MMTをめぐる「想定内の誤解」と「想定外の誤解」について解説します(写真:fizkes/PIXTA)

コロナ禍は財政赤字をさらに膨張させることとなり、財政を巡る論議が盛んになっている。それにともなって、MMT(現代貨幣理論)に言及する論考も再び増えてきているようである。

しかし、わが国における財政、とりわけMMTを巡る議論は、混乱を極めている。

特に、はなはだしいのは、昨秋に月刊誌「文藝春秋」に掲載されて話題となった矢野康治・財務事務次官の論考(通称「矢野論文」)、そして、それを支持する経済学者らの議論であった。

これらの議論の何が問題なのかについては、『楽しく読むだけでアタマがキレッキレになる奇跡の経済教室【大論争編】』において、経済の専門家でなくてもわかるように解説した。

しかし、財政論議の混乱は、相変わらず、続いている。

MMT批判「4つの誤解」

例えば、4月20日の日本経済新聞で、白井さゆり・慶應義塾大学教授は、次のように書いて、MMTを批判している。

「MMTの課題は実用化が困難なことにある。マネーの発行は財政赤字の規模で決まるので、中銀は金融政策運営の独立性を失う。世界の中銀はこれを受け入れないだろう。しかも国会でインフレ調整のために柔軟に歳出・税収の調整ができることが大前提だ。極度の高インフレが起きた場合、国民に不人気な増税を迅速に断行できるのか、経済史を振り返れば疑問が残る」

この箇所だけでも、複数の誤りが認められる。

第1に、確かに、政府による歳出はマネーを供給する。逆に歳入はマネーを消滅させる。財政赤字の規模が、マネーの発行を左右するのは事実だ。これについて、白井教授は「中銀は金融政策運営の独立性を失う。世界の中銀はこれを受け入れないだろう」と述べている。しかし、財政赤字によってマネーの供給が増えるというのは、世界中、どこの国でも日常的に行われている事実に過ぎない。この事実を受け入れていない中銀というのは、どこに存在するのだろうか。

第2に、政府による歳出や課税は、国会の議決を経なければならないと憲法で定められている。いわゆる「財政民主主義」だ。財政赤字は、民主的な意思決定の結果なのである。ところが、白井教授は、財政赤字について、中銀が金融政策運営の独立性を失うので受け入れないだろうと述べる。これは、中銀が財政民主主義を受け入れないと言っているに等しい。財政赤字によるマネーの供給を否定できるような中銀の独立性があったとしたら、それは憲法違反である。

第3に、白井教授は「インフレ調整のために柔軟に歳出・税収の調整ができることが大前提だ」と述べたうえで、「極度の高インフレが起きた場合、国民に不人気な増税を迅速に断行できるのか」と指摘する。これは、よくあるMMT批判ではある。しかし、インフレ調整のための手段は、歳出・税収の調整だけではないことは、過去の論考で何度も指摘した通りだ。

「経済史を振り返れば疑問が残る」

第4に、白井教授は、極度の高インフレを増税で抑制できるのかについては「経済史を振り返れば疑問が残る」と書いている。

確かに、MMTは、財政支出の拡大が需要の増大を通じてインフレをもたらすことは認めている。増税のインフレ抑止(デフレ)効果も認めるだろう。

では、経済史上、財政支出の拡大が行き過ぎて「極度の高インフレ」になった事例というのは、あるのだろうか。

第一次世界大戦後のドイツ、終戦直後の日本、ソ連崩壊後のロシアなど、「極度の高インフレ」の事例は、いずれも、戦争や経済制裁による極端な制約や、無政府状態といった異常事態によるものばかりだ。

また、1970年代の高インフレであれば、主に石油危機に起因するものであるし、現下のインフレも、コロナ禍やウクライナ戦争といった特殊な外的要因による供給制約がもたらしたものだ。

いずれも、財政支出の拡大による過剰な需要が抑止できなくなったせいではない。とりわけ、需要増加ではなく、供給制約に起因するコストプッシュ・インフレは、そもそも、増税によって抑止するようなものではない(17人のノーベル経済学賞受賞者が、インフレ抑制のために「積極財政」を求める理由)。

逆に白井教授に問いたいのだが、戦後の先進国の財政民主主義の下で、財政支出を拡大し過ぎ、しかも増税ができなかったために、極度の高インフレになったことがあるのか。それこそ「経済史を振り返れば疑問が残る」のではないか。

所得税は違憲なのか

さて、白井教授の記事は、国会が増税のタイミングを決定することをMMTが想定している点を批判するものだった。

ところが、その翌日の記事では、藤谷武史・東京大学教授が、白井教授とはまったく逆の形で、MMTを批判している。財政法を専門とする藤谷教授は、国会が増税のタイミングを決定する権限をMMTが否定していると主張するのだ。

「日本でなお影響力を保つ現代貨幣理論(MMT)の法的問題点にも付言しておきたい。「租税が貨幣を駆動する」という教義からすれば、インフレになれば直ちに非裁量的に増税されることで、実物経済供給力と貨幣量(購買力)のバランスが調整されるというのが前提のはずだ。だがこれは国会が増税のタイミングを決定する権限を自ら放棄することにほかならない。(中略)少なくとも現行憲法を前提とする限り、MMTは法的に底が抜けているということになる」

この藤谷教授による批判は、大いに問題がある。その一つは、藤谷教授が「租税が貨幣を駆動する」というMMTの主張を根本的に誤解している点にある。

MMTを代表するL・ランダル・レイによれば、「租税が貨幣を駆動する」というのは、次のような意味である。

貴金属の裏づけなど固有の価値をもたない紙幣(法定不換通貨)を、どうして人々は貨幣として受け取るのか。それは、政府が、自国通貨を法定し、その自国通貨による納税義務を課しているからだ。人々は、自国通貨で支払わなければならない納税義務があるから、その通貨を欲しがるようになる。要するに、租税が貨幣の需要を生み出している。このことをレイは「租税が貨幣を駆動する」と表現した。それは、レイの『MMT現代貨幣理論入門』を読めばすぐわかることだ。


この理解によれば、納税義務が軽ければ、通貨の需要が減るから、インフレになる(通貨の価値が下がる)ということはできるだろう。しかし、藤谷教授が指摘するような「インフレになれば直ちに非裁量的に増税されることで、実物経済供給力と貨幣量のバランスが調整される」などという前提は、どこにもない。

もっとも、所得税には、赤字では課税されず、黒字の時のみ課税されるので、好況で黒字になると税負担が重くなり、インフレを軽減するという「自動安定化装置」があるとされる。MMTが自動安定化装置を高く評価しているのは事実だが、所得税に自動安定化装置が認められるというのは、MMTに固有の主張ではない。

所得税の自動安定化装置は、確かに「インフレになれば直ちに非裁量的に増税される」仕組みと言える。しかし、だからと言って、所得税が現行憲法上「法的に底が抜けている」はずがないだろう。いったい、現行憲法をどう解釈したら、所得税は違憲ということになるのだろうか。

どうやら、白井教授と藤谷教授は、そもそも現行の財政政策に対して間違った理解をしているようだ。だとすると、これは、MMTの妥当性以前の問題ではないだろうか。

(中野 剛志 : 評論家)