都会暮らしから田舎の長男に嫁いだ桃子さん、その現在とは?(イラスト:堀江篤史)

結婚するつもりはなかったけれど、家庭にはすごく憧れていた。結婚したら自由がなくなると思っていたけれど、今はお酒を飲まずに早寝早起きして遊ぶ暇がない田舎暮らしが「逆にラク」だと感じる――。

こんな本音を語ってくれるのは九州の田園地帯に住んでいる木田桃子さん(仮名、44歳)。色白でふんわりした外見と聞き取りやすく、チャキチャキした話し方のギャップが魅力的な女性だ。

関東地方の都会で生まれ育った桃子さんが「結婚をいいものだとは思えなかった」理由は複数ある。親の不仲と離婚、育ててくれた父親の再婚と弟妹の誕生、会社員をしながらのキャバクラでのアルバイト、既婚者と付き合ってしまってトラブルになった苦い思い出、九州に移住後に乳がんを患ってそれが原因で恋人と別れたこと、などだ。

しかし、昨年の2月に「めっちゃ優しい」農家の長男と結婚。忙しい家庭生活を慈しみながら暮らしている。桃子さんの波乱万丈な晩婚ストーリーをたどりたい。

複雑な家庭環境で育った桃子さん

「両親が離婚したのは私が10歳のときです。それまでもいつも夫婦げんかしていた記憶しかなくて、母はしょっちょう家出していました。あるとき母が本当にいなくなり、それからは父が私と弟を育ててくれました」


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親の不仲で傷ついて結婚生活に幻滅する人は少なくない。桃子さんの場合は、父親が20歳も若い女性と再婚したことで弟や妹が次々に生まれたという事情もある。幸いなことに継母の恵さん(仮名)との相性はよかったようだ。

「父が再婚したとき、私は思春期の真っただ中でした。私とはわずか9歳しか年が離れていない恵さんは苦労したはずです。今では実の母よりも仲良くしていて、いろいろ相談もしています。お母さんというよりはお姉さんみたいな存在で、恵さんと名前で呼んでいます。でも、当時は弟や妹がどんどん増えて恥ずかしかったし、自分を構ってもらえないのが嫌でした」

やや複雑な家庭環境で自立心を養った桃子さん。大学を卒業後は旅行業界に足を踏み入れて、1人暮らしをしながら猛烈に働き始めた。自分自身が旅行好きだったので、稼いだお金は夜遊びと旅行に費やしたと振り返る。

さらにお金を稼ぐためにキャバクラなどのアルバイトも始めた。会社からの給料も合わせると、20代にして年収1000万円に達したこともある。当時は男性のことがお金にしか見えなかった。水商売だけが原因ではない。

「26歳のときに10歳年上の男性と付き合ったんです。独身みたいなことを言っていたのにふたを開けたら既婚者。奥さんにバレて嫌がらせを受けて、ストレスで10キロもやせました……。結局、私が慰謝料として100万円ほど支払った記憶があります」

美人局の逆バージョンのような話である。もうだまされたくない。桃子さんは男性を警戒するようになった。

それでも寂しさがあったのだろう。30代半ばからマルチーズばかり4匹も飼い始めた。そして、2011年の東日本大震災に遭う。

「本当に怖くて心細い思いをしました。自宅に帰っても犬しかいないし、その犬たちもいつかはいなくなります。寂しいなーと思いました」

旅行好きの桃子さんは九州にペット連れで泊まれる宿を見つける。今、桃子さんと夫の真司さん(仮名、41歳)が住んでいる町だ。オーナー夫婦と仲良くなり、通い始めるにつれて、桃子さんの気持ちに変化が生じた。

「今まで都会で仕事ばっかりしていました。でも、何もないど田舎で好きな人と生活を共有して過ごすのもいいかも、と思い始めたんです」

過疎化が進む田園地帯に移住する

貯金で暮らしながら、単身で移住を決めたのが3年前。桃子さんは婚活も並行して進めており、農家の息子に狙いを定めていた。

「嫁不足だから大切にしてくれるだろう、という打算がありました。年齢的に子どもを産むのは難しいのが問題ですけど」

会社でも水商売でも接客の仕事をしてきた桃子さんはすぐに結果を出す。同い年の農家の男性から交際を申し込まれたのだ。しかし、その直後に桃子さんは乳がんを患ってしまう。

「抗がん剤治療が卵巣を痛めることがあるので、子どもを産める可能性はますます減ってしまいます。彼は最初『オレが支えるから』と言ってくれたのですが、結局は去られてしまいました」

まさに泣きっ面に蜂、である。そんなときに桃子さんを支えてくれたのは「近所の世話焼きおばちゃん」だった。

桃子さんが移住したのは過疎化が進む田園地帯。女性1人で移住してきた当初は「変わっている人がいる」と遠巻きにされていたが、地域行事などに積極的に参加していたらかわいがってもらえるようになったのだ。

「毎週のよう食べ物を持って来てくれるおばちゃんが独身男性を3人も紹介してくれました。その1人が夫です」

しかし、真司さんの第一印象は決してよくなかったと桃子さんは明言する。つまらなさそうな顔をしてほとんどしゃべらなかった。気まずい沈黙を避けたい桃子さんは1人でずーっとしゃべっていたと振り返る。

