海軍戦力を喪失しているウクライナ軍は、今のところミサイルやドローンでロシア黒海艦隊の戦力を減殺中です。黒海北西部で進行するこれらの戦闘に注目してみると、戦争の長期化が現実味を帯びてきます。

ロシア海軍にとって重要な黒海の位置づけ

 ロシア軍によるウクライナ侵攻が開始されて以降、ロシア海軍の艦船が相次いで黒海で炎上・沈没しています。黒海と黒海艦隊はロシアにとってどれほどの重要性を持っているか考えてみます。


ロシア海軍のラプター級高速哨戒艇(画像:レニングラード造船所「ペラ」)。

 ロシア海軍の主要な軍港は、北極圏のバレンツ海に面したムルマンスク(北方艦隊)、バルト海のカリーニングラード(バルト艦隊)、極東のウラジオストク(太平洋艦隊)、黒海のセバストポリ(黒海艦隊)、カスピ海のアストラハン(カスピ小艦隊)で、それぞれに艦隊が設けられています。主力は正式呼称「航空重巡洋艦」という事実上の空母「アドミラル・グズネツォフ」を擁する北方艦隊で、黒海艦隊はそれに次ぐ戦力です。

 なお、バルト艦隊が配置されているカリーニングラードは、地勢的にはNATO(北大西洋条約機構)に加盟するリトアニアとポーランドに挟まれた飛び地であり、加えて大西洋に出るには、デンマークとノルウェーに挟まれたスカゲラック海峡を通り、さらにイギリス沖に広がる北海を抜ける必要があります。

 このようにバルト艦隊が地勢的に対NATO上、不利な立場にあるのに対し、黒海はロシアの懐に位置しているほか、拠点となるセバストポリはウクライナ領内にあるものの、周辺地域を含めて事実上ロシアの勢力下にあります。また黒海は、ロシアがトルコと歴史的に対峙してきた経緯から国防上重要な海といえるのです。

ロシアにとってセバストポリとクリミア半島が必須なワケ

 黒海の中央に突き出すクリミア半島は制海権を押さえるには最適です。旧ソ連崩壊後、ロシア系住民が多数派を占めるクリミア半島は自治共和国としてウクライナに編入されました。ロシアはセバストポリを2025年まで租借地として共同使用する協定をウクライナと結んでいました。ところが、2014(平成26)年にウクライナの政権が親欧米寄りになると、ロシアはクリミア半島を併合します。

 ロシアは今般の侵攻前、セバストポリと黒海北東岸のノヴォシロースクに海軍の拠点を置いていました。一方、ウクライナは東からベルジャーンシク、セバストポリ、ムィコラーイウ(ニコラーエフ)とオデーサ(オデッサ)に軍港を持っていました。ウクライナの4つの軍港にはそれぞれ造船所があり、中でも重要なのは旧ソ連時代から黒海艦隊の艦艇を建造してきたムィコラーイウです。

 ロシア軍は2月24日の進攻直後にベルジャーンシクとオデーサ南方のルーマニア国境に近いスネーク(ズミヌイ)島、そしてクリミア半島の西の付け根にあるヘルソンを占領しています。これは黒海北部の制海権を押さえムィコラーイウとオデーサを封鎖する形になりました。そして、3月にはオデーサをミサイル攻撃し、ヘルソンに近いムィコラーイウの攻略を試みるも、ウクライナ軍に撃退されています。

 キーウ攻略の失敗後、ロシア軍は東部のドンバス地方からクリミア半島につながる回廊を保持する戦闘に移りました。

ウクライナによる対艦ミサイル攻勢

 ここで、ウクライナの海軍戦力について見てみましょう。旧ソ連崩壊後、黒海艦隊は分割されウクライナ海軍にいくつか艦艇が移譲されました。ただ、スラヴァ級ミサイル巡洋艦「モスクワ」の同型艦「ウクライナ」は、建造中にウクライナへ譲渡されるも財政難で未完成のまま、現在はムィコラーイウに係留されています。残りの艦艇はロシア軍に接収され、結局ウクライナ海軍は戦力を喪失しました。

 このようにウクライナ海軍の水上戦力は壊滅状態のため、対ロシア艦艇への攻撃は対艦巡航ミサイル「ネプチューン」や攻撃ドローン、航空機によるものです。なお、これらによって3月にタピール級揚陸艦「サラトフ」(当初の報道では「オルスク」)とラプター級高速哨戒艇1隻、揚陸艇2隻が撃破、4月にミサイル巡洋艦「モスクワ」が沈没しています。


2022年3月29日、ロシア軍のロケット攻撃で破壊されたムィコラーイウ地方国家管理局(画像:ウクライナ国家緊急事態省)。

 5月に入り、ウクライナ軍はスネーク島と周辺海域で夜襲を含めた攻撃を強化しています。ウクライナ国防省の発表や映像からは、トルコ製の攻撃ドローン「バイラクタルTB2」などの無人航空機や戦闘機Su-27「フランカー」のミサイルと爆弾で、ラプター級高速哨戒艇2隻、セルナ級揚陸艇1隻、防空ミサイル・システム「トール」を含む地上施設を破壊しています。

 5月12日にはオデーサ沖で補助艦「フセヴォロド・ボブロフ」が、ネプチューンで大破したと発表がありました。同艦はサンクトペテルブルクで2隻建造された「プロジェクト23120」の2番艦として2021年8月に就役した新鋭艦です。輸送や被害艦艇の捜索・救助・医療支援を行う多目的艦艇で、黒海艦隊にとっては大きな痛手です。

 とはいえ「トール」のミサイルで迎撃可能な高度は6000m以下。「バイラクタルTB2」の上昇限度は7600mなので、探知されずに接近し防空システムを無力化するとともに、艦艇への攻撃を行っているようです。

 これらのことからロシアは防空システムが十分に機能しておらず、航空優勢を保持できていないといえるでしょう。

黒海艦隊の戦力低下がもたらすもの

 黒海に面するNATO加盟国はトルコ、ルーマニア、ブルガリアの3か国。そして、ウクライナとジョージアはNATO加盟の意思を表明しています。このうちロシア黒海艦隊に対抗できる海軍力を有するのはトルコのみですが、地中海への通路となるエーゲ海と黒海を結ぶ要衝、ボスポラス海峡を同国海軍が押さえています。

 ロシア海軍はカスピ海からラプター級高速哨戒艇を陸路で補充しているものの、黒海艦隊の被害が増えると戦力の低下は避けられません。

 つまり、ロシアにとってクリミア半島の失陥は黒海の制海権喪失につながります。前述したムィコラーイウとオデーサを完全占領できないままでの休戦は受け入れられないでしょう。これはロシアからすれば政権が変わっても譲れない条件とさえいえるのです。

 一方で、ウクライナのゼレンスキー大統領も5月3日の声明で、クリミア半島を必ず奪回し、領土問題で妥協はしないと述べています。

 この戦争は最終的にクリミア半島の帰属が焦点になる可能性があります。こう考えると、アメリカのミリー参謀総長が下院軍事委員会で示した、戦争は「少なくとも数年単位になる」という見解が、がぜん現実味を帯びてくるのです。

 果たして、ロシアによるウクライナ侵攻が終わりを告げる日はいったい、いつになるのでしょうか。