サッポロビールの「黒ラベル」が好調だ。缶の販売数量は7年連続で前年比増、特に若い世代を中心に購買量が増えているという。若者のビール離れが進んでいると言われる中、なぜ支持されているのか。ジャーナリストの村上敬さんが聞いた――。

■若者のビール離れで各社が苦戦する中…

サッポロビールが展開する「サッポロ生ビール黒ラベル」が好調だ。2021年末の時点で、缶の販売数量は7年連続で前年比増を達成した。競合に目を向けると、キリンの「一番搾り」の缶は2019年まで3年連続は前年比増だったが、2020年に前年比割れ。アサヒの「スーパードライ」の缶は「生ジョッキ缶」のヒットで2021年に増加に転じたが、それまでは長らく苦戦が続いていた。他社のフラッグシップブランドと比べると、黒ラベルの安定感は際立っている。

「黒ラベル」ブランドマネージャーの齋藤愛子氏は、コロナ禍での好調ぶりについても胸を張る。「21年1月〜22年3月の月別販売数量の平均は、コロナ禍前の19年1月〜20年3月と比べて117%に伸長しました。コロナ禍前は夫の代理購買で妻が安めの新ジャンルを購入する傾向がありましたが、現在は若年層をはじめ、コロナ禍で直接スーパーに足を運んで自分で飲みたいビールを買う男性が増えた。缶ビール全体に追い風が吹く中で黒ラベルが選ばれたということでしょう」

撮影=プレジデントオンライン編集部
サッポロビール「黒ラベル」ブランドマネージャーの齋藤愛子氏 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■「静」のイメージが自粛生活とマッチした

ただ、サッポロ全体のビール缶平均(110%)と比べても、黒ラベルの伸びは目立つ。ビールの中でも黒ラベルが選ばれた要因は何だったのか。齋藤氏の分析はこうだ。

「コロナ禍が、これからの生き方や自分のあり方を立ち止まって考える契機になった方は多かったはずです。テレビCMに登場する『大人エレベーター』が象徴するように、黒ラベルはビールという物性より、背景にある人格や自分らしさを大事にしているブランドです。

また、他ブランドとは異なる訴求方法として、「動」よりも「静」――みんなでワイワイガヤガヤというより、「気の置けない仲間とじっくり語り合う」というシーンがよく似合います。こうしたブランディングが、自分を見つめ直したいと考えたお客さまにマッチしたのでは」

■45年前、「生ビールを家でも」から始まった

長年続けているCMの効果もあり、「大人が飲むビール」といったイメージが定着した黒ラベルだが、かつては「大人」とは似て非なる「おじさん」のビールという印象が強かった。ビールには「玄人向け」「大衆的」といったポジティブなイメージがあるが、それが若者や女性を遠ざけていた面もある。黒ラベルはどうやって「大人の生」へと脱皮したのか。歴史を紐解いてみよう。

黒ラベルが誕生したのは1977年。当時、家庭用は熱処理のラガーが一般的だったが、「飲食店で人気の生ビールを家でも」というコンセプトで開発された。原点のコンセプトはいまも継承されており、「コロナ禍で飲食店に行けなくなり、外で飲むようなおいしい生ビールを家で飲みたいというニーズをとらえたことも、黒ラベル好調の一因」(齋藤氏)という。

撮影=プレジデントオンライン編集部
黒ラベルは2月にパッケージをリニューアルした - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■メジャー感、インパクト勝負、品質重視と“迷走”を続け…

だが、その後はブランドのメッセージが揺れた。85年には、「世界がうまいと言い始めた」とメジャー感を訴求したと思えば、92年はCMにとんねるずを起用して「大人になったら黒ラベル」と発信。「大人」という部分は現在のブランディングに通じるところもあるが、「おじさん」のイメージと紙一重だ。

97年には原点に戻って「ビヤホールの生」を訴求したが、一転、2000年は豊川悦司と山崎努が温泉卓球を繰り広げる「LOVE BEER?」CMを展開。味よりもインパクト勝負に出た。かと思うと、06年には「品質は、畑から」と打ち出して、おいしさと安心安全を訴求する。サッポロの企業コンセプトを、フラッグシップブランドである黒ラベルに投影したブランディングだった。

時系列で並べてみると一貫性のなさが分かるが、ブレていたことは齋藤氏も認めている。「黒ラベルは、時代に合わせて訴求する価値やコミュニケーションを変えてきました。それによって時代時代に爪痕は残せたのかもしれませんが、中長期でブランドの軸を打ち出せず、黒ラベルといえばこうだという確固たるポジショニングができていなかった」

