『中国女性SF作家アンソロジー-走る赤 (単行本)』 ,武 甜静,橋本 輝幸,大恵 和実,大恵 和実 中央公論新社

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 中国で活躍する現代女性作家十四人の作品を集めた、日本版オリジナル・アンソロジー。すべて初訳である。

 序文で編者のひとり、武甜静(ウーティエンジン)さんは言う。

「作家は作家、性別を取り上げるのは良くない」と主張する人もいるが、今はまだそんな理想的なことを語れるような世の中ではない。

 だから、SFを書く女性にスポットライトをあてるため、このアンソロジーが編まれた。事実、本書に収められた作家たちは、旧弊な世の中をあっさりと追い抜き、きわめて新鮮でレベルの高い作品を成している。なんと自由でバラエティに富んでいることか。ここにはステロタイプの「女性らしさ」などで括れる要素など、みじんもない。

 夏笳(シアジア)「独り旅」は、ノスタルジックな掌篇。ちっぽけな宇宙船で孤独な旅をつづける老人の姿が胸に沁みる。

 顧適(グーシー)「メビウス時空」は、意識をハードウェアに転写した主人公の物語。最初は副体と呼ばれる擬似身体に、次にホワイトルームという空間そのものに。その空間のなかに擬似現実を構成し......。ハインライン「時の門」の空間版とも言うべき、鮮やかなアイデアストーリー。

 非淆(フェイシャオ)「木魅(こだま)」は、異星の黒船が到来した江戸時代の日本が舞台。政治的人質(丁重に扱われてはいるが幽閉の身)として幕府に差しだされた幼子、木魅と、彼女の世話役として仕える素子とのふれあいが静かに綴られる。異星人の異様な生態を描く筆さばきはジェイムズ・ティプトリーばりで、雰囲気づくりもひじょうに巧みだ。

 糖匪(タンフェイ)「無定(ウーディン)西行記」は、イアン・ワトスンを彷彿とさせる奇想SF。エントロピー減少が自然法則の世界で、住民は老人として生を受け、しだいに若返って乳児として死ぬのだ。そんな世界にあって、主人公の無定は別宇宙から来た難民の種族であり、普通に年老いていく。その彼が生涯をかけたのが、北京からペテルブルグへの道路建設だった。土地によってエントロピー減少速度が異なるという設定が秀逸で、物語も不思議なユーモアがあって楽しい。

 蘇民(スーミン)「ポスト意識時代」では、奇妙な不安障害を訴える者が次々とあらわれる。何かに操られているように、発言がコントロールできなくなるのだ。話す内容は自分の仕事や専門にかかわるものだが、まったく関係のない場所でも突発的に語りだし、止めようと思っても止まらない。主人公のカウンセラー(彼女もこの自動的発話症候群に罹ってしまった)は、文化的ミームの暴発という仮説を立てる。だが、彼女の先生にあたるベテラン・カウンセラーはこれは人類の新たな進化だと主張する。ウイリアム・S・バロウズの言語ウイルスを、SFのロジックに落としこんだポストヒューマン・テーマの作品だ。

 慕明(ムーミン)「世界に彩りを」もポストヒューマンを扱った作品で、認知と言語にかかわるアイデアを中核にすえている。人間の認識・思考は母語によって左右されるというサピア=ウォーフ仮説を、知覚から逆にたどったような展開だ。舞台となるのは、視覚情報を超精細化する網膜調整レンズが普及した時代。このデバイスは幼少期に手術によって埋めこまれ、大人になってからは適合しない。新しい視覚を得た世代は、自分たちに見えている色を言いあらわすため、独自の言葉をつくりはじめる。主人公のエイミーは、母親の意向によって十二歳になるまで網膜調整レンズ埋め込み手術を受けることができなかった。母は色彩感覚に優れた画家であり、これが物語後半で重要な意味を持つ。レンズを得たエイミーは、無数の新しい世界を発見したかのごとき感動を覚えるが、やがて不安に突きあたる。自分が見えている色は、はたして他人が見ている色と同じだろうか? これは根源的な問いだが、エイミーの場合は家族の秘密へとつながることだった。

 以上、とくに印象に残った作品を紹介した。一九六〇〜七〇年代の日本SFを思わせる淡い情緒の小品あり、テッド・チャンと同世代の息吹を確認できる作品あり。巻末の橋本輝幸さんの解説によれば、中国SF関係者の男女比を年代別に見ると、一九九〇年代生まれは女性が三七パーセント。今後、この比率はさらに上がっていくだろう。

(牧眞司)