冤罪で21年間を獄中で過ごした青木惠子さん 「娘殺し」の汚名が晴れても国を訴える理由は - 小林ゆうこ

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※この記事は2021年10月15日にBLOGOSで公開されたものです

冤罪ーー。「無実の罪」あるいは、「ぬれぎぬ」。「濡れ衣を着る」とは、「無実の罪を受けること」だ。その無実の罪で逮捕された青木惠子さん(57歳)は、21年間を獄中で過ごした。同居男性(55歳)と共に、「保険金目的の放火殺人」「詐欺未遂」という濡れ衣を着せられた。

2016年にようやく無罪を勝ち取った青木さんは、なぜ冤罪は作られたのか、真相を明らかにしたいと、国と大阪府に約1億4千万円の損害賠償を求めて国家賠償訴訟(以下、国賠)を起こした。その裁判も9月16日に大阪地裁(本田能久裁判長)で結審。来春の判決を待ちながら、「事件」から26年目の秋を過ごしている。

獄中から無実を叫び続けた21年間

1995年7月22日のことだった。大阪市東住吉区の青木さん宅で火災が発生。1階のガレージに停めた軽ワゴン車(ホンダ・アクティ)から漏れたガソリンが気化して風呂釜の種火に引火、家屋が全焼した。入浴中だった青木さんの長女・めぐみさん(当時11歳)が逃げ遅れて亡くなった。ただ、火災の原因が弁護団による燃焼実験で明らかになったのは、ずっと後のこと。娘を失って悲しみのどん底にいる青木さんを、冤罪が襲った。

9月10日、青木さんと同居男性は逮捕された。2人を犯人とした直接の証拠は自白書だけだった。2006年に無期懲役の有罪判決が宣告された。

その後、再審請求が認められ、刑が執行停止となったのは、2015年。青木さんは晴れて自由の身になり、さらに2016年に無罪が確定した。

「自白には誘導された疑いがあった」「火災は自然発火の可能性がある」と、判決は自白を証拠から排除した。青木さんは「真っ白な判決を受けた。娘殺しの母親から、娘の死を悲しむ普通の母親になれた」と、支援者に囲まれて喜びの涙を流したーー。

「恩返ししたい」冤罪の仲間を訪ねるわけ

今年9月末、青木さんは徳島刑務所を訪れていた。京都市下京区で起きた放火殺人事件(2003年)で無期懲役の判決を受けた平野義幸受刑者(57歳)に面会するためだ。彼も獄中から冤罪を訴えている。

大阪から3時間かけ高速バスで徳島市入りしていた青木さんは、約束したホテルで待ち合わせた私に対し、冤罪被害者への支援を「私からの恩返し」と表現した。

「冤罪を晴らすまで、多くの支援者に助けていただいた。皆さんへの感謝の気持ちを、冤罪で苦しむ仲間たちを励ますことで恩返ししたい。無実の罪で獄中にいる人の気持ちは、経験した者でないと分からないから」

青木さんの日常は忙しい。チラシ配りと新聞の集金のアルバイトを掛け持ちしつつ、めぐみさんの月命日(22日)と週に一度のお墓参り、誕生日(10日)のお祝いを欠かさない。私と会った夜も、活動仲間や友人からメールや電話が頻繁に入ってくる。

慌ただしいなか、家の大掃除もしてきたという。「だって、旅先で不慮の事故に遭うかもしれないでしょう。人生何が起こるか分からない。明日あなたも冤罪で捕まるかもしれないのよ」

確かに「明日は我が身」だ。青木さんのように、動機も物的証拠も目撃者もいないのに、殺人犯に仕立てられることがあるのだから。それにしても、まさか「やっていない」ことを「やった」として濡れ衣を着せられるとは、時代劇の捕物帳のようだ。

男から娘への性的虐待が冤罪を生んだ

「まさか」の正体は、青木さんに次第に忍び寄っていた。それが姿を現したのは、火災から5日後のことだ。7月27日の早朝、親戚から「『おはよう朝日』(朝日放送)で、火事の原因は放火と言ってるで」と電話が入る。朝日新聞朝刊の社会面には、「東住吉の小六/入浴中の焼死 放火と府警断定」との見出しで報じられていた。

