※この記事は2021年09月25日にBLOGOSで公開されたものです

元経産省官僚の宇佐美典也さんに「私が○○を××な理由」を、参考になる書籍を紹介しながら綴ってもらう連載。第17回のテーマは、自民党総裁選でも争点のひとつになる原発政策の重要論点「核燃料サイクル」について。候補者のひとりである河野太郎議員は撤退の考えを明らかにしているのに対し、宇佐美さんもその難しさは認めるものの、「堅持せざるを得ない」政策なのだと説明します。

私がやっぱり核燃料サイクルは続けるべきと思う理由

核燃料サイクルに注目が集まっている。

きっかけは自民党総裁選の過程で河野太郎衆議院議員が質問に答える形で核燃料サイクル(核燃サイクル)について「なるべく早く手じまいすべきだ」と発言したことだ。

河野太郎議員が核燃サイクルへの反対論を唱えるのは昔からのことで例えば本人のブログでは、コスト高、核不拡散、供給安定性、環境負荷、耐震性、稼働の実現可能性、将来的な技術展望などの問題を列挙して核燃サイクルへの疑問を呈している。こうした指摘は私も半ば同意するところで、実際かつては私も核燃サイクル反対派だったのだが、その後色々な思考の過程を経て「核燃サイクルは堅持せざるを得ない」と立場を変えた経緯がある。

今回はこの難しい問題について、核燃サイクルの経緯や技術的概要についてまとめた「なぜ再処理するのか?原子燃料サイクルの意義と技術の全貌」(大和愛司著・エネルギーフォーラム新書)などを参考に読者の皆様と一緒に考えていきたい。

核燃サイクルとは「原子力発電に使う燃料のリサイクル」

さてまずはそもそも核燃サイクルとは何か、ということだが、経産省のHPなどを参考にしてまとめると、

「核燃サイクル」とは、原子力発電で使い終えた燃料(使用済み燃料)から再利用可能なプルトニウムやウランを取り出して(再処理)、「MOX燃料」に加工し、もう一度発電に利用すること(軽水炉サイクル/プルサーマル)で「①資源の有効利用 ②高レベル放射性廃棄物の減量 ③高レベル放射性廃棄物の放射能レベルの低下」を目指すもの。

元々は取り出したプルトニウムを中心に燃料として使う「高速炉サイクル」を目指していたが、こちらは研究用原子炉「もんじゅ」の廃炉が決まるなど停滞しており将来の目標という位置付けになっている。

といったところで、一言で言えば「原子力発電に使う燃料のリサイクル」である。

河野太郎議員が指摘する「コスト高」はその通り

さてこの核燃サイクルだが、リサイクル事業にありがちな話だが、経済的にはペイしないものである。河野太郎議員が「コスト高」と指摘する通り、例えば2011年に内閣府が行った試算では、使用済み燃料を再処理せずに(59年の中間貯蔵後)直接地層に処分する「直接処分」の方が再処理モデルよりも1円/kWh程度安くなることが確認されている。(なお青森県は核燃サイクルなしの中間貯蔵の受け入れを拒否しているのでこの案はそもそも実現可能か政治的問題を抱えている)

単純に考えれば直接処分すれば良いわけで、燃料のウランの枯渇への懸念に関しても当面はさらなる鉱山開発を進め、将来のために海水中からのウラン抽出などの研究を進めた方が合理的である。

ではなぜわざわざ先進国で日本とフランス以外は放棄した高コストな核燃サイクルを日本が進めているかというと単純に「直接処分をする場所がない」からである。

使用済み核燃料をそのまま直接処分するとなると、放射能が時間を経て天然のウラン鉱石の毒性まで減衰する期間は概ね10万年になる。これが軽水炉サイクルで再利用すると1万年(約8000年程度)、今は目処が立っていない高速炉サイクルで利用すると300年になる。実際に保管場所を確保するには減衰期の10倍の地層安定性が求められるため、直接処分で100万年、軽水炉サイクルで10万年、高速炉サイクルで3000年程度の地層の安定性が求められる。

100万年の地層の安定性となると地震大国の日本ではそもそも適切な土地を見つけることは困難で対象は限られ、加えて実際に10万年の管理をする最終処分地を選定する政治プロセスはさらに困難になる。事実上不可能と言ってもいいだろう。これは1万年でも同様のことだが、候補地が広がるだけかろうじて選定の可能性は見えてくるだろうし、300年であればより可能性が増してくる。いずれにしろ使用済み燃料の最終処分場の選定が困難なことは変わらず、原発が「トイレなきマンション」と揶揄される所以はこれである。

