木原正裕・みずほフィナンシャルグループ社長

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「一丁目一番地は信頼回復」─みずほフィナンシャルグループ社長の木原正裕氏はこう話す。2021年2月以降頻発したシステム障害で、当時のみずほFG社長の坂井辰史氏ら首脳陣が退陣する事態に陥った。この再発防止、発生した時の迅速な対応が喫緊の課題。同時に、世界で金融を巡る環境が変わる中、デジタル強化も欠かせない。ここはグーグルと提携し、その一歩を踏み出した形。木原氏が目指す企業の姿とは─。

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障害が起きた時にいかに対応できるか
「度重なるシステム障害で、お客様と社会にご迷惑をおかけしたことを反省しなければいけない。我々の一丁目一番地は信頼回復」と話すのは、みずほフィナンシャルグループ社長の木原正裕氏。

 木原氏は2022年2月1日、社長に就任した。この人事の発端となったのは、21年2月28日に発生したシステム障害。ATM(現金自動預払機)のトラブルで取引ができなくなるばかりか、通帳やキャッシュカードが取り込まれて、返却されない事態に。しかも休日で緊急連絡もうまくつながらず、多くの顧客が待ちぼうけを食うことになってしまった。

 これ以降、9月までに別種のシステム障害が8回発生。金融庁からは2度にわたって業務改善命令を受け、当時のみずほFG社長の坂井辰史氏、みずほ銀行頭取の藤原弘治氏ら首脳陣の辞任に至った。

 障害の原因は機器やソフトの不具合など様々だったが、障害への対応姿勢で金融庁から、「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」という企業風土の問題を強く指摘されるなど、抜本的改革が急務となった。こうした流れを受けて、みずほFGの指名委員会が社長に指名したのが木原氏だった。求められているのは、システム障害の再発防止と企業風土改革という重い課題の解決。

 22年1月17日には金融庁に「業務改善計画」を提出したが、まずはこの確実な遂行が求められる。4月15日には業務改善計画の進捗状況を公表。現時点までに、システム障害を起こした箇所の改修、類似の障害を起こり得る箇所の点検を完了。

 それ以外にも障害を未然に防ぐべく、重要なインフラ基盤やアプリケーションの点検を始めている。「障害はゼロにならないことを前提に、起きた場合でもIT部門、ユーザー部門が連携し、お客様への影響を極小化するために速やかに対応できるようにする」(みずほFG執行役員・危機管理担当の河本哲志氏)

 河本氏が言うように、システム障害をゼロにすることはできない。実際、みずほ銀行以外の銀行でも大小様々なシステム障害が発生しているが、大きな問題になるか否かは事後の対応力の差とも言える。

 その対応力強化はみずほの大きな課題と言えるが、社長の木原氏は「今の取り組みを進めれば確実に対応力は上がる。業務改善計画はしっかり進んでいる」と強調する。

「言うべきことを言わない、言われたことだけしかしない」と指摘された企業風土の改革にはどのように取り組むのか。

「『言うべきことを言わない』と指摘されたが、『言ったことを聞いてくれる』カルチャーがあったかどうか。今、社内で盛んに言っているのは多様性、個人の気づきや意見を尊重し、それをベースに建設的な議論をしようということ。減点主義でなく、失敗を恐れることなく改善したり、新しいことをつくっていく会社に変わっていくべき。それによって風土を変え、個人のモチベーションを上げていきたい」と木原氏。

 この木原氏の考えに合わせて、人事制度改革も進めているが、風土を変えるのは一朝一夕にはいかない。継続した取り組みができるかが問われる。

DX時代の銀行の役割は?
 みずほFGは、この1年余りをシステム障害への対応に追われてきたが、その間も金融業界は変わり続けている。この出遅れをどう取り戻すか。

 前社長の坂井氏は、変化する顧客ニーズに素早く対応できる金融機関となるべく、「次世代金融への転換」を掲げ、ビジネス、財務、経営基盤の構造改革を進めてきた。「ビジネス、財務の構造改革はうまくいった。これはさらに伸ばしていく」(木原氏)

