【戸塚啓コラム】4年に一度の瞬間を見逃した後悔と、スーパーだった三苫薫
自分の判断を、ひどく後悔している。
3月24日のオーストラリア戦は、現地へ行かなかった。現地での取材は可能だったのだが、コロナ禍での海外渡航にはまだ抵抗感がぬぐえない。現地で何かあったら、帰国後に何かあったら、という不安は消せなかった。
家族に心配をかけたくない、との思いも強かった。中高年齢者と定義される年齢になり、コロナに感染したら家族に心配と迷惑をかけてしまう。仕事でお世話になっている皆さんにも、迷惑をかけるだけでなく不要は負荷をかけてしまう。楽観的ではなく心配性で、悪い想像を頭から追い出せない僕は、オーストラリアに行くことを最初から考えなかったのだった。
中国、ベトナム、オマーンとのアウェイゲームも、現地には行っていない。オマーン戦は少人数の取材が認められて、希望すれば行くことができた。希望者が多い場合は行けなかったかもしれないが、取材の可能性を探ることはできた。
けれど、気持ちは前のめりにならなかった。予選突破が決まるような重要な局面ではないということが、現地へ行かないことの大きな理由になっていた。
日本サッカー協会はコロナ禍の対応として、森保監督と選手たちの取材をウェブ会議システムで行なってくれている。コロナ禍でも広く情報を発信したい、という協会広報部と選手たちの心遣いによるものだ。
今回は試合前日と当時の公式会見は、現地で取材をしているメディアのみが参加できることになった。オーストラリア入国に制限があるわけでなく、希望すれば現地で取材ができるのだから、日本に居ながらにして公式会見などに出席するのは都合が良過ぎる。現地で取材をしている人からすれば、ちょっと図々しいと感じるだろう。僕が逆の立場だったら、そう思うに違いない。
それでも、サッカー協会は森保監督と選手の取材をこれまで同様に設定してくれていた。コロナ禍では行きたくても行けない人がいる、との前提に立ってくれているのだろう。
行けるのに行かない僕自身は、申し訳ないと思いながらもサッカー協会の厚意に甘えている。現地へ行けないことに物足りなさを覚えつつも、知らず知らずのうちに横着になっていたのかもしれない。いや、なっていたのだろう。
今回のオーストラリア戦は、勝てばW杯出場を決めることができる一戦だった。これまでのアウェイゲームとは位置づけが異なっていたのだが、「ここでは決まらないだろう」という思い込みがあった。
実はそれが、取材を見送った一番の理由だった。
オーストラリアには、最終予選のアウェイゲームで勝ったことがない。連戦の1試合目は難しいうえに、海外組は移動距離が長い。必然的に全体練習のコマ数も減る。様々な材料を並べると、勝点1を分け合うのが妥当ではないだろうか、と判断したのだった。
後半終了間際まで0対0だったのだから、僕の見通しは見当違いではなかったかもしれない。あの時間帯に先制点をあげて、そのあとさらに追加点を決めるとは、ちょっと予想ができなかった。三笘薫はスーパーだった。
そもそも、「決まらないから行かなくてもいいだろう」という発想が安易だ。W杯出場決定の瞬間は、4年に一度しか訪れない。長い時間軸の上ではほんの「一瞬」でも、そこには様々な感情が表われてくる。対面の取材ができないとしても、現場の空気感に触れて、肌触りとして試合を記憶しておくべきだった。現場の空気にいつでも触れたいとの理由でフリーランスになった自分の成り立ちを、自分で否定してしまっていった。
これから僕は、ずっと後悔をしていくのだろう。
3月24日のオーストラリア戦は、現地へ行かなかった。現地での取材は可能だったのだが、コロナ禍での海外渡航にはまだ抵抗感がぬぐえない。現地で何かあったら、帰国後に何かあったら、という不安は消せなかった。
家族に心配をかけたくない、との思いも強かった。中高年齢者と定義される年齢になり、コロナに感染したら家族に心配と迷惑をかけてしまう。仕事でお世話になっている皆さんにも、迷惑をかけるだけでなく不要は負荷をかけてしまう。楽観的ではなく心配性で、悪い想像を頭から追い出せない僕は、オーストラリアに行くことを最初から考えなかったのだった。
けれど、気持ちは前のめりにならなかった。予選突破が決まるような重要な局面ではないということが、現地へ行かないことの大きな理由になっていた。
日本サッカー協会はコロナ禍の対応として、森保監督と選手たちの取材をウェブ会議システムで行なってくれている。コロナ禍でも広く情報を発信したい、という協会広報部と選手たちの心遣いによるものだ。
今回は試合前日と当時の公式会見は、現地で取材をしているメディアのみが参加できることになった。オーストラリア入国に制限があるわけでなく、希望すれば現地で取材ができるのだから、日本に居ながらにして公式会見などに出席するのは都合が良過ぎる。現地で取材をしている人からすれば、ちょっと図々しいと感じるだろう。僕が逆の立場だったら、そう思うに違いない。
それでも、サッカー協会は森保監督と選手の取材をこれまで同様に設定してくれていた。コロナ禍では行きたくても行けない人がいる、との前提に立ってくれているのだろう。
行けるのに行かない僕自身は、申し訳ないと思いながらもサッカー協会の厚意に甘えている。現地へ行けないことに物足りなさを覚えつつも、知らず知らずのうちに横着になっていたのかもしれない。いや、なっていたのだろう。
今回のオーストラリア戦は、勝てばW杯出場を決めることができる一戦だった。これまでのアウェイゲームとは位置づけが異なっていたのだが、「ここでは決まらないだろう」という思い込みがあった。
実はそれが、取材を見送った一番の理由だった。
オーストラリアには、最終予選のアウェイゲームで勝ったことがない。連戦の1試合目は難しいうえに、海外組は移動距離が長い。必然的に全体練習のコマ数も減る。様々な材料を並べると、勝点1を分け合うのが妥当ではないだろうか、と判断したのだった。
後半終了間際まで0対0だったのだから、僕の見通しは見当違いではなかったかもしれない。あの時間帯に先制点をあげて、そのあとさらに追加点を決めるとは、ちょっと予想ができなかった。三笘薫はスーパーだった。
そもそも、「決まらないから行かなくてもいいだろう」という発想が安易だ。W杯出場決定の瞬間は、4年に一度しか訪れない。長い時間軸の上ではほんの「一瞬」でも、そこには様々な感情が表われてくる。対面の取材ができないとしても、現場の空気感に触れて、肌触りとして試合を記憶しておくべきだった。現場の空気にいつでも触れたいとの理由でフリーランスになった自分の成り立ちを、自分で否定してしまっていった。
これから僕は、ずっと後悔をしていくのだろう。
1968年生まれ。'91年から'98年まで『サッカーダイジェスト』編集部に所属。'98年秋よりフリーに。2000年3月より、日本代表の国際Aマッチを連続して取材している