電気代が9000円→5万6000円に…英国市民を直撃する「ロシア制裁」の大きすぎる代償
■「耐えるべきことは耐える」と戦時下経済さながら
2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻。英国政府は各国に先立ち、ロシアへの制裁措置を打ち出し、その波は一気に世界中を駆け巡った。しかし、その制裁が回りまわって、英国民のサイフを脅かす事態となっている。庶民は「物価高が起ころうが、ウクライナ国民が受けている災難を思えば何のことはない」、「プーチンを叩きのめすまでは耐えるべきことは耐える」と、英国社会は“戦時下経済”さながらだ。
侵攻後、最初の週末となった2月27日には、多くの人々がロンドン市内にある在英ロシア大使館前に集結。多くの人々が侵攻中止を訴えた。
大使館前では、プラカードや横断幕だけでなく、路上に反戦のスローガンを書く者まで現れたという。本来取り締まるべき警察官も、反戦の落書きは見て見ぬ振りという状況だ。もはや、公衆のルールなどは二の次で、プーチン大統領を叩きのめすまでは細かいことにはあれこれ言わないという方針のようだ。
■“非EU”を生かして制裁を矢継ぎ早に実施
英政府はプーチン政権に近い120の企業や個人を対象に、資産凍結や渡航禁止のほか、ロシアの軍事産業も制裁対象とした。これとほぼ同時にロシア国営アエロフロート航空の英国領空通過の拒否も決めている。ロシアが侵攻したその日に制裁措置を発表するという異例の対応は、いわゆるブレグジット、欧州連合(EU)から脱退したことで加盟各国との調整なしに推し進められた、という一面もある。
こうした制裁はやがて、国際的な金融機関決済網である国際銀行間通信協会(SWIFT)からの締め出し、そしてEU全域と米国、カナダへのロシア機乗り入れ禁止へとつながった。航空機の上空通過不許可をめぐっては、EUや米・カナダ機がロシア領空を飛べなくなるという“全面報復”も起きた。
■ロシア富豪を「蓄財の中心地」から締め出す
英国をめぐる企業レベルによる“ロシア離れ”で顕著な例としては、石油大手シェルによるロシア産原油の購入停止を含む同国事業からの全面撤退だろう。そのほか、変わったところではサッカー・プレミアリーグの名門であるチェルシーを保有していたロシアの富豪、ロマン・アブラモビッチ氏がクラブ売却を決めている。
同氏はかねてからプーチン大統領と密接な関係にあるとされる。英国がロシア関係者の資産凍結を進める中、チームそのものが差し押さえになる懸念があるためだ。しかし、こうした動きも「アブラモビッチ氏に売却益が入ることを容認しない」とする英政府は同氏の資産凍結を決定している。
ロシア人の富豪にとって、英国は「蓄財の中心地」のような役割を果たしてきた場所だ。オリガルヒと呼ばれるプーチン氏に近いとされる新興富豪は、ロンドンにさまざまな法人を作り、事業を起こす格好にしつつ財を築いてきた。制裁の一つとして、ロシア最大の商業銀行ズベルバンクの英国金融システムを通じたポンド建て決済もすでに禁止されているが、こうした動きは確実にオリガルヒたちの活動にダメージを与えているだろう。
英国1カ国だけでも、制裁の影響はこのような規模にまで広がっている。米国でも同様の制裁を進めており、これまでに半導体や先端技術関連の輸出規制、そしてロシア産原油の輸入禁止も決めた。米クレジットカード大手のVISA、マスターカードもロシアではまったく使えなくなっている。
■パン、乳製品、砂糖…あらゆるものが値上がり
しかし、こうした制裁の効果は、勇ましく最初に打ち出した英国へブーメランのように跳ね返っている。
ウクライナ危機が目に見える形で庶民のサイフを蝕んでいる顕著な例は、ガソリン価格の高騰だ。前年の3月中旬に1リットル当たり1.24ポンド(当時レートで186円)だったレギュラーガソリンはいまや1.55ポンド(240円)に値上がり、一気に25%も上がった。この先、1リットル当たり2ポンドを超えるとの予想まで出てきている。
よく知られているように、ウクライナは世界でも有数の穀倉地帯だ。小麦価格の値上がりも顕著で、これにより食品価格の値上がりも避けられない。英国紙デイリーメールが3月8日付でまとめた「今後の物価値上がり予想」はおおむね次のようになっている。
さらに、物価高に加えて英国市民に絶望感を与えているのが電力・ガス料金の急上昇だ。