「でも、私から連絡先交換を申し出ました。せっかくのご縁ですので、と。何もしなかったら紹介してくれたおばちゃんに悪いな、と思ったからです」

ちょっと遅めでも結婚したい人にはこの姿勢が不可欠だと筆者は思う。30代後半以降、会話上手で感じのいい人はすでに結婚していることが多いからだ。第一印象ぐらいで相手を判断していたら縁を育てることはできない。紹介してくれた人、自分と会う時間を割いてくれた相手に感謝をしながら、少なくとも2、3回は会ってみるべきなのだ。

真司さんからの衝撃の告白

「2週間後にいきなりLINEが来ました。『久しぶりです。またゴハンでもどうですか』と。私は夫に全然ピンときてはいなかったけれど、生理的に無理ではないので断る理由もありません。ゴハンぐらいはいいかと思いました」

その帰り道、真司さんは告白をする。今日はもう一度ちゃんと話をして、お付き合いをしてほしいと思って誘ったというのだ。

「思わず、『え! 何で?』と聞いてしまいました(笑)。私の話をつまらなさそうに聞いていたのに、実際は『この人と一緒に農家をできたらいいな』と思いながら黙って聞いていたのだそうです」

このようなコミュニケーションのすれ違いは婚活ではよく起こる。「話すより聞くほうが好き」「自分は聞き上手」などと自任する人に限って、相づちも打たずに無表情で黙っていたりするのだ。仕事や生活で多様な他人と接する機会が少ない人はこの傾向が強い。農家もその典型例かもしれない。

結婚前提でなければ付き合いたくないけれど、ガンの治療がようやく終わって経過観察中であることも伝えました。ガンが原因で恋人に振られたことも」

すると真司さんは桃子さんの事情は「おばちゃん」からすでに聞いて知っていると答えた。田舎では個人情報などはよくも悪くも「ダダ漏れ」なのだ。そして、桃子さんは見たところは元気そうだし、自分の祖父も肺がんを患ったけれど80代まで元気に天寿を全うしたし、病気は自分も含めて誰もがなりうると真司さんは力説した。

「跡取りはどうするのか、と聞いてみました。私は抗がん剤治療を受ける前に病院の勧めで卵子を4個凍結しています。でも、不妊治療をしても子どもができるのかはわかりません」

一度好きになったらずっと一緒にいたくなる「重い」性格だと自認している桃子さん。誠実そうな真司さんに気持ちが入ってしまう前にすべてを話しておきたいと思った。

真司さんの答えもまた明快だった。自分は農家を継ぐのが嫌だった時期が長く、10年ほどは実家を出て会社員をしていた。だから、もし子どもができたとしても跡取りとは考えていない、というのだ。とにかく桃子さんと一緒に過ごしたい、と真っすぐに言ってくれた。

「それでも即答はできませんでした。移住をしてきたくせに、私はこの地で一生を送る覚悟ができていないと気づいたからです」

その迷いも率直に伝えると、真司さんからまたしても男気のある答えが返ってきた。

「オレも田舎が嫌だったからよくわかる。まずは友達になろう。オレは桃子の味方でいるつもりだし、心の片隅に置いてくれればいいから」

初対面では無口だった真司さんの一世一代の告白である。その後、2人は本当に友達になった。真司さんは自分が作った野菜を持ってきてくれたり、車で桃子さんと犬たちをドライブに連れていってくれたり。そんな日々を3カ月ほど続けていたら、真司さんと2人でこの地で暮らし続けることが自然に思えてきた。

「『家族なんだな』と感じます」

結婚した今はあれこれ考える暇がないほど忙しい日々だ。真司さんは朝5時半には家を出て、車で5分のところにある実家と田畑に向かう。桃子さんは家事を済ませてから7時半には夫と両親と合流し、収穫や選別、袋詰めなどの作業に参加。そのほかに犬の世話や町役場でのパートもある。

「パートで稼いだお金は私のお小遣いです。夫とは仲いいと思いますよ。家事がまったくできない人なので私が一方的にイライラすることはありますが、夫が怒ったところを見たことはありません。両親もすごくよくしてくれます。お昼ご飯はいつもお母さんが作ってくれて、一緒に食べていると『家族なんだな』と感じます」

現在、不妊治療に挑戦するために体調を整えているという桃子さん。真司さんがお酒を飲まないこともあり、自分も飲まずに早寝早起きをするようになった。飲み歩くことが大好きだった都会での1人暮らし時代とは生活が大きく変わった。

結婚したら自由がなくなると思っていたのですが、そんなことはないんですね。自由の種類が違うだけです」

実の父親や継母からは愛してもらった。それでも結婚を「いいもの」だとは思えず、ずっと1人で生きてきた。そんな桃子さんが遠い移住先で見つけた縁を育てて、穏やかで温かい家族に囲まれて暮らしている。率直で誠実でありさえすれば、人はいつでもどこでもよき家庭を築けるのかもしれない。