軽水炉サイクルは「先送り」の手段

こうした最終処分地選定の困難さから「先送り」の手段として採用されているのが現在の軽水炉サイクルということになる。現在建設中の六ヶ所村再処理工場、MOX加工工場が稼働すれば、軽水炉サイクルは以下の図のように、

① 各発電所で保管されている使用済み核燃料が六ヶ所村に送られる
② 同再処理工場でプルトニウムとウランが抽出される
③ 抽出された燃料のうちプルトニウムと劣化ウランを混ぜて加工してMOX燃料を作る
④ 当該MOX燃料を軽水炉で利用する
⑤ このサイクルを1~2回回す
⑥ 利用し終えた高レベル放射性廃棄物は六ヶ所村で30~50年間冷却貯蔵される

というようなフローで回ることになる。

つまり現在の軽水炉サイクルはせいぜい50年間程度の先送りにしかなっていないわけで、この間に1万年程度保管する最終処分場を見つけるということになっている。

仮に河野太郎議員が自民党総裁、ひいては総理になって、核燃サイクルをすぐに止めるとなると、この50年の先送りができなくなることを意味する。各原子力発電所の貯蔵容量の限界が見えてくるのは10~20年といったところだが、核燃サイクルをやめるとなれば青森県から政府の協定違反として保管している燃料を早期に県外で処理するように求められるであろうし、現実に最終処分場を建設する工期も考えれば数年以内に最終処分地を国内で選定する必要性に迫られることになる。これは極めて困難だ。

そうなると、すでに最終処分地の選定がある程度進んでいるカナダなどに相乗りするような形で、共同で国外処分することが選択肢として考えられるようになるだろう。ただこちらも実現の可能性は不透明で、仮にこちらが頓挫すれば使用済み核燃料は行き場をなくすことになる。これは鳩山由紀夫政権時の基地移転問題を彷彿させるような展開になるだろう。原発という乗りかかった船は、降りるのも極めて困難なのである。

「核武装のオプション保持」という側面

このように核燃サイクルをめぐる問題は最終処分場の選定の政治的困難性と密接に関係しているのだが、あと核燃サイクルをめぐる議論で忘れてはいけないのは、日本としての「核武装のオプションの保持」という側面である。

核燃サイクルに要する基礎技術は当然にして核兵器開発と共通しており、かつて自民党の政治家は安全保障におけるこの意味合いを高く評価した。例えば外務省国際局科学部長を務めた矢田部厚彦は、防衛族の大物であった源田実に核燃サイクルによる核戦力のオプションを持つことについて働きかけられたとNHKの特集番組(「“不滅”のプロジェクト ~核燃料サイクルの道程~」:NHK・Eテレ2012年6月17日放送)で述べている。

核燃サイクル推進のベースとなった現行の日米原子力協定が昭和の防衛政策を担った中曽根康弘氏の政権下で結ばれたことも象徴的である。これは実際日米関係にも大きな影響を与えている。例えばトランプ政権で通商政策を担ったピーター・ナヴァロ氏は著書「米中もし戦わば」(文藝春秋)において「過去60年以上にわたる原子力発電の経験から、日本は、速やかに原子爆弾を開発するだけの専門技術も核物質も十分に持ち合わせている」と評価した。

さらに、アメリカが日本に対するコミットを弱めれば日本は中国に対抗するために早期に核武装し東アジアの核拡散に歯止めがかからなくなる可能性を指摘し、「日米同盟を堅持することが一番無難な選択肢である」と評価している。

このような最終処分場、安全保障上の意味合いを考えたときに、私としては、

・最終処分場選定のハードルを下げるために高速炉開発の時間を稼ぐ
・中国の膨張主義が安定するまで「核兵器開発のオプション」を保持し続ける
・現実に代替策がない状況で核燃サイクルを止めると日本のエネルギー供給体制が崩壊しかねない

という点から、現行の核燃サイクル政策を「堅持せざるを得ない」と評価するようになった。

ただかつて私自身が核燃サイクルに反対していたように、この矛盾だらけの枠組みに河野太郎議員が反発するのもよく分かるところである。この自民党総裁選を機に、我が国最大のパンドラの箱の一つとも言える核燃サイクルに関する議論が活発化し、日本国民として何かしらの方向性を見出して合意できることを願うところである。

【今月の推薦図書】

なぜ再処理するのか?―原子燃料サイクルの意義と技術の全貌 (エネルギーフォーラム新書) 単行本 - 2014/7/1
大和 愛司 (著)


【訂正】記事タイトルを「河野太郎氏が言及した原発問題『パンドラの箱」』核燃料サイクル事業は止められるのか」から「河野太郎氏が言及した原発問題『パンドラの箱』 核燃料サイクル事業が止められない事情」に変更しました。(2021年9月25日16時40分)