7月30日、その「まさか」は確信に変わっていく。2人は長時間にわたる事情聴取を受けたが、それは警察が重要参考人とその共犯者として疑っているからだと、同居男性は聞かされた。

「警察の中でトイレに行こうとすると、刑事がついて来るのです。事情聴取が終われば、帰りは刑事が車で送ってくれる。これは…と思い、私は言ったのです。娘を殺した犯人だとでも言うの?って」

8月12日、同居男性だけが警察に呼ばれたが、向かった先は捜査本部だった。実は同居男性は、めぐみさんに性的虐待を繰り返していた。遺体の痕跡からその事実を掴んだ警察は、この日、男にその事実を自供させた。ところが、警察と同居男性は、青木さんにはこのことを伏せていた。

少し沈黙した後、青木さんは一気に語った。「男は性的虐待のことを警察に言って、どうして私には言わなかったのか。もし、私が聞いていたら、逮捕されることもなかったのです。そんな話、聞いた瞬間に、私は男と別れていました」

青木さんはシングルマザーだった。前夫との間に生まれためぐみさんと長男(火災当時8歳)を育てていた。同居男性は、離婚してから青木さんが働いた大阪市平野区にあるスナックの常連客で、子どもたちとよく遊んでくれたという。楽しそうな子どもたちに、「Bさんと一緒に住んでもいい?」と聞くと、「いいよ、住もうよ」と賛成してくれた。1990年、大阪で開かれた花博(国際花と緑の博覧会)を一緒に訪れた後のことだ。

男性との同居は、喜んでくれる子どもたちのためだった。「だから…」と続ける声のトーンが少し低くなる。「同居するとき、男に条件を出したんです。入籍はしない、(2人の間に)子どもは作らない、子どもが欲しいなら他の人とどうぞって。それなのに……。私がそんな男を許せる訳がない……」

警察の密室で行われた違法な取り調べ

9月10日、東住吉署に任意同行された青木さんは、性的虐待の話を初めて聞かされた。そして、その事実を材料に、放火に関する自白を迫られることになる。

刑事は、畳み掛けるように青木さんに告げたという。「同じ家の中にいて気づかへんかったんか。母親失格やな」。刑事は怒鳴り声で、こんなことも言った。「お前も知ってたんやろ、三角関係のもつれで女としてめぐみを許されへんから殺したんやろ」「お前は鬼のような母親やな、めぐみに悪いと思えへんのか」

「素直に認めろ」と、大声で怒鳴りながら、机をバーンと叩いたという。

「助けられなかったんだから、お前が殺したも同然や」というトドメの一言に、「その通りだ」と感じた青木さんは、自暴自棄の思いに駆られて虚偽の自白を始めた。

「自白書を5枚書かされた9月10日と、3枚書かされた14日のことは忘れることができません。やっていませんと何度言っても、犯人扱い。部屋の壁に貼っためぐちゃんの写真を見ろと言う。机の上にも写真があって、それを見るよう机越しに頭を押さえつける。そうして、自白書を題名から書かせるのです。あの怖さは言葉では言い表せない」

青木さんが自白に追い込まれるくだりは、その著書『ママは殺人犯じゃない~冤罪・東住吉事件』(インパクト出版会)にも詳しいが、それを読み、同じ女性として母親として、筆者には疑問に思うことがあった。

愛する娘に性的な暴力を振るった男を許せないのは、母親なら誰しも同じ気持ちだろう。そんな男と共謀して娘を殺める母親が、この世にいるのだろうかーー。

1990年代は児童虐待防止法の成立前、子どもへの性的虐待はまだ親告罪だったが、立場は性虐待の加害者と、それを知らなかった被害者の母親だ。そんな2人が、警察の考える「三角関係」に当てはまるわけがない。

性虐待について知らされたとき、呆然とする青木さんに、「なんや知らんかったんか」と、刑事は吐き捨てるように言ったという。なぜその時点で、警察は少なくとも共謀という冤罪のシナリオを見直さなかったのか。

放火についての自白は強要されたものだった。同居男性は性虐待の秘匿を取引材料に、また青木さんは愛娘の死という泣き所を突かれた。性的虐待から虚偽の自白は生まれ、冤罪は作られた。警察の筋立ては、母・娘の犠牲の上に成り立っていた。

「私はめぐちゃんに一生謝り続ける」

「毎日、朝から深夜まで、酷い取り調べを受け続ける苦しみは、された者にしか分からないです。死ぬことしか考えられない。早くめぐちゃんのところへ行かせて欲しいとばかり考えていました」

2016年、青木さんと同居男性は再審無罪を勝ち取ったが、縁を戻すことはなかった。いま母親として、どんな思いを抱いているのだろうか?

