キーウの聖ソフィア大聖堂は1037年に建立された(写真:Ko Hon Chiu Vinent)

ロシアによるウクライナに対する軍事侵攻が続いています。気持ちが擦り減るようなニュースの中、攻撃を受けて瓦礫の山となった街の様子も頻繁に目に入ってきます。

キーウの聖ソフィア大聖堂と関連する修道院建築物群、キーウ-ペチェールスカヤ大修道院や、リヴィウ歴史地区など、6つの世界文化遺産を擁するウクライナには、そのほかにも文化財が数多く存在します。そのような文化財は、ロシアによる侵攻によってどうなってしまうのでしょうか。戦時における文化財の保護の仕組みを紹介します。


リヴィウの歴史地区(写真:yuzu/PIXTA)

国連が定めた文化財保護条約

武力紛争の際の文化財の保護については、その名も「武力紛争の際の文化財の保護のための条約」(1954年にハーグにて採択、以下「1954年ハーグ条約」)と、2つの議定書という国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)による条約があります。

1945年10月の国際連合の設立自体が、第二次世界大戦を防げなかった国際連盟の反省を踏まえたものですが、ユネスコはその1年後に設立された、教育、科学、文化に特化して平和に向けた取り組みを行う専門機関です。

ユネスコ憲章の前文には象徴的な次の言葉が含まれています。「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」。世界中のさまざまな風習や文化の相互理解を通して国際平和を実現することがユネスコの目的なのです。

ユネスコが、第二次世界大戦で数々の文化財が失われたことへの反省から設立初期に作成した条約が「1954年ハーグ条約」でした。ちなみに誰もが知るユネスコの世界遺産条約も、おおもとにある考え方はこの条約の流れを汲むものであり、各国に存在する文化財を「全人類のための世界の遺産」として登録し、相互理解、ひいては国際平和に資するために1972年に採択されました。

さて、1954年ハーグ条約はウクライナ、ロシア、日本も含む133カ国が締約国です。ユネスコ加盟国が193カ国なので、条約未批准国であってもユネスコ加盟国であれば特に重大な問題がない限り条約を妨害するなどの行為はしないのが基本姿勢です。

同条約の保護対象となる「文化財」は「各国民が受け継ぐべき文化的資産に対する多大の重要性を有する(中略)動産又は不動産」とされ、世界遺産に限らず遺跡、歴史的・芸術的建造物、美術品、博物館や図書館等が含まれます。

締約国は、武力紛争の際に近くで活動を行ったり、文化財への直接の攻撃を行わないなど上記の文化財が破壊や損傷を受ける可能性を避ける義務があります。

違反行為があった場合には、違反を行った者、また命じた者を適宜罰することができるよう必要な措置をとることができるよう法整備をしておくことも締約国に義務付けられています。

実は条約が抑止力になっていない現実

しかし、これまでの歴史を見ると、残念ながら1954年ハーグ条約が効果的に破壊抑制力を発揮してきたとは必ずしも言えない現実があります。有名な例では2001年にバーミヤンの石仏がタリバンによって破壊されたアフガニスタンがあります。

アフガニスタンは当時、1954年ハーグ条約の締約国ではありませんでしたが、1948年からのユネスコ加盟国であり初期加盟国として、ユネスコに関わっていました。

松浦晃一郎ユネスコ事務局長(当時)を含め必死の説得や呼びかけも虚しく、破壊が行われた年のユネスコ総会では事務局長による遺憾の意と共に、未締約国への一刻も早い1954年ハーグ条約締約と条約の周知が重要議題となりました。

また2014年から2017年にかけて、イスラム過激派組織「イスラム国」により、シリアの世界遺産パルミラの遺跡を含めイラク、シリア、リビアで文化財破壊が行われました。

3国とも1954年ハーグ条約の締約国でしたが、結局破壊者に対しては、なすすべがなかったというのが現実でした。イリナ・ボコヴァ・ユネスコ事務局長(当時)は本件を「文化浄化」として非難、2015年の国連総会で各国に文化財保護の措置を改めて取るよう呼びかけました。

ウクライナ侵攻でユネスコがしていること

今回のロシアによるウクライナ軍事侵攻でも、ユネスコは継続して呼びかけを行っています。早朝に侵攻が始まった2月24日の午後には最初の呼びかけとして遺憾の意と共に、文化財を破壊するあらゆる行為に対し1954年ハーグ条約の尊重を訴えました。

その後、今日に至るまでユネスコは多い時で1日に複数回の頻度で公式に呼びかけを続けています。また担当レベルでは関係諸国や専門家と日々連携していることも日々発信しています。

3月初頭には、ウクライナ政府と協力し、特別保護下にある文化財の目印となる「ブルーシールド」と呼ばれる特殊標章の設置を行い、衛星を通して文化財の損傷を監視する旨の発表を行っています。しかし、直後からリヴィウの歴史的な街や文化財の破壊が懸念される報道が出ます。

ですが、たとえ他国間条約で定められた文化財保護のためであっても、国連職員を命の危険にさらして紛争地に派遣するわけにもいかないので、あくまでも遠隔で活動せざるをえないのが現状です。条約締約国だからといって、ユネスコ職員や各国が緊急時に駆けつけてくれるわけではありません。

文化財を破壊される危険性があるということは、当然命の危険もあるということ。その状態でいったいどこまで文化財保護ができるのか。

紛争という緊急事態に備えて平時から文化財にブルーシールドを設置したり、対応措置について十分な議論を行い、法整備をしておく、また可動文化財の避難先を確保しておくなどの準備をユネスコと連携して行っておくことがいかに重要かわかります。


ハーグに設置されているブルーシールド(写真:Civil-Military Coorperation Centre of Excellence/ A. Werres)

そして、ひとたび戦闘が落ち着くと、通常はユネスコの職員や専門家によるチームが現場検証や調査のため現場入りします。被害を被った国と連携しながら、小学校の復興といったユネスコが同時に専門としている教育分野などと併せて優先順位をはかりつつ、どの文化財から修復するのか、といった具体的なプロジェクトに落とし込んでいきます。

バーミヤンの遺跡はその後どうなった?

例えば先述のバーミヤンの遺跡は、2001年の石仏破壊後、2003年には世界遺産登録と同時に危機遺産リストへの登録がなされ、優先的に保護すべき遺産となりました。

修復を行いつつアフガニスタンの持続可能な文化遺産保護や雇用創出を目的としたプロジェクトが立ち上げられ、ユネスコ日本信託基金で2020年まで、その後2023年まで文化無償資金協力「バーミヤンにおける世界遺産の持続可能な管理計画(UNESCO連携)」(供与限度額4億2300万円)を実施中です。

また、イスラム国により破壊されたイラクの古都モスルは2018年からユネスコの優先案件の1つと位置付けられ、やはり現地調査を経て修復・再建のプロジェクトが立ち上げられました。モスルの歴史的なアイデンティティとも言える人の交流と多様性を象徴するモスクと教会が最優先となります。

このプロジェクトの支援国には、宗教を超えた支援として、モスクとミナレットだけでなく、キリスト教の教会をも支援の対象としたアラブ首長国連邦が名乗りを上げ、ユネスコ場裡での賞賛を浴び印象付けました。

EUもユネスコと連携し、122件の歴史的家屋の修復・再建を行うとしています。今年3月にようやく工事が始まりましたが、とは言え枠組みをつくるだけでモスル解放からすでに4年が経過、復興はまだ当分先の話になりそうです。

(前島 美知子 : 研究者、起業家)