理想は「優しい人」って…具体的にはどんな人?そんな条件は不要かもしれない【前編】
良いことも悪いことも、人生、迷うことばかり。そんな他愛もない日常をゆるゆると綴ったアルム詔子の「日日是迷走」。
今回は、理想の男性像について。
多くの女性が様々な条件を挙げる中で、共通項となるのが「優しい人」という内容だ。
でも、それってホントに必要?
だって「優しい」と感じるシュチュエーションは人それぞれだ。正直、具体的にどのような人を「優しい人」というのか、よく分からないのである。
そこで、今回は大真面目に「優しい人」について考えてみた。
そこから導き出された結論とは…?
まさかの母から…のろけ話?
突然、京都にいる母から電話がかかってきた。
これまで記事に何度か登場した生粋の京女の母である。結婚して54年も経つというのに、相変わらず夫を翻弄し、水虫になったコトまで黙っていたあの女性だ。
一体、何の用事かと思えば、正直、この記事に書くのがはばかられるような、ホントにくだらない内容の電話であった。
「なあ、ちょっと聞いて」と母。
「なんなん?」
「太郎さん(父の仮名)、ほんま優しいわ」
「…」
私は心の中でひそかに野次を飛ばした。別の記事を仕上げている最中だったので、せっかくの思考が途切れてしまったのである。半ば電話を取ったことを後悔しながら、このまま休憩を取ることにした。
「優しい人やとは思ってたけど、ここまでとはなあ」
「何があったん?」
「この前、初詣に行ったときに、おみくじ引いたら『凶』が出たんやんか」
「えっ。新年早々『凶』引いたん?」
「そうや」
つい、父の話よりも、おみくじの「凶」という話題に飛びついてしまった。これでまたもや電話が伸びることになるが、致し方ない。
「いややわあ。ほんま『凶』なんて…で、太郎さん、それ見てなんて言ったと思う?」
ほほう。この忙しいときに、クイズ形式ときましたか。いや、でも、コレってアリかも。考えようによっては、この話、記事のネタにできるかもしれない(実際に、こうしてなりました…)。そう思うと、俄然、母の話に対してやる気になってきた、現金な私。
「『凶』って、ホントのところは『凶』じゃないんだぞとか?」
「ちゃうわあ」
「ほな、新年早々『凶』を引いて厄逃れができたなとか?」
「ちゃうちゃう」
いやいや、これではキリがない。私はとっとと降参した。
「そんなん分かるワケないやん。で、太郎さん(娘の私もなぜか名前呼び…)は、なんて?」
「俺がおまえの『凶』を引き受けたるわ、やって」
「…」
演歌の歌詞かとも思ったが、それは言わないでおこう、どうせ電話の向こうでは、母の目がきっとハートになっているだろうから。ちなみに、母の情報を付け加えておくと、両親共々、分類上は、いわゆる「後期高齢者」に含まれる。アラフォーの娘としては、そんな年齢の母から未だに夫ののろけ話を聞かされるとは、夢にも思わなかったのである。
「凶」くらい引き受けるなんて…。どんと構えるくらいがちょうどいい?
「優しさ」の定義は、あってないようなもの?
さて、ここで取り上げたいのは、「凶を引き受ける」という言葉である。
これを聞いて、優しいと感じる母。一方で、私はというと、その言葉のせいで逆に不安になってしまった。
だって、言霊をバカにはできない。ホントに「凶」を引き受けて何かあったら…と心配になる。そんな縁起でもないコトを言うなんてと思ってしまったのだ。もし、パートナーの彼がそんなことを言えば、私は即黙らせるであろう。
「なあ、どう思う? 優しいやろ?」と母。
「そうかあ?」と私。
この答えにムッとしたのか、立て続けに母は「夫の優しさ」自慢を展開してきた。握力が弱ってきた母のために、先に蓋を開けておくなど、事細かな事例を挙げて説明し始めたのである。ただ、私からすれば、残念ながらどの事例も同意しかねる。率直に言って、「優しい」というより「オヤジ、気遣いスゲーな」という感想だ。
そして、さらに「わかるわかる」という「共感」で落ち着いた。じつは、私も父も世話好きだ。親子だから性格は似るのである。だから「優しい」とかではなく、単純に「気付いてしまう」がために色々とやってしまう父の気持ちが、痛いほど理解できるのだ。
そこで、私は考え込んでしまった。
段々分からなくなってきたのだ。一体、「優しい」って、なんなんだ?
ひょっとすると、「優しい」という定義は、最初からあってないようなものではないのか。そんな疑念さえ抱くようになったのである。例えば、同じ行為であっても、それをどう感じるかは人それぞれ。母と私のように全く感想が違うということもありえる。
結局のところ、「優しい」という条件の中身は、空洞なのかもしれない。自分自身の価値観が、ただ姿を変え、うまく収まっているだけのようにも思える。
そう考えれば、「あの人、すっごく優しくていい人だから、絶対会ってみて」と友人から紹介された場合、たいてい期待外れの結果で終わるのも納得だ。「優しい」と感じるか「わざとらしい」と感じるかは、受け手次第。そもそもの正解は、友人のいう「優しい」は私の感覚とは違うと、期待せずに会うコトだろう。
ふと、先ほどの母との会話を思い出した。
電話の最後に、母はこう切り出したのである。
「まあ、とにかく、彼(私のパートナーの彼です)も優しいみたいで、安心したわ…」
恐らく母にされた「夫の優しさ自慢」で、私も知らず知らずのうちに張り合ったのだろう。
彼が優しい…? まさか…そんなはずは…。
私の記憶は、遥か彼方へ。
そうして、とがりまくっていた、出会った頃の彼を思い出していたのである。
【後編につづく】