BAが見た、女の世界|留学を終えて飛び込んだのは…またしても女の世界!?【最終回】
ライターの高木沙織です。BA(ビューティーアドバイザー)を辞め、その1ヶ月後にはカナダへ語学留学。そして、帰国後に飛び込んだのは…、またしても女の世界!? どれだけ女の世界が好きなんだ!って、いやいやいや。
「BAが見た、女の世界」最終話の今回は、そんな退職後の話です。
留学直前にやっていたあることに、両親もドン引き!
社会人になり、初めて就職した某外資系化粧品会社のBAを辞めたのは、3月末日。
実は、このときにはもう留学先と渡航時期が決まっていたんですね。国は、カナダ。都市は、バンクーバー。語学学校の初登校日は、5月某日。
当時、通っていた英会話スクールの講師(サッカーのベッカム選手に激似のイケメン)が、「バンクーバーは、気候も街も最高だよ!」と言うものだから、行き先はカナダ一択。というのは、半分本当。
残りの半分は、短期大学の英文科を卒業した筆者のまわりには、留学経験者の同級生も多く(筆者もこれが2度目の留学)、いろいろと情報収集をした結果と、留学カウンセラーとのやり取りで、最終決定したのでした。
そこで筆者、調子に乗ってこんなひと言。
筆者:「日本人留学生が少ない語学学校を紹介してくださいっ!」
鼻息を荒くして言いましたよね。これ、今でもよ〜く覚えています。
バンクーバーは人気の都市でもあるから、日本人留学生も多いと聞き、「クラスに、日本人は私しかいないような学校がいいです」って。
勘のいい方はお気づきかもしれませんが、筆者はこのあと後悔します。日本語でワーッと喋って、発散することもときには大事だ!ってね…。
そんなこんなで、諸々の準備を進めつつ、旅立つまでの1ヶ月でやっていたことがあるんですが、これには両親もドン引き。
お金を使わず、ずっと家にいる!…のです。
当時、実家暮らしをしていた筆者は、両親のおかげで生活に関わる出費が少なく済んでいたのですが、何せ留学期間中は無収入になるわけですから。それが、怖くて…。現地でお金に困らないようにと、財布の紐をギュッと堅く、針金で括っているかのような暮らしを徹底。
母:「ねえ、たまには友達とご飯でも食べてきたら?」
筆者:「ううん、行かない!だって、お金がかかるもん」
母、珍しく顔が引きつる。
外出するのは、英会話のレッスンに通うときと、生活用品の買い物に行くときだけ。自宅のリビングでは、ディズニー映画を英語音声&英語字幕で食い入るように見続ける(これ、オススメの勉強法です)。そんな筆者のうしろ姿に、父、声をかけることさえできず。あとで聞いた話では、サッカーの試合中継が観たくてヤキモキしていたそう。
こうして、家族が引いている気配を薄々感じながらも、心折れることなく旅立ちの日を迎えたのでした。母と、ベッカム似先生に見送られて、いざバンクーバーへ!
半年たたずに「ピン」ときて帰国、BAからGHへ
カナダでのホームステイ先は、螺旋階段つきのお城のような一軒家。
ホストファミリーは、筆者の両親と同じくらいの年齢のご夫婦。留学生の受け入れに慣れていて、「困るだろうな」ということは、先回りして教えてくれる至れり尽くせりの環境です。
それでも初日は、緊張で朝から腹痛に襲われる筆者…。語学学校へ到着後にトイレに走ると、扉が足元までないことに衝撃! 何、この40〜50cmくらいの隙間は…。腹痛時にはしんどすぎるっ! さらには、その日の帰宅途中、道に迷って、「I’m lost(迷子になった)!」と悲痛な声でホストファミリーに電話をかける始末。
滞在3日目からは、重度のホームシックにかかってしばらくのあいだ夕食をスルー。夜な夜な枕を濡らし、授業では、「どうして、この英語ペラペラなみんなと私が同じクラスなの?」とさっぱりついていけない自分の英語力のなさに打ちひしがれて、終始無言。留学経験者のみなさん、これってあるある?
あ、あと、こんなこともありました。
あるスピーキング(会話)の授業中。
ブラジル人留学生:「Saoriの“S”は、shy(恥ずかしがり)っていう意味なの? それとも、sensitive(多分、傷つきやすいという意味で言われていた)? もっと、大きい声で、ハッキリ話すことに慣れたほうがいいよ!」
と、言われて、涙垂れ流し。
陰口ではないだけいいのだけれど、ズバッと痛いところを突かれましたね。
だけど、そのおかげで分かってきたのは、意見は言うけれど、どこか自信のなさが透けて見えていた自分…。
それからというもの、“自信をつけるにはどうしたら?”と考えるようになり、とにかく圧倒的経験を積むことと、知見を広げることを意識して過ごすようになったのでした。
語学学校のアクティビティ(学校外でおこなわれる課外活動)に積極的に参加したり、放課後は、クラスメイトとダウンタウンでお茶や買い物をしたり。休み時間は、学校の先生と一緒に過ごすようにしたり。現地の旅行会社に行って、一人旅を申し込んだりもしました。
聞く力も、話す力もメキメキと向上。
これは、大収穫!
ちなみに、あのブラジル人留学生の彼。帰国するまでずっと、筆者のことを気にかけてくれていました。今は、弁護士として働いているそうで活躍が嬉しいですね。
初めての場所で、初めての人たちとこんなふうに過ごすのは、ドキドキの毎日だったけれど、徐々に肝が据わってくるのを感じたのでした。
そんなふうに過ごしていると、学校のパソコンルームで、ある外資系航空会社の地上職員(グランドホステス・グラホ・GH)の募集を発見。そこで、現地から書類を郵送。一次選考を通過後…、まさかの帰国宣言。
筆者:「あ、お母さん? 私、帰るから」
母:「あ、そうなの? いいんじゃない」
まだ、受かるかどうかも分からないというのに…なかなかの暴挙。どういうわけか“これは帰国だ”と、背中を押される何かがあったんでしょう。いつものことながら、動じない母には感服です。
それからは、語学学校の事務員と相談し、課題提出を早めに済ませて“レベルなんちゃら”のクラスの終了証をゲット。半年たたずに帰国すると、例の航空会社の最終選考を通過して、内定をもらうことができたのでした。
念願の航空会社への就職っ!
…が、しかし、ここがまた新たな女の世界への入り口であることを、このときのウキウキ気分の筆者は想像さえしていなかったのでした。
これは、今から17年も前の話。
こうして振り返ってみると、このご時世では難しいとされることができていたことには、感謝しかありません。本当にもう…一日も早く、こんな日々が戻ってくることを願うばかり。
行きたいところに行く、やりたいことをやる!
いつか、エネルギーを爆発させたいですね。
それでは、この辺りで。
みなさん、どうかお体には気をつけて。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ビシッと言ってくれる友達、実は貴重な存在ですよね。イラスト by Kato
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