DAZNで解説をしていた元日本代表選手は、三笘薫が先制ゴールを決めた瞬間、絶叫するような、声にならない声を発していた。

 2-0で日本代表がオーストラリアを下し、W杯出場が決まると、田嶋幸三会長をはじめ、関係者は一応に安堵した。吉田麻也主将は涙ぐんでさえいた。「W杯出場を逃せば日本のサッカー界にとって大きな問題となる」。「もし出場を逃せば、代表を退くつもりだ」など、苦戦する過程の中では、責任を背負い込むような台詞まで吐いていた。メディアを含めサッカーファンは、いまホッと胸をなで下ろしている状態にある。ドーハの悲劇(1994年アメリカW杯予選)以来となる、悲劇的なストーリーにならなくてよかった、と。

 アジア予選突破、W杯本大会出場が、日本サッカーの普及と発展を最大の目的に存在する日本サッカー協会に課せられた、一番の命題であることを再認識させられた瞬間でもある。7大会連続出場となった今回は、ベスト8という大きな目標を掲げているようだが、だとしたら、日本代表監督を決定する際に、なぜもっと慎重にならなかったのか。議論を尽くさなかったのか。決定方法が安易すぎやしなかったか。素朴な疑問がいまさらながら湧いてくる。

 目標の達成に、代表監督の力量が最大限関与することは、サッカーに少しでも詳しいものなら誰にでも分かる。その大役をなぜ森保一氏に任せたのか。

「Jリーグでもっとも実績を残した日本人監督だから」とは、田嶋会長がその就任会見の席上で口にした唯一にして最大の理由である。絶対性の低い説得力に乏しい理由だ。それとW杯本大会ベスト8との間に、どんな関係があるのか。それは他の競技にもあてはまりそうな、ザックリとした一般論にしか聞こえない。少なくともサッカーの本質を突いた話ではない。

 田嶋会長がその職に就いたのは2016年。このほど評議会と理事会の承認を経て、続投が決まったので、その職に計8年間就くことになったわけだが、その特徴として言えることは、サッカーの話をすることが得意そうではないと言うことだ。キャップ数はわずかながら、元日本代表選手である。サッカーに詳しい人物像をイメージしたくなるが、これまでの発言を検証すると、必ずしもそうでないことに気付かされる。

 2016年の会長選挙で田嶋氏と争って敗れた原博実、現Jリーグ副理事長と比較すると、違いは鮮明になる。その原氏が中心となって代表監督を招聘していた際は、もう少しサッカーらしい言葉を聞くことができた。なにより攻撃的サッカーという明確な基軸を打ち出して、代表監督探しに当たったものだ。ある一つのサッカーの中身に関わるコンセプトを、代表監督の招聘に打ち出したのは、日本サッカー史においてこれが初めてのケースだった。時代は一歩、前に進んだかに見えた。

 しかし、原氏がその座から去ると同時に、代表監督探しからサッカー的なコンセプトが消えた。西野朗氏を招聘した前回は、時間がなかったのでやむを得ない面があるとしても、2018年ロシアW杯後の選択には、慌てる必要は何もなかった。

「Jリーグでもっとも実績を残した日本人監督」も、コンセプトと言えばコンセプトだが、サッカーらしいコンセプトでは全くない。

 思い出すのは2018年7月26日。ロシアW杯決勝=フランス対クロアチアの、わずか11日後に開かれた森保監督の代表監督就任記者会見だ。

 その通知がこちらの元に届いたのは、会見の3時間前という慌ただしさだった。予定を切り上げ、ある都内のホテルの会見場に急行すれば、田嶋会長と関塚隆技術委員長(当時)が、すでにロシアW杯の報告会のようなものを行っていて、さらにビックリさせられたのだが、この会見場に訪れたくても訪れることができなかったメディア関係者は多数いたことは事実だった。まさに急遽、慌ただしく行われた会見だった。