シャルケの日本代表DF板倉滉【写真:Getty Images】

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【ドイツ発コラム】異様な雰囲気で行われた“運命”のザンクト・パウリ戦で奇跡が起こる

 ドイツのゲルゼンキルヘンの街中が騒然としていた。

 郊外にある「フェスティンス・アレーナ」へ向かう道中では時速約10キロで走るトラックの荷台に数十人のサポーターが乗り込み、酒盛りをしながら気勢を上げている。数年前に新設されたスタジアム併設の駐車場には入場待ちの車が連なっている。群青ユニホームに身を包んだ大集団がトラム(路面電車)から鈴なりで降りてくる。

 今季のドイツクラブで最多合計観客数を誇るのは、ボルシア・ドルトムントの63万101人(16試合/33節終了現在)だが、2位は“盟主”バイエルン・ミュンヘン(17試合/56万2000人)ではなく、ドルトムントと同じくルール地方に属するブンデスリーガ2部シャルケ04の17試合で56万8974人である。この数字は、昨季33年ぶりに2部降格を喫したクラブに親愛の念を注いで辛苦と復活の過程を共有してきたサポーターの熱意の証でもある。

 ブンデスリーガ第33節、「フェルティンス・アレーナ」でのザンクト・パウリ戦は一大決戦だった。前日に田中碧所属のフォルトゥナ・デュッセルドルフが2位のダルムシュタットに勝利したことで、首位のシャルケはこの試合で4位のザンクト・パウリに勝てば無条件で1部への復帰が確定する状況だった。シャルケの最終節はアウェーのニュルンベルク戦だったため、なんとしても今節のホーム戦で決めたい。その熱情はスタジアム全体に伝播し、試合開始前の大型ビジョンにクラブヒストリーが流れ、選手紹介のアナウンスが鳴り響いた時点でボルテージは頂点に達した。

 ピッチ脇で選手の勇姿を撮影する知り合いのテレビクルーから、メインスタジアム上段の記者席に座る筆者へSNSでメッセージが来た。

「ピッチに降り立っていると、スタンドから雪崩のように轟音が降り注いでくるのが実感できるよ。これ、もし今日負けたら、大変なことになってしまうかも。いや、勝っても大騒ぎになるのは同じか(笑)」

2点ビハインドを背負い、誰もが1部復帰の朗報は最終節に持ち越しと思われたが…

 渾身の期待を込められた先に背番号4を背負った日本人選手がいる。その所作はどこまでも落ち着いていて、一見すると気負いは感じられない。しかし、そんな彼も素顔は25歳の1人の青年である。マンチェスター・シティからのレンタル移籍で今季シャルケに加入し、このクラブを取り巻くエモーションに感化され、センターバックのレギュラーに定着し、その責任をひしひしと感じてきたからこそ、この一戦の重要性を理解している。だからこそ、チーム全体が浮足立つなかで、板倉滉の挙動もどこかせわしなかった。

 試合開始早々、エースFWシモン・テロッデがGKとの1対1でシュートミスした瞬間に不穏な空気が漂った。記者席の後方に座るサポーターたちから大きなため息が漏れるが、彼らはすぐさま励ましの意を込めたコールを送った。

 前半9分に初めてザンクト・パウリが攻撃を仕掛けた。シャルケから見て右サイドを突破されるなか、バックラインの板倉はスペースケアと相手マークの両輪をこなして対応するも、味方選手が相手のパスコースを遮断できない。相手FWイゴール・マタノヴィッチがゴール右下にシュートを通すと、スタンドからは怒号ではなく味方チームを鼓舞するチャントが鳴り響いた。

 前半17分、板倉のバックパスを受けたGKマルティン・フレイシルがパスミスを犯して相手にボールを譲り渡してしまう。再びゴール前でボールを受けたマタノヴィッチが右足を振り抜いてザンクト・パウリが2点目。さすがのシャルケサポーターもこの時ばかりは頭を抱えて予想外の展開を嘆いた。マタノヴィッチのシュートを防ごうと決死のスライディングを敢行するも届かなった板倉が、力無げに拳で芝生を叩いている。1部復帰の朗報は最終節に持ち越された。誰もがそう覚悟した瞬間だった。

 前半23分、左コーナーキックからゴール前に飛び込んだ板倉が頭でコンタクトしたボールを再び右足で触ってゴールに入れ込み1点差に迫ったかに思われたが、これはビデオ・アシスタント・レフェリー(VAR)の末にハンドと判定された。確かに板倉はそれほど喜んでいなかったから、スタンドもゴール取り消しを平静に受け止めていた。それでも現実は2点ビハインドのまま。重い空気にスタジアムが沈められていくような感覚を覚えた。

