『ミッドナイト・ライブラリー (邦訳版:The Midnight Library)』マット ヘイグ,浅倉 卓弥 ハーパーコリンズ・ジャパン

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 人生は一度きり。だけどもし、違う選択をした場合の人生を生きてみることができるとしたら?

 主人公のノーラは、自らの命を絶とうとしていた。飼っていた猫のヴォルテールが死んでしまった。勤め先の楽器店をクビになった。結婚するはずだったのに、自分から式を取りやめた。離れて住む兄のジョーが近くまで来ていたことを、妹である自分にはまったく知らされていなかった。自分と兄と一緒にバンドを組んでいたラヴィに久しぶりに会ったとき、ノーラが抜けたために成功をつかみ損ねたと責められた。同じ学校だったと話しかけてきた雑貨店の店員が、結婚して子どもを持つことの素晴らしさを訴えてきた。かつての親友に送ったメッセージは既読スルーされた。ピアノのレッスンをする予定をすっかり忘れて、生徒の母親から叱責された。代理で薬を取ってきてあげていた隣に住む老人から、これからは近所に越してきた薬局の店員が届けてくれることになったと告げられた。自分がもはや誰からも必要とされていないと感じたノーラは、遺書を書いた。

 次に気がついたとき、ノーラは通路にいた。目の前には長方形の建物。正面中央に掲げられた時計は、0時ちょうどを指している。自分の腕時計のデジタル表示も、00:00:00だ。しかし、数字はいっこうに進まない。訝しく思いながら、ノーラは建物に足を踏み入れた。内部にあったのは、見渡す限りの書架。おびただしい数の本はすべて緑で、ありとあらゆる色合いが存在していた。そのうちの1冊を手に取ろうとしたとき、「お気をつけくださいね」と背後から声をかけられ、ノーラは驚き、振り返る。

 声の主は60歳くらいの女性。何者かと問われ、「司書、ですかね」と返したその人は、ノーラが通っていた高校の図書室の司書だったエルム夫人に生き写し。「エルム夫人」と呼びかけたノーラには、「かもしれません」との返事が。ここはどこなのか、自分は死んでしまったのかと、ノーラはさらに問う。エルム夫人の答えは、「生と死の狭間には図書館があるのです。この図書館の書架には涯がありません。そしてここにあるどの本もが、あるいはあなたが生きていたかもしれない人生へと誘ってくれる。もしもあの時違う決断をしていたら物事はどれほど違っていたか。それを教えてくれるのです―もし後悔をやりなおせるとしたら、やっぱり違う選択をしてみたいかしら?」というものだった。

 ノーラはまだ死んではおらず、彼女が望めば自分が選ばなかった人生を体験することができるのだと、エルム夫人は語る。ここにある本は1冊を除いてすべて、ノーラの人生が綴られている。石灰色の1冊だけは、ノーラが自分で書いた『後悔の書』なのだと。

 そこには、さまざまな年代に発生したさまざまなレベルの後悔が記されていた。『後悔の書』に目を通して最初にノーラが選び取ったのが、"もし結婚するはずだったダンの元を去らなかったら"というケース。エルム夫人から手渡された暗めの表紙の本に書かれた最初のページを読み始めた彼女は、一瞬の後にダンと一緒にパブをやっているノーラになっていた...。

 その後もノーラは多岐にわたるケースを体験することに。以前、ノーラは多くの可能性を手にしていた。14歳の頃には、水泳選手になる夢があった(自由形なら全国最速だった。平泳ぎでも2番目)。その後は音楽に打ち込んだ。哲学の学位も持っているし、氷河の研究者になろうと考えていたこともあった。しかしいざ体験してみると、あり得たはずのどんな人生にも何らかの問題が見つかってしまう。それでも、とうとう最高の人生を見つけ出せたと思ったノーラだったが...。

 ノーラと違って、私たちは自分が選択しなかった方の日々がどんなものだったか知ることはできない。だからいつまでもあきらめがつかず、あのときああしていればもっとよい人生を生きることができたのではないかと夢見てしまいがちだ。けれども、実際には私たちがいま生きているたったひとつしか存在しない。どれだけの可能性を秘めていても、後悔だらけで落ち込むばかりだったとしても、自分のたった一度きりの人生に向き合うしかないのだ。

 それでももし救いがあるとすれば、その人生の中でなら何度でもやり直せるし、自分を変えることも可能だという点だろう。自分の一生のヴァリエーションを生きることはできなくても、本の中で成長していくノーラの姿に学んでいける。彼女が最終的にどんな選択をしたのか、すべての読者に見届けてほしい。

(松井ゆかり)