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ROCの国が戦争を始めるという失望…!

チカラが抜けるような思いです。ロシアがウクライナに侵攻し、戦争を始めました。事態を論評できるほどの見識はないので、ことの経緯をくわしく述べることはしませんが、ロシアのすぐ隣にある国に住む者としてこれは決して他人事ではなく、恐怖と憤りを覚えます。強く非難します。

ウクライナという国には知人も友人も直接の縁もありませんが、それでも何人かのウクライナの人のことが思い浮かびます。リオ五輪で内村航平さんと体操男子個人総合の金を争ったオレグ・ベルニャエフ。ボクシングで名を馳せたクリチコ兄弟、ワシル・ロマチェンコ。ケリガンVSハーディング抗争が印象深いリレハンメル五輪で、妖精のように舞ったフィギュアスケートのオクサナ・バイウル。サッカーゲームでエースとして愛用したアンドリー・シェフチェンコ。大相撲の大横綱・大鵬もお父さんはウクライナ人だと聞きます。レスリングや柔道でも試合をする機会の多い国です。スポーツを通じて出会うウクライナは、遠くにある知らない国ではありません。

まさに今、北京五輪が行なわれ、これから北京パラリンピックが始まろうとするときに、よもや戦争を仕掛けようとは。3月20日までは国連総会でも決議されたオリンピック休戦期間のはずです。せめてこの期間だけでも戦争を止めて、平和への努力をしようじゃないかと世界で約束したことを堂々と破るその姿勢。現実問題として世界中で武力衝突や紛争、すなわち戦争は起こりつづけていますし、そこに至る何らかの理由があるのでしょうが、「せめてもの」約束すら反故にされたことで、世界中に宣戦布告でもされたような気持ちになります。

北京五輪の開会式にはロシアのプーチン大統領も出席していました。それをウクライナは注視していました。双方すでに緊張が走る局面ではありましたが、開会式に参加したプーチン大統領が狙われるようなこともなく、大会期間中にヨーイボンと始まることもなく、閉会式まで終えたはずだった。次はパラリンピックで会うはずだった。睨み合いまでで最後は武器をおさめるものだと期待していた。それが実は、五輪開会式出席という名目で中国としっかりと意思統一をしたうえで、五輪の閉会式が終わるのを待っていたのかしらなどと想像すると、腹立たしくて虚しくてなりません。

↓パラリンピックの開会式には…来ないのでしょうね…!

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そもそもオリンピック休戦とは何だったのか。古代オリンピックにおいては開催都市で安全に大会が開催されるための約束でしたが、それがしばし途絶えたのち、現在のようにオリンピック(そしてパラリンピック)の期間をまたいで休戦をするようになったのは1992年のバルセロナ五輪の際の動きがきっかけでした。

それは単なる「平和への祈り」で鳩を飛ばすようなことではなく、現実の要求に迫られてのことでした。当時、ユーゴスラビアと呼ばれていた連邦国家がありましたが、そのなかのクロアチアとスロベニアが1991年5月に独立を宣言したことで、ユーゴスラビアは内戦状態になっていました。国際社会はユーゴスラビアに制裁を科し、そのひとつとして国際スポーツ大会からの締め出しを行ないました。これは国連の安保理が決議し、加盟各国を縛るものでしたので、IOCもそれに従がわざるを得ない性質のものでした。これにより1992年のバルセロナ五輪へのユーゴスラビアの出場は叶わないはずでした。

しかし、それでは選手たちがあまりに不憫であると、オリンピック旗のもと独立チームでの参加を模索するという動きが起こりました。当時IOCの会長であったのがスペイン出身のアントニオ・サマランチ氏で、開催都市がスペインのバルセロナであったこともこの動きを助けたかもしれません。IOCは何とかしてユーゴスラビア選手を五輪に参加させる道を模索したのです。

その動きは実を結び、いよいよ大会が始まるという7月となって、IOCは「国家」でも「独立チーム」でもなく「個人」としてのユーゴスラビア選手の参加を認めるという妥協案によって各国・地域と合意を得たのです。そして、国際社会に向けてそもそもの問題の端緒であった紛争をおさめ、休戦するようにアピールをしたのです。そこで改めて甦ったのが古代オリンピックで行なわれていた「オリンピック休戦」という提案でした。

この提案はリレハンメル五輪へと向かう1993年に国連決議で採択されると、以降の大会でも推し進められるようになり、現在のように「オリンピック開始1週間前からパラリンピック終了の1週間後まで休戦する」という形で定着していきます。これはオリンピック・ムーブメントが世界平和に寄与するという希望の表れでもあり、政治によるスポーツへの介入から選手たちを守るという意志の表れでもありました。

↓五輪で通算5個のメダルを獲得した射撃のヤスナ・セカリッチ選手は、1992年は個人での参加で銀メダルを獲得!



このバルセロナ五輪という大会は、ユーゴスラビア選手のような個人資格での参加に加え、1991年の旧ソビエト連邦崩壊直後ということでIOCへの加盟承認がまだだった旧ソ連の各国家…ロシアやウクライナなどがEUN(統一チーム)として参加した大会でもありました。

国や政治はいろいろなことがあるけれども、選手は何とかして参加できるようにしてあげたい、それが当時も今も変わらない願いであり、そういう思いから「国家的なドーピング」という事態が発覚してもなお、ロシアの選手たちがROC選手団として個人資格で参加しているのが2022年の北京五輪・パラリンピックなのです。

選手のための動きから現代に甦ることになった「オリンピック休戦」の約束を、選手たちを思いやる気持ちによって辛うじて大会への参加が認められている国が破る。戦争をしている国の選手でも大会に参加できるようにするための約束を、こともあろうに戦争を始めることで破る。「ウチは国としては参加していないから約束を破ることに後ろめたさはない」「ていうか、いつも破っている」「二度あることは三度ある」ということなのかもしれませんが、これほどの裏切りがあるものかと思います。

スポーツも政治と無縁ではいられませんが、それでもなお政治と切り離されたところで試合を行なえるところに稀有なる価値があるだろうと僕は思います。北京五輪が始まる前もすでにロシアとウクライナは緊張関係にありましたが、何とか五輪をやり遂げ、勝ったり負けたり互いを認め合ったりしてきたはずなのです。これからともにパラリンピックをやって、勝ったり負けたり互いを認め合ったりできたはずなのです。紛争の当事者間であっても、そうやってどこかでつながりや敬意を保っていられたら、救われる部分もあったと思うのです。

その約束すら守られない。

あと1ヶ月、その短い時間すら、約束が果たされない。

何も変わらなかったかもしれないけれど、何かが変わったかもしれないのに。

「ロシア」という国が五輪・パラリンピックに戻るのはいつなのだろうか、戻ることなどあるのだろうか、スポーツという観点からも果てしない落胆と失望を覚える出来事でした。ロシアには素晴らしい選手がたくさんいますし、ロシアがいない大会はどこか物足りなさを感じますが、今後はかなり長い時間に渡ってROCとして会うことになるのだろうなと思います。致し方ないことです。

戦争ではなく、試合によって勝ったり負けたり互いを認め合ったりできるよう、少しでも早く事態がおさまるように祈ります。

↓北京五輪フリースタイルスキー男子エアリアル決勝ではウクライナ銀、ROC銅と並び立つ場面もあったが…!


↓IOCはロシアでのスポーツ大会の開催を取り止めるように要請したとのこと!



「ロシアを決して信じるな」という本のタイトルに今さらながら納得しました!