1部昇格を果たしたシャルケは板倉の獲得オプションを行使できるか

 それでも記者席で観ていて感銘を受けたのは、チームが劣勢に陥るなかでも応援の声を絶やさないシャルケサポーターの存在だった。彼らは1つ1つのプレーに一喜一憂し、時には声を荒らげて不満の意を露わにしつつ、最終的には大コールと拍手を浴びせてクラブへの献身性を示し続けた。絶体絶命の危機に瀕しても、我がチームが必ず逆転して勝利する劇的なストーリーを信じて疑わない。栄光も挫折も等しく経験してクラブと一蓮托生であることを再認識したサポーターは、その辛苦の歓喜も同じく共有しようと覚悟を決めている。

 0-2で折り返した後半開始直後、この日幾多の好機を逃してきたテロッデがペナルティーエリア内で相手DFに引っ張られてPKを獲得する。そのPKをテロッデが決めて1点差に迫ると、「フェルティンス・アレーナ」に再び活気がみなぎった。最後方で行方を見守っていた板倉がゴールの瞬間に後ろを振り返り、立錐の余地なく埋まったゴール裏サポーターへ向けて咆哮している。ヨーロッパで戦い続けて約3年の歳月を経て、板倉は感情表現の大切さを認知したうえで、「シャルケの選手」として堂々と振る舞っている。

 後半26分、味方からのフィードをダルコ・チュルリノフが頭で折り返し、待ち構えたテロッデの右足ボレーが火を噴く。ブンデスリーガ2部の得点王争いで独走する背番号9が、ついにその本領を発揮した。2-2のイーブンになった時点でムードは一変した。この場所には頼もしきチームと、情熱に満ちたサポーターたちが居る。顔面蒼白なザンクト・パウリの面々がピッチに立ち尽くしている。この日の物語は間違いなく終焉へと向かっている。それは後世に語り継がれる壮大な叙事詩として、である。

 後半33分、FWマリウス・バルターが右サイドを疾駆して相手陣内へ殺到していった時、スタンドのサポーターが一斉に叫んだ。

「リンクス!」

「リンクス」とはドイツ語で左の意味で、そこには交代出場のMFロドリゴ・サラサールが走り込んでいた。その声に呼応するようにブルターが横パスを通すと、サラサールの強烈なシュートがゴールバーに当たってボールが斜め前方に落ちたのが見えた。

 爆音のような歓声が轟き、周囲が狂喜乱舞している。6分のアディショナルタイムも、もはや長くは感じられない。記者席から足早にミックスゾーンへ向かうと、クラブスタッフや地元ボランティアの方々がモニターを注視して固唾を呑んでいる。試合終了のホイッスルが鳴ると、誰彼構わず抱き合い、なぜだか分からないが、メディアの筆者までにも握手を求めてくる。それでも人々の歓喜の輪に加わらせてもらえるのはやはり心地が良い。

 ピッチに雪崩込んだサポーターたちと記念写真に収まっていた板倉がトンネルを潜ってこちらに歩を進めてくる。片手には日の丸の旗、そしてもう一方の手にはクラブスポンサーでもあるフェルティンス社製造のビール瓶が握られている。今回のミックスゾーン取材はテレビインタビュー限定だったため、板倉が語った言葉をこの項で掲載できないことをご承知いただきたい。それでも彼が示した矜持と、わずか1年にも満たない間に携えたシャルケへの愛はその言動や態度から如実に示されていたことを記しておく。

 マンチェスター・シティからのレンタルの身である板倉は今後、450万ユーロ(約6億1000万円)とも噂される獲得オプションをシャルケが支払えるか否かで来季の去就が決まる。それでも、これだけは言える。今の彼の願いは唯一、ゲルゼンキルヘンにとどまって勇躍1部にカムバックするチームの最終ラインに凛とした姿で立つことである。

 試合終了から1時間が経過してもスタジアム周辺の人並みが途切れない。敷地の一角から壮大な花火が打ち上げられている。ビールの飲み過ぎで正体不明になった友人を支える仲間が高揚した気分を隠しきれずに笑い合っている。

 日本人である筆者に気付いたシャルケサポーターがこう叫んだ。

「ウッシー(元日本代表DF内田篤人氏のこと。2010〜2017年までシャルケに在籍)は元気か〜! 今のシャルケにはコウ・イタクラがいるぞ! 俺たちのイタクラだぞ!」

 ドイツの片田舎で、相思相愛の関係を見た。今の板倉には淡くない、群青のユニホームが似合う。(島崎英純/Hidezumi Shimazaki)