ウクライナのガイドから聞いたユーロマイダンの記憶をたどります(写真:butenkow/PIXTA)

予断を許さないウクライナ情勢について、日本のメディアに登場される方の発言を見ていると、少し疑問に思うことがあります。ロシアとの間で、初めから条件交渉に臨むべきだった、また降伏すべきだったという意見を述べる方もいます。

これが適切なのか、前後編の2回にわたり、日本ではあまり語られていない2013年にウクライナで起こったユーロマイダンに関わった人々との交流から考えてみたいと思います。

自分の目で見て議論の根拠を作る

ロシアのウクライナ侵攻に関して、世界最大のディベート機関オックスフォードユニオンでも、当事者を招集して議論を行っています。イギリスの秘密情報部であるMI6の元長官であるスティール氏を招聘し、直接対峙したプーチン大統領の行動分析に関する説明と質疑応答を行いました。また別の機会に、元ウクライナ大使、ロシア外交官なども招聘し討議を行っています。

なぜ、このように当時者から直接に話を聞くのでしょうか。


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拙著『オックスフォード 世界最強のリーダーシップ教室』でも詳しく解説していますが、これは、イギリスではディベートをしたり、公共の場で意見を述べたりする前に、まず自らの目で見て確かめるという伝統があるからです。討論などで相手を説得する際には、何より客観性が重視されます。まずは書籍などで十分に事象を確認し、仮説を立てます。それを検証するために、専門家の意見を聞き、質問して、確信を持てるまで事前の準備をします。

これが大切なのは、欧米では公的な発言には、責任がある(Responsible)と考えるからです。Responsibleは、質問に答えることができる、つまり意見の根拠を聞かれると客観的に皆が納得できるように説明できるということです。

紛争の現状を今の時間軸だけで見ていると、適切な判断ができないこともあります。オックスフォードのディベートで重要なのは、「川を上る」という議論を行う際の観点です。これは、現在の課題がどのような歴史的経緯で起こっているのか把握する方法です。

今回紹介するユーロマイダンは、2013年末に始まったウクライナの市民デモや暴動の総称です。旧ソ連時代の支配と、その崩壊によるウクライナ独立、その後のEUとロシアの間で揺れ動く同国の問題が沸点に達した事件です。

詳細は、後で述べますが、これを検証することなしに、ゼレンスキー大統領の言動を評価するのは、やや早計と思われます。

なお、筆者がウクライナの調査を行ったのは2019年で、すでに時間が経過しています。しかも、その時に手伝ってもらったキーウの現地ガイドとは、現在連絡が取れなくなってしまいました。このため、ここで記載する内容を、今の時点で検証できないことを予め述べておきます。また、余談の許さない状況で念のため、個人名は仮名とさせていただきます。

キーウ出身の物理学者サーシャ

オックスフォードは不思議な所で、カレッジのディナーだけでなく、各種セミナーや、趣味のクラブでさまざまなネットワークが自然にできます。異分野の研究者が集った際に、たわいもない雑談から研究の種が生まれたりします。

キーウのビジネス調査ができたのは、友人の物理学者サーシャのおかげです。彼はウクライナやドイツで優れた研究実績を残した後、オックスフォードの物理学科に研究員として招聘されていました。

私たちは、芝のコートで活動するテニスクラブに所属していました。夕暮れ時になると、大きな体をゆすりながら、その日の研究を終えた彼がコートに姿を見せます。腕前はそれほどではないのですが、終始にこやかでボールを追うサーシャは、とても慕われていました。彼のキーウでの研究者としてのキャリアは、相次ぐ政変で困難になり、ドイツの研究所に移りました。

プレイの休息の間に、時折聞かせてくれる短いキーウの逸話は、とても興味深いものです。何度も話を催促するうちに、キーウのビジネスを自分の目で見ることをすすめられました。

外国人が急に訪ねても、調査はうまくいきません。サーシャはキーウ在住の親しい友人をつてに、有能なガイドを紹介してくれました。ウクライナ西部に詳しい、最初のガイドのオレクサドル(仮名)です。彼はユーロマイダンにもかかわった人物です。

愛のトンネル

ここに1枚の写真があります。これは、クレヴァンというキーウから西の350キロにある小さな町の「愛のトンネル」です。この写真はオレクサドルと撮った最後のものです。


オレクサドルと一緒に回った愛のトンネル

(外部配信先では写真などの画像を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください)

彼は、この地方の出身で、当時キーウで様々な調査を手伝ってくれる有能なガイドでした。元アイスホッケーの選手で屈強な体格で、国際試合でも活躍したそうです。自分にはコサックの血が流れていると、外国チームとの対戦の武勇伝を、よく笑いながら話してくれました。

コサックは、かつてウクライナでも活動した勇猛な、自治集団です。自分たちの独立を何より重視し、この地域を支配しようとする勢力に反乱し続けたという集団です。オレクサドルに、その血が流れているのか真偽のほどは別にして、試合中に鼻の骨を折っても最後までプレイしたのは本当のようです。

