森保監督は、中国戦から中4日で行われるサウジアラビア戦のスタメンについて「中国戦で先発した選手をベースに考えている」と述べた。この原稿は、サウジアラビア戦の前に書いているので実際、どんな顔ぶれがピッチに並んだのか確認できていないわけだが、2試合同じ顔ぶれであるならば、中国戦には現状のベストメンバーを送り込んだことが判る。2試合続けて100%のエネルギーで戦おうとしている。そこに筆者は引っかかりを覚える。
 
 中国戦まずありきだったのか。サウジアラビア戦から逆算して中国戦のスタメンを決めたのか。答えはおそらく前者だろう。森保監督は中国にもサウジアラビアにも全力でぶつかろうとしたわけだ。

 もちろん中国戦は絶対に負けられない戦いだ。しかし、サウジアラビアより1レベル、いや2レベルほど落ちる。試合はその先も続く。最悪プレーオフもある。無事に勝ち抜き、本大会出場を決めても先は長い。

 森保監督の目標は本大会ベスト8だ。しかし、この方法で中国に勝っても、続くサウジアラビアに敗れると、その道筋は途端に不鮮明になる。オーストラリア戦(3月24日)に向けて、繋がりがなくなる。話は振り出しに戻ってしまう。ベストメンバーが判らなくなる。

 中国戦。苦戦しながらも2-0で勝ったから意見するわけではないが、ベストではないメンバー、言い換えれば、サウジアラビア戦のスタメンが簡単には判りにくいメンバーで戦うべきだったと筆者は考える。

 ベストメンバーはこんな感じだろうが、この試合では、そうではない選手を2、3人落とし込んでみたーーという感じの、まだまだ奥がありそうな、底知れないムードを醸し出すような11人を並べるべきだった。

 アジア予選突破、W杯本大会出場は、日本サッカーにとって必須の命題だ。となれば、中国はまさに絶対に負けられない相手になる。だが客観的に考えて、両国は辛めに言っても60対40の関係にある。サウジアラビア戦は日本のホーム戦なので、日本の55対45と予想するが、それに比べるとハードルは数段低い。

 続くオーストラリア戦(アウェー)を50対50とすれば、本大会で待ち構える相手はそれ以上の難敵だ。その中で森保監督はベスト8を目指そうとしているわけだ。中国戦にベストメンバーを組んでどうすると言いたくなる。

 前回のこの欄でも触れたが、森保監督は、東京五輪で同じメンバーを起用することが多かったその采配について、記者から問われると「次を見越してやることはできない。日本が世界の中で勝っていくためには1試合1試合、フルで戦いながら次に向かうことが現実的」と述べている。しかし「日本が世界の中で戦っていくためには」と言いながら、森保監督は今回のアジア予選でも同じ方法論で臨んでいる。直近の3試合こそ交代枠を5人フルに活用しているが、それ以前は五輪本大会同様、それさえも満足にできなかった。恥ずかしいことに、10-0で勝利したミャンマーや14-0で勝利したモンゴルにも、いわゆるベストメンバーで臨んでいる。

「日本が世界の中で戦っていくためには」ではなく「私がアジアの中で戦っていくためには」ではないのか、訂正を迫りたくなる。

 一戦必勝。相手がどんなに弱くてもベストを尽くす。と言えば、美しく聞こえる。スポーツのあるべき姿に見える。スポーツに限らず日本にはそうした美学がある。森保監督はそのド真ん中にいる感じだ。しかしこの考え方を根本的に改めないと、日本のサッカーは進歩しない。非サッカー的で気弱な考え方とはこのことを指す。

 かつてに比べ、代表監督は日本人監督でとの風潮は増している。日本人の監督のレベルは実際、かつてより上がっているのかもしれない。戦術的に優れた人、人格的に優れた人、指導力に優れた人は、大幅に増えていると思われる。テレビ解説者、評論家などは、さしずめその予備軍と言えるが、10年前、20年前に比べると、解説、評論のレベルは大幅に上がっている。彼らの話を聞き、なるほどと納得する瞬間は増えている。森保監督が解説者なら、あるいはその1人なのかもしれない。