青木さんは少し涙目になりながら、次のように語る。

「男に対しての怒りを通り越した感情は、言葉では言い表すことができないです。その話を聞いたときから、私のなかでは男の存在を消してしまっている。一緒に住まなければ、めぐちゃんが傷つくことはなかった。自分の子をこんなに不幸にした。私はめぐちゃんに一生謝り続けるのです。

悪いのは、男と同居することにした自分。何年経っても、忙しく動いていないと、ふっと、めぐちゃんのところに行きたくなる。でも、男は罪に問われない。それがいちばん悔しいです」

愛娘に対する、いつまでも消えない自責の念。火災の原因であるガソリン漏れを起こしたホンダ・アクティは、同居男性の所有する車だったが、本田技研工業に対して損害賠償訴訟を起こし、安全性の責任を追及したのも青木さんだった。謝罪してもらわなければ娘の死は報われないと。

しかし、結果は敗訴に終わった。火災から20年の除斥期間(権利を行使できる期間)を過ぎていた。冤罪で奪われた21年間が、訴えを阻む格好となった。

自白を強要した元刑事との法廷対決

では、冤罪の真相は、国賠で明らかになったのだろうか?

実は無罪になった後、当時の刑事がある取材に、「ふたりは犯人だ」と答えたという噂を聞き、この刑事を法廷に引っ張り出したいと強く思ったという。

「その元刑事を証人として法廷に呼ぶことができ、私自身が尋問しました。でも、刑事は、私が自白書を書いたのだから真実だと言い、まだ犯人だと言い切った。(性的虐待に関しても)“三角関係のもつれと言いましたよね”と尋問すると、“そんな話はしたことがない”と、未だに組織を守って私を犯人扱いして、反省もしない。今度は私が、原告席の机を両手でバーンと叩きましたよ。もし、裁判長に制止されたら、(元刑事に)あなたは止めてくれる人がいていいわねと言うつもりだったけど、注意はされなかった」

もし…と、筆者も思う。取り調べの可視化が実現されていたなら、そもそも青木さんが冤罪犠牲者になることも、辛い尋問に立つこともなかっただろう。

「『イチケイのカラス』に涙が止まらなかった」

     

裁判所に対して、青木さんは国賠の最終陳述で次のように訴えた。

「テレビドラマの『イチケイのカラス』を裁判長はご存知ですか? 無罪判決を言い渡した後、(主人公である)裁判長が被告人の前に立って、頭を下げ、あなたが味わった苦痛は計り知れない。一裁判官として深くお詫びします。申し訳ありませんでしたと謝ったのです。私はあの場面で涙が止まりませんでした。(中略)裁判長は、必ず真実に基づいた素晴らしい判決を言い渡してくださるものと、私は信じています」

そのとき、本田能久裁判長は正面から青木さんを見つめ、何度か頷いたという。青木さんは、「いま司法に吹く新しい風」を感じている。

再審無罪判決(2016年)のときの悲喜こもごもとした思いも、青木さんはよく思い出す。「警察の取り調べには精神的圧迫を加えるなどの問題があり、取り調べの任意性は認められず証拠能力はない」と、西野吾一裁判長は警察を非難するいっぽう、裁判所の誤ちについては踏み込まなかった。

でも、あのときも嬉しかったと、青木さんは笑顔で振り返る。

「判決文を朗読した後、裁判長は“青木さんは無罪です”と、私の目を見て2度言ってくれた。それまでの“青木被告人”から“青木さん”に言い換えて。その言葉に、裁判所としての謝罪の意味を込めてくださったのだなと感じました」

来年3月15日の国賠判決には、「純白な無罪」を期待している。

冤罪は作られる。冤罪を生まない社会を作るには、司法手続きのなかで、すべての証拠を開示する法律への改正が必要と考えている。青木さんは「再審法改正をめざす市民の会」、そして「冤罪犠牲者の会」の共同代表として、冤罪で狂わされた自らの人生を語り続けている。