており、この米中の関係を本書では「米中の技術冷戦」と呼んでいる。
ウイグルは“漫画「どろろ」の百鬼丸”ではないか
さてでは日本はというと、一応アメリカに追随をしているものの、中国経済無しでは国内経済の成長が難しくなるため、あいまいな態度を取っているのが現状である。無責任なようだが政治のこうした態度も、背後に国民の生活がある以上、仕方ないとも言える。
私がこうした日本の状況を見て彷彿するのは手塚治虫の描いた「どろろ」という漫画だ。「どろろ」は戦国時代にある地の領主が息子である百鬼丸の身体を妖怪に捧げることで領地の繁栄を手にしたところから始まる。成長した百鬼丸は自らの身体を取り戻そうと妖怪と戦うが、百鬼丸が妖怪を破り身体を取り戻す度に、祟りで領土を疫病や日照りなどの不幸が襲う。それに対して領主側は「お前さえ死ねば領地の繁栄を取り戻せるんだ」と百鬼丸を殺そうとする。そのような陰鬱な物語である。
日本にとってウイグルは百鬼丸ではないか?
それが今問われていることのように思う。ウイグルの犠牲に目を瞑ることで得られる繁栄は確かにあるだろう。ただそのような繁栄は、いつしか自暴自棄になったウイグル族と日本の暗鬱な闘争を生まざるを得なくなるように私は思う。
もちろん「日本人のことを第一に考える」というのは日本の政治の大原則だとは思う。ただそれに甘んじてその陰にある他民族の犠牲に目を瞑ることは、因果応報が重なって将来的に我が国に大きな問題を生むことになりかねないのではないか。だから日本としては中国の繁栄の非益を受けながらも、せめてもの責任として「米中の技術冷戦」に積極的に参加、協力するくらいのことはしなければならないのではないだろうか、と思う。
AI監獄ウイグル 単行本(ソフトカバー) - 2022/1/14 ジェフリー・ケイン (著), 濱野 大道 (翻訳) 実行力 結果を出す「仕組み」の作りかた (PHP新書)
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