彼がウクライナの西部に詳しい人材ということで、運転手兼ガイドとして現地調査の補助お願いしました。

「この国は素晴らしい穀倉があるけど、今のところそれだけかな。市場経済や、西欧の政治システムが定着するには、まだまだ時間がかかるよ。たとえ、それが理想的なやり方としても、自由な競争の成果をみなが楽しめるためのルールがないからね。」

いくつかの商業施設を案内してくれる時に、オレクサドルはそう話してくれました。

1991年の独立からウクライナの庶民の経済状態は混迷を続けました。旧ソ連時代は曲がりなりにも職は保証され、退職後の年金も少なからず支給が期待できました。確かに、西欧の自由な社会は魅力的です。   

しかし、それまでの誰かに従うだけで良い時代から、西からの急な市場経済の洗礼に戸惑う人々も多かったのです。誰が、何をすべきか考えるのに、準備が十分はありませんでした。

このため一部の権力者などに利権が集中し、さまざまな組織は汚職の寝床となる状況も続きます。社会が混乱する中で、以前の旧ソ時代の方が、ましだと考える人も少なくなかったのです。若者も、学んだ知識を生かす場所を探すのは容易ではありません。オレクサドルの場合は語学力と地理的な知識を使い、さまざまな調査のガイドを続けていたのです。

願いの叶うトンネル

オレクサドルのとっておきの場所を案内してもらえることになりました。車で長時間かけて着いたのが、前述の「愛のトンネル」です。ここは、ウクライナの若い世代が訪れる場所です。経済状態が良くない中で、お金をかけた遊びなどはできるはずもありません。彼は、ある女性と出会い、交際を続けました。そして、このトンネルを2人で歩くと、以降固く結ばれると聞いたのです。

愛のトンネルは貨物列車が通る線路上にあり、クレーヴェンからオルツィブという所まで、6キロ以上も続いています。まれにしか通らない列車のせいで、森の木が生い茂り、まるで緑のトンネルのように覆いかぶさっています。木々の間に光が差すと、不思議な緑色のグラデーションを醸し出します。

オレクサドルが共に歩いた女性が今の奥さんです。子供ができ、旅行に連れて行こうと考えたのですが、余裕がなく、遠出はできません。2人は新婚旅行もできていなかったことを思い出し、2度目は、子供と3人で森の緑の線路の上を歩きました。

このトンネルを有名にしたのは日本の映画監督だ、と話してくれました。

(※注 作品名:『クレヴァニ、愛のトンネル』 (監督:今関 あきよし)2014年公開)

彼は、これまで2004年のオレンジ革命や、ユーロマイダンのデモに参加したということを聞いていました。先頭に立つのでなく、巻き込まれた人の救助を主にしていたそうです。

ユーロマイダンのことを話してほしい、と一通り案内が終わる頃に話しかけてみました。すると、それまでの柔らかい表情は一変し、険しい顔になりました。長い沈黙の後、彼は言いました。

「もう誰かのためには、戦わないよ。今は家族があるからね。僕にとっていちばん大切な守るものだ」

ユーロマイダンは、2013年末から2014年末にウクライナで起こった騒乱です。東部出身でロシア寄りの大統領が、EUとの政治・貿易協定の協力の仮調印を反故にしたことがきっかけとなり、反対する住民がデモを起こしました。東部はロシアのエネルギー産業の恩恵を受けています。この大統領も個人的に関係の深いロシアからの援助を基に財政を立て直す意図もありました。

前線に向かったオレクサドル

ウクライナの都市部で数カ月にわたり続いた暴動には銃器も使われ、多くの市民が犠牲になります。キーウの独立広場の被害は特にひどいものでした。権力者に反対する勢力は自警団を作り自分たちの身を守ります。結果的に、ロシア寄りの大統領が亡命し、EU支持派の政権が誕生します。この事件は、キーウの多くの若者の生活に影響を与え、その後の人生に影を落としました。研究者であったサーシャもその1人です。 


2022年2月、ロシアがキーウ近郊まで侵攻しました。その状況を尋ねようとしたのですが、オレクサドルとの連絡は途絶えました。家族を残して、前線に向かったのです。

キーウの人々はこれまでの、ロシアの大きな影響の陰で、言葉による交渉は意味がないことを体感しています。自由は自らの手で守るしかないのです。

オレクサドルのユーロマイダンの役割は後方での支援でした。より詳しい現状が知りたいなら、ということで実際に関わった別のガイドのニコライを紹介してもらいました。次回は、彼の記録とインタビューをもとに、ユーロマイダンが今のウクライナの人々に与えた影響について考えてみたいと思います。

(後編「ロシアを相手に交渉で問題解決を到底望めない訳」に続く)

(中谷 安男 : 法政大学経済学部教授)