 それに加えて、木原氏が重視するのは社会で強まるデジタルトランスフォーメーション(DX)、サステナビリティトランスフォーメーション(SX)の動き。この時代の中でみずほが強みを維持していくためにも、他にない付加価値を付けていく必要がある。

 DXについては、22年3月23日、グーグルとDX分野における戦略的提携を発表した。顧客の了承を得て提供してもらった情報や、グループの取引情報を活用し、顧客ごとに最適化された「ハイパー・パーソナライズド・マーケティング」の実現を目指す他、グーグルのクラウドを基盤とした新たなプラットフォームを構築し、デジタル銀行やBaaS(サービスとしての銀行)といった金融サービスの提供などを進める考え。

 顧客ニーズが多様化していると言われる昨今だが、木原氏には「お客様は、ご自分の嗜好やライフスタイルに合わない提案しかできない銀行は必要としていない」という危機感がある。

 さらに、この提携には企業文化を変える狙いもある。グーグルが持つサービスの力や知見を活用する中で、柔軟な働き方や創造的な企業文化に変えていくことを目指す。

「グーグルとの提携に対しては、社員から『みずほも、ようやく新しいことができるようになってきた』といったポジティブな意見が多かった。グーグルのいいところは取り入れながら、社会的課題を解決していくという、みずほのDNAも生かしていく」と木原氏。

 三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)はアマゾン、三井住友フィナンシャルグループ(SMFG)はマイクロソフトと組むなど、他の2メガバンクもITプラットフォーマーと提携し、技術の蓄積を図る。3メガバンクを舞台に、プラットフォーマー同士が優劣を競う戦いも始まっている。

 低金利環境で既存の銀行が苦しむ一方で、テクノロジーを武器にITプラットフォーマーが金融事業への侵食を進めている変化の時代。この時代の中での銀行の役割をどう考えるのか。

「プラットフォームが乱立しているが、その中に銀行機能が入り込んでいくことはあり得る」と木原氏。みずほ自身も、自分達だけでは接点を持つことができない層に対してアプローチしていく観点から、外部のプラットフォームに機能を提供することもあるという。

 その一方で「銀行がなくなるかといえば、なくならない」と木原氏。例えば、脱炭素の実現に向けては世界で民間資金が3000兆円、日本で300兆円が必要だという試算がある。

「これを提供できるのは銀行であり、資本市場で投資家を仲介する機能。これはプラットフォーマーには難しい仕事で、その意味で脱炭素の時代に、我々には役割がある」

 その点でSXは重要課題。そこに向けて22年4月26日、みずほ銀行は脱炭素に資する「トランジション(移行期)領域」への技術開発やビジネスモデル構築に関する取り組みに対する自己勘定による株式出資枠を設定し、出資額500億円超を視野に運用を開始したと発表した。

 顧客が脱炭素に向けて実施するシード(技術の種)や、アーリーステージ(初期段階)の開発、始まったばかりのプロジェクトに対して出資する。

「今後のサステナブル領域を考えた時に、まだ検証されていない技術が多く、実用化のための実証実験が増えていく。そうした取り組みに対して、我々もリスクを取ってシェアしていく」

 実は、グループのみずほ証券は19~21年度まで3年連続で国内公募SDGs債の引き受けリーグテーブルで首位を獲得してきた。「脱炭素は待ったなし」とする木原氏は、今後さらに取り組みを強めていく。

アジア事業での出遅れを取り戻す
 今後、成長に向けては海外の成長をいかに取り組むかも問われる。この取り組みにもシステム障害で遅れが生じていた。

 この分野ではMUFGが米国でモルガン・スタンレーとの提携やMUFGユニオンバンクを持つ他、タイやインドネシアの銀行に出資。SMFGはベトナムやインドネシア、フィリピンの銀行に出資するなど海外戦略を強化してきた。

