この5年間で住んだ地域は4道府県と、現在も更新中。そんな移住生活のオモシロ体験を綴った、アルム詔子の「京女の移住体験記」(前回の記事はこちら)。

富山県には、有名な山岳観光の目玉となる「立山黒部アルペンルート」がある。今回の記事は、登山ド素人の私が標高3000m級の「立山」に挑戦するまでの話を綴った3部作のうちの1作目。簡単にいえば、その準備段階での話である。

北海道を離れて、富山県へと移住した私とパートナーの彼。じつは、2人でできる趣味を見つけようと探した結果、目を留めたのが「登山」だった。なんといっても、富山県には、初心者向けの低い山が至る所にあるからだ。

登山に目覚めた私たちの汗と涙の記録。

立山に挑戦するまでの準備編を、早速、ご紹介しよう。

趣味を作ろう…と言われましても

なかなか年を取ってから新しいコトを始めようとは思わない。

ただでさえ、アラフォー女性は、自分の体力低下に敏感だ。これまで難なくできていたことが、あれれ…なんだか、しんどくないか? と感じて不安になる。一旦、見ないフリをし、いいやと棚上げするも、その予感は何倍も増幅して現実世界へと跳ね返ってくる。なんとも恐ろしい老化のスパイラルなのである。

そんなだから、新しいコトに手を出そうなどと思うワケがない。

それなのに、である。

パートナーの彼が、新しい趣味を持ちたいと言い出した。

約2年半住んだ北海道を離れ、久しぶりの本州へと戻ったからか。それとも、初北陸地方となる富山県へと移住したからか。どちらにせよ、生涯付き合えるような「趣味」を探そうと、私に提案してきたのである。

「いやいや、ムリムリ(笑)」と却下するはずが、つい、首を縦に振っていた。年下の彼につられて、無意識に若者ふうを装ってしまったのである。

救いようのないド阿呆な自分が、どうにもこうにも情けない。この決断が必ずや自分の首を絞めると分かっていながら、とうとう、私も一緒になって趣味探しを行うことに。

そして、彼が目を付けたモノが…。

──登山

「なんで登山なん?」

自分の目論見が外れたことに焦りながら、私は訊いた。

どこかで、インドアの趣味であれば大丈夫との思いがあったのだろう。それが、まさかのガチのアウトドア。それも、BMI25の私の体重が、もろ両膝めがけてのしかかってくるような「登山」だなんて。嫌がらせ以外に、一体、どういう意図があるというのだ。

「じつは、北海道のときから、やりたかったんだよなー」とのほほんとしている彼。

「じゃあ、なんで、北海道にいたときに始めなかったん?」

「大自然過ぎて…」

「はあ?」

「素人が手を出せるスケールじゃないやん」

彼曰く、北海道の山は、趣味で素人が手出しできるレベルじゃない。そんなイメージを持っていたため断念していたのだとか。しかし、今回移住した富山県には、「初心者におススメ」的な山がそこら中にたくさんあったのである。

「なあ、今週末、行こうよ」

ちびっこのようなキラキラした瞳が眩しすぎて、さすがに断ることなどできない。

こうして、私は老い始めた体に鞭打って、山登りを始めることにしたのである。

ああああああ!後悔しても始まらない…

頂上までかかった時間は私だけ2倍?

早速、富山県版の登山のガイドブックを購入した。

格好から入る彼は、登山靴からウエアまで一式揃え、即席の登山ボーイの出来上がりである。一方の私はというと。根っからの貧乏性もあって、まずは運動靴とジャージでウオーキングに出かけるような姿で済ませることにした。正直、この段階で、趣味にしようという意気込みの温度差が感じられるというものだ。

移住してすぐの8月末。

初登山に選んだのは、富山県立山町にある「尖山(とんがりやま)」だ。頂上は559mと、初心者にはうってつけの低い山である。

じつは、あまりにもキレイな三角形の山なので、ピラミッドの跡だとか、UFOが離着陸するための目標地点となる山だとか、様々な噂が流れているという。

ちなみに尖山の掲示板には、所要時間の目安として「行き60分」「帰り40分」と表示されていた。頂上まで1時間、だったら楽勝だろうと張り切ってスタートしたのだが、いざ登ってみると大誤算。自分の意識と実際の体力にかなりの乖離があることに気付いた。

とにかく、身体が重い。

かなり痩せたはずなのに、信じられないほど身体が重いのだ。なんなら、わざわざ彼に水や軽食類を持ってもらい、私は何も持たずのフリー状態で登山に臨んだのにである。体感的には、バーベルを持って山を登っている感覚になった。

特に、頂上までの「つづら折りの山道」が辛かった。

掲示板には20分となっていたが、実際にかかったのは、その2倍の40分。山道の途中で待ってくれている彼に、先に行ってくれ(実際は「私の屍を越えてゆけ」)と告げて、無念にも戦線離脱。歩いては休みを繰り返し、自分のペースでゆっくりと登った末の「40分」という記録であった。

ただ、頂上へ到達したときの得も言われぬ爽快感は、まったくもって想定外だった。正直、コレを一度でも感じてしまえば、負けたも同然。 ある種の中毒性すら感じるほどに 強烈で、また味わいたいと思ってしまう。これは、なかなか止められそうにもない。

ちょっと想像してみてほしい。

いつまで続くのかと自問自答しながら、ひたすら山道を歩き続ける。少し先に明るいところが見えたので、頂上だと信じて頑張ってみる。けれど、着けばさらに続く山道が見えて、落胆する。登山は、この希望と絶望の繰り返しである。

正直、何度やめようかと、もう諦めようかと思ったことか。それでもこの苦行を終わらせるためには、前に進むしかないのだ。だから、半ば惰性で足を1歩ずつ出して歩き続ける。

そこに、突然、視界が開かれ、景色が一変する。もう騙されないぞと思ったところで、ここが正真正銘の頂上なのだと知らされるのだ。ああああ、もうこれ以上登らなくていい。その思いが全身を駆け巡り、身体が弛緩するのである。

この緊張と弛緩の連続を経て、溜まった鬱憤が頂上到達で一気に解放される。ふむ。この感覚は…なにやら身に覚えのあるものだ。確か…。

──あっ。

──登山ってサウナに通ずるのかも…

そう感じた瞬間であった。

【後編に続く】