「自然との触れ合いがメンタルヘルスを改善する」という主張は数多くの研究によって裏付けられていますが、過去10年間の主要な研究に潜むバイアスから、自然がメンタルヘルスを改善することは普遍的ではない可能性が浮上しました。

Chronic deficiency of diversity and pluralism in research on nature's mental health effects: A planetary health problem - ScienceDirect

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S2666049022000263

Studies linking nature to better mental health focus on wealthy nations - here's why that's a huge problem

https://www.inverse.com/mind-body/nature-psychology-rich-counties-bias

アメリカの研究チームは、2010年〜2020年にかけて発表された自然とメンタルヘルスに関する研究について、さまざまなワードで学術文献のデータベースを精査して合計で174件の査読済み研究を発見しました。そしてこれらの研究を分析したところ、「自然とメンタルヘルスについての研究に潜むバイアス」が明らかになったとのこと。

研究チームが指摘するバイアスとは、「自然とメンタルヘルスに関する研究のほとんどが裕福な国々で実施され、中・低所得国家の人々はほとんど調査対象に含まれていない」というもの。今回収集した研究のうち、実に97%が世界銀行の分類で一人当たり国民所得(GNI)が1万2235ドル(約160万円)を超える「高所得国家」に位置づけられた国で行われており、GNIが3996ドル(約52万円)を超える「上位中所得国」に位置する国で行われた研究は2.9%、1006ドル(約13万円)を越える「下位中所得国」に位置する国は1.1%に過ぎないことがわかりました。なお、「下位中所得国」で実施された自然とメンタルヘルスに関する研究は2件であり、1件がインドでもう1件がイランでした。

世界銀行の分類では、指数が算出されている217の国と地域のうち「高所得国家」に含まれているのは80カ国、「上位中所得国」が55カ国、「下位中所得国」が55カ国、「低所得国」は27カ国です。高所得国家が占める割合は世界全体で見れば大きなものではありませんが、自然とメンタルヘルスに関する研究のほとんどが高所得国家のみで行われていることになります。論文の共著者でありバーモント大学で環境学の助教を務めるRachelle Gould氏は、「(これらの研究には)人類の大きな割合が含まれておらず、何が普遍的で何が特殊なのかがわかりません。このギャップが、研究結果が世界にインパクトを与え、持続可能な方法で人類の幸福を向上させる上で障害になると考えています」と述べています。



研究が行われた高所得国家の多くは欧米諸国と一致しており、非欧米の国々も中国・韓国・シンガポール・イスラエル・南アフリカなど、欧米諸国の価値観やライフスタイルが浸透した国が多かったとのこと。また、中国のような場所で行われた研究は自然に囲まれた農村部ではなく、自然の少ない都市部で行われる傾向があったそうです。また、被験者の人種統計を報告した研究は全体の62%に過ぎず、被験者の人種がわかっている研究では、全国統計より白人の割合が多いことが示されているそうです。

近年では心理学の研究において、研究者の多くが「西洋人や裕福で教育水準の高く、安定した民主主義国家に住む人々」を対象に研究を行っていることが問題視されています。これらの集団は心理学者が最もアクセスしやすい人々であると同時に、そもそも個人の心に焦点を当てる「心理学」という学問自体が欧米的な精神と合致するものといえます。そのため、西洋諸国の人々を対象に行われた心理学の研究結果は、世界全体の人口に対して普遍的に適用できるものではない可能性があるとのこと。

論文の共著者でありバーモント大学の博士研究員を務めるCarlos Andres Gallegos-Riofrío氏は、「これらの研究は比較的大きくグローバル化した都市で行われています」「論文を読むと、基本的に西洋世界で行われた研究の公式を再現しています。文化的なニュアンスや多様性がありません」と指摘しています。



研究の被験者における人種・文化的な偏りは、文化ごとに異なる緑地との関係性を無視する恐れがあります。Gould氏は、同じアメリカ人であってもアフリカ系アメリカ人や黒人コミュニティでは、白人コミュニティとは異なる緑地との関係を持っていると指摘。たとえば過去の研究では、黒人系のアメリカ人は自然と触れ合うレクリエーションに従事する可能性が低いことがわかっており、その特徴は長年にわたる差別などに起因する可能性があるとのこと。

また、先住民族も欧米的な価値観とはまったく異なる自然観を持っていますが、ほとんどの研究には先住民族の被験者は含まれておらず、わずかにカナダとニュージーランドで行われた2つの研究で10%未満の被験者がいただけでした。たとえば南アメリカのアンデス山脈周辺の先住民族は、自然や川に法的な人格を認める「自然権」を擁護しており、西洋諸国とは異なった自然の捉え方をしています。また、Gallegos-Riofrío氏によると南アメリカの先住民族が使用するケチュア語には「私」「私たち」に当たる言葉がないそうで、これは精神疾患についての西洋的評価ツールが役に立たないことを示しているそうです。

研究チームはこれらの問題を解決する方法として、「これまで被験者に含まれていなかった人々にもリーチする」「被験者の民族性を記録する」「メンタルヘルスや自然とのつながりを測定するための文化的に配慮したツールやデザインを作成する」といったものを挙げています。Gould氏は、「これらは本当に重要です。自然の中に身を置くと何か本当に強力なものを感じます。それが何なのか、あらゆる面で理解できるようにしましょう」と述べました。