筆者は現在、英国内の全原発を運営している仏資本の電力会社EDFエナジーと契約している。3月いっぱいまでの月額は58ポンド(9000円弱)で、これがおおむね通常期の料金だった。ところが、欧州ではコロナ禍からの復興で原油・ガス価格が上昇傾向にあったため、1月末ごろEDFから月額98ポンド(約1万5000円)の定額制の新料金プランを提案された。
これでも「高い」と感じた筆者は、格安料金の新電力への切り替えを検討していたところへ、ウクライナ危機が勃発した。
■新電力の試算は「月額5万6000円」に急上昇
大手電力会社が「仕入れが難しくなってきている」と相次いで値上げに踏み切る中、新電力はどうなっているのか。筆者は試しに新電力のセインズベリー・エナジーが公開している料金シミュレーションサイトをチェックしてみた。利用者の住所や間取りなどを入力すると、定額制の料金プランが弾き出されるものだ。これが3月に入って月額370ポンド(約5万6000円)と、とんでもない上昇の仕方をしている。新電力は大手以上に電気の調達に苦戦しているようだ。
ロシアからのガス・原油がエネルギー輸入量の10%に過ぎない英国ですらこの状況だ。エネルギーの大半を輸入に頼る日本でも同じことが起きるのだろうか。
一方、これらエネルギー暴騰の恩恵を受けているのは、皮肉にも制裁を受けたロシアだ。欧米各国がロシア産原油を買わなくなることで原油の需給バランスが狂い、目下の原油価格は過去数年で最高値の水準にまで上がっている。ロシアはこれまで、原油価格が上がれば上がるほど、石油やガスといった資源の売却益で潤沢な歳入を維持してきた。
目下の状況では、英米がロシア産原油の輸入を止める一方で、ドイツを筆頭とする欧州各国は依然としてロシア産天然ガスを買い続けており、ロシアが制裁を喰らいながらもまだ強気な姿勢を取り続けられている要因となっている。
■ただでさえ遠い日本へのフライトは15時間超に
英国の「制裁ブーメラン」は、回りまわって日本にも波及している。英政府がロシア機の上空通過禁止を打ち出した結果、日本―欧州間の航空便は大きく迂回する羽目になり、フライト時間がいつもより4時間多くかかっている。筆者がロンドンから日本に帰国する際は13時間を切っていたのが、今は17時間近くかかる計算になる。
これまで日欧間を結ぶ便は、全航路の距離のうち7割以上がロシア上空を飛んでいた。ところが、欧露、米露の航空路をめぐる制裁合戦の末、欧州各国から日本を目指す便がロシアを避けるルートを飛び始めた。コロナ禍でもともと需要が低下していることもあり、いまのところ運賃への顕著な跳ね返りはそれほどでもないが、今後、原油価格の急激な値上がりと相まって、燃油サーチャージの大幅増額は避けられない。
日本渡航断念の声は周囲からも聞こえてくる。3月に日本政府が入国措置を緩和したことで「訪日旅行にも光が見えた」と日本行きを待つ知人だったが、「こんな戦争の最中に旅行なんてできるわけがない。欧州は第2次世界大戦以降で最大の危機が起こっている」と言ってはばからない。
■「絶対悪への正義感」だけでは生活が成り立たたない
ウクライナが戦っているのに、楽しいことなどしている場合ではないというムードが漂っているのが今の英国だ。最近ではスーパーに行くと、驚くほど安い生鮮品や食料品を多数見かけるようになってきた。
生鮮品は、本来の規格に達しないワケあり品をパック詰めした肉や魚、野菜など。米や卵、コーヒーやお菓子、ミネラルウォーターといった必需品は流通や包装にとことんまでコストダウンを図り、こちらも正規品の3〜4割引で買えるようになっている。正直なところ「おいしくないもの」も混ざっているが、もはや価格の安さには代えがたい、というところまで庶民のサイフは脅かされている。
欧州各国はロシアへのさらなる制裁を検討しているが、「絶対悪への正義感」だけでは生活が成り立たなくなってきている。物価高の波は確実に日本へも一気に押し寄せてくる。遠い国々で起こっている危機ではないことを英国から伝えたい。
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さかい もとみ(さかい・もとみ)
ジャーナリスト
1965年名古屋生まれ。日大国際関係学部卒。香港で15年余り暮らしたのち、2008年8月からロンドン在住、日本人の妻と2人暮らし。在英ジャーナリストとして、日本国内の媒体向けに記事を執筆。旅行業にも従事し、英国訪問の日本人らのアテンド役も担う。■Facebook ■Twitter
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(ジャーナリスト さかい もとみ)