 みずほは21年12月、ベトナムで5割以上のシェアを持つスマートフォン決済最大手である「Mサービス」に出資。Mサービスが提供しているのは金融にとどまらず、幅広いサービスの入り口となる「スーパーアプリ」。みずほはこの企業と組み、アジアで「デジタルバンク」を構築することを目指す。

「アジアではスマホが非常に普及しており、デジタル金融が大きくなるベースがある。我々はそこに貢献していく。アジアにおけるデジタル金融の領域は、いい案件があれば注目していく」

日本のシンジケートローン市場を開拓して…
 木原氏は1965年8月東京都生まれ。89年一橋大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。父の誠一郎氏は東京銀行(現三菱UFJ銀行)出身、祖父の通雄氏は第一銀行(現みずほ銀行)取締役、高祖父の頼三氏は諫早銀行頭取を務めた銀行一家。弟の誠二氏は財務省を経て衆議院議員。現在は内閣官房副長官を務める岸田文雄首相の最側近だ。

 興銀への入行は「生命保険会社や商社など、いろいろな企業を見た中で興銀の産業金融、就職活動の中で出会った先輩方にも惹かれた」と志望の動機を振り返る。

 小学生時代、父の誠一郎氏が赴任していた米国で始めたのが「氷上の格闘技」とも言われるアイスホッケー。大学まで続けて主将も務めた。「強豪校とは違い、そこまで肉体派でなくてもできた」と笑う。

 アイスホッケーを通じて「先輩・後輩の絆やチームワーク、いろいろなことを最後までやり遂げることの大事さ、めげないこと、胆力など精神は鍛えられたのではないかと思う」と話す。

 若手時代を振り返って「昔は『俺の背中を見て学べ』という先輩や、厳しい先輩も多かったが、これまで新しいことをやらせてもらったという意識が強い」と話す。

 木原氏は02年からシンジケーション部に所属し、日本のシンジケートローン市場・ローンセカンダリー市場の育成に取り組んできた。「当時、ほとんどゼロだったシンジケートローンマーケットを拡大させるために社内、投資家に説明して回り、新しい枠組みをつくることができた」(木原氏)

 新しい領域を開拓するのは難しい仕事だが、その中で成長することができたという実感が木原氏にはある。その意味で、みずほを「新しいことをつくっていく会社に変えたい」という、今の木原氏の考えに通じる経験だと言える。

 結果的に、みずほFG社長は旧興銀出身の木原氏、会長は旧第一勧業銀行出身の今井誠司氏、みずほ銀行頭取は旧富士銀行出身の加藤勝彦氏と旧3行がポストを分け合う形になったが「出身行がどこかということは、我々は気にしていない。適材適所でしかやっていない」と木原氏は強調。

 メガバンクで初めての「平成入行社長」ということも注目されるが「あわよくば、もう少し後で社長になれた方がよかったと自分では思う。ご挨拶に行くと皆さん年上で、プレッシャーに感じる部分ではある」と本音を吐露する。まさに「緊急登板」であることがわかる話。だが「それも天命。選ばれたのだからやるしかない」と覚悟を決めた。

 信条にしているのはピーター・ドラッカーの「企業文化は戦略に勝るほど重要だ」(Culture eats strategy for breakfast)という言葉。

「戦略はつくるけれども、変化の激しい時代だけに、個人の気づきが、その構築に重要。そして悪い情報が組織に閉じ込められる事態を回避したい。そうした自律的ガバナンスが必要。心底そう思っている」

 木原氏に託されているのは、まさに「心機一転」での出直し。「やらなければならないことは3つ。第1に信頼回復、第2にこれまで進めてきた5カ年計画での取り組みの前進と、課題があるものに手を打つこと、第3にDX、SX時代に我々が提供できる価値は何かを考えていくこと」

 取り組みを進めていくためには、社員と思いを共有することが必要で、その意味でも前述のように企業風土改革は必須。

 社内やOBからは「上司からも部下からも信頼が厚い」と評される木原氏。その信頼を背景に、これからの厳しい時代に向けた決断ができるかどうか。今後はその真価が問われることになる。