■マーケティングと営業現場で方針がバラバラ

ブランディングがブレ続けた要因は何だったのか。一つは他社を意識しすぎたことだったろう。例えば97年に「ビヤホールの生」と打ち出したのは、当時快進撃を続けていたアサヒ「スーパードライ」の影響が大きい。「スーパードライ」がビールに辛口の概念を持ち込んだことで、消費者がビールの味に注目。味訴求の戦いで生き残るため、黒ラベルも独自の味言葉を開発しようと「ビヤホールの生」をキーワードにした。

外部環境のせいばかりにはしていられない。社内の問題も大きかった。「ブランドマネージャーは通常2〜3年で交代します。中長期のビジョンがないまま代わったため、マネージャーは自分のカラーで勝負する傾向がありました。

統一感がなかったのは横の関係も同じです。例えばマーケティングで何かブランドメッセージを打ち出しても、営業の現場は『男は黙ってサッポロビール』(「サッポロラガービール」で1970年に三船敏郎を起用し、一世を風靡(ふうび)したCMのコピー)のイメージでポスター案を出してくることがありました」

ブランドを伝えるコミュニケーションが混乱する中で消費者側に残っていたのは、「男は黙って」のイメージ。中高年男性以外の層が敷居の高さを感じたとしても無理はなかっただろう。

■あえて「おいしい」という表現は封印した

転機になったのは、2010年から始まったCM「大人エレベーター」だ。リブランディングで打ち出したコンセプトは「大人の★生」。齋藤氏は狙いを次のように語る。

「キレがあるとかコクがあるという味の訴求では、あたりまえすぎて他社ブランドとの差別化が難しい。ゲームチェンジして黒ラベルだけの競争軸をつくりたいという思いから、世界観で勝負することにしました。CMでは、『おいしい』など味に関する表現は一切なし。黒ラベルを飲むと自分が違いの分かる大人になったと感じてもらえるような世界を表現しました」

特筆すべきは、大人の世界観を表すために当時30歳目前だった妻夫木聡を登場させたことだろう。たとえ格好のいい大人でも、1人で滔々と人生を語らせるだけでは、説教くささや押しつけがましさが出てしまう。大人に憧れる若者をホストとして加えることで、「おじさん」の世界を「大人」の世界に変えた。

提供=サッポロビール
サッポロビールによると、旧型のものからデザインをシンプルにするよう心掛けたという - 提供=サッポロビール

■迷走期を経て、ようやくブランドイメージが固まった

味の訴求をやめると同時に、中高年男性に絞ったターゲティングもやめる。大胆なゲームチェンジだったが、それゆえ営業現場の混乱や不安は大きかった。「現場からは『性や年齢を指定してくれないと売りづらい』という声があがっていました。

しかし、層を絞ると結局、他社と同じになってしまいます。ここで軸がブレると、いままでの二の舞になる。前任から引き継いだビジョンを台無しにしないよう、意志を持って全国の営業担当たちに説明を続けました」

撮影=プレジデントオンライン編集部

組織内でブランドの統一を図っただけではない。注目は、中長期で軸を持ち続けたことだろう。冒頭、黒ラベルの販売数量は15年から現在まで7年連続前年比増と紹介した。ということは、10年にリブランティングしてから軌道に乗るまで5年要した計算になる。1977年の発売開始から数えると、迷走期を経て実に38年だ。ブランドマネージャーが2〜3年で交代する中でも軸が揺らがなかったことが、リブランディングを成功に導いたのだ。

■「ブランド軸の固定=マンネリ」とどう向き合っていくか

目先の環境変化や数字に振り回されることなく、一貫して同じブランディングを続ける。それが現在の黒ラベル人気につながったことは間違いない。ただし、変化のないメッセージはマンネリと背中合わせだ。今後の展開が気にかかる。

「大人の世界観を徹底することについては今後もブレないようにやっていきます。一方、アプローチのやり方は、もっと攻めてもいい。例えば4月から大人エレベーターの世界観を深掘りして伝える音声メディア『黒ラヂオ』を始めました。黒ラベルの世界観を体現するグッズを販売するECサイト『THE SHOP』もスタートしています。もともと私は前の部署でデジタルマーケティングをやっていました。同じメッセージでも、新しいメディアを活用して届けることで、黒ラベルに刺激を与えていきたいですね」

「大人エレベーター」が始まって13年目。当時大人に憧れた若者も「おじさん」と呼ばれる年齢に差し掛かってきた。また次の世代の消費者が憧れる大人の世界を、新しいメディアも使いつつ伝えていけるのか。継承と革新のバランスが難しいだけに、齋藤氏の匙加減に引き続き注目していきたい。

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村上 敬(むらかみ・けい)
ジャーナリスト
ビジネス誌を中心に、経営論、自己啓発、法律問題など、幅広い分野で取材・執筆活動を展開。スタートアップから日本を代表する大企業まで、経営者インタビューは年間50本を超える。
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(ジャーナリスト 村上 敬)