富士山5合目までの富士スカイラインの冬季閉鎖を示す看板(筆者撮影)

夏場は富士山でガイド業を営む私ですが、冬の間はオフシーズン。樹海などの標高の低いエリア・周辺の低山のガイドや、環境調査をして過ごしています。当然、この時期は富士山に登ることはなく、麓から見事な冠雪を見るばかりです。

そんな富士山ですが、残念ながら今年に入って、冬期登山中の事故・救助活動のニュースが相次ぎました。不幸なことに例年、閉山期間中の富士山における登山中の事故(死亡事故を含む)が後を絶ちません。この記事を書いている2022年1月現在、富士山の山頂へ至る登山道は閉鎖されています。

山頂に行ける期間は2ヶ月だけ


冬季閉鎖中の富士山。5合目付近まで積雪する(筆者撮影)

一般の登山者が富士山頂まで登れる期間は7月上旬〜9月上旬の「夏山期間」と定められています(富士山における適正利用推進協議会「富士登山における安全確保のためのガイドライン」)。

また、それ以外の期間(例年9月〜翌7月)の利用についても注意事項が定められており、「充分な技術・経験・知識としっかりとした装備・計画を持った者の登山は妨げるものではないが、以下の理由により、このような万全な準備をしない登山者の登山(スキー・スノーボードによる滑走を含む)は禁止する。」(同)とされています。

登山をする場合は、緊急時に備え登山届を提出するようガイドラインで指導されています。このような表現ですので、冬季の富士登山は厳密にいうと法的に規制されている訳ではありません。

冬山登山を禁止とする最たる理由は、ご想像のとおりその厳しい気象条件です。ほかの山と連なることのない独立峰として成立する富士山は、気象条件が複雑で変わりやすく、特に冬場の強い偏西風と降雪が、危険度を高めています。ガイドラインに掲載されている、気象庁のデータによると2011年〜2020年1月の富士山の平均気温は-18.6℃で、「厳冬期の富士山は、風速30m、気温-30℃になることも稀ではない」と記載されています。そして、このような気象により、斜面の積雪地は広範囲にわたり凍結するため、強風に煽られての転倒や滑落の危険性が高まります。

加えて、閉山期間中はトイレ・山小屋は閉鎖されているため、緊急時に安全を確保することが非常に困難であることや、当日の天候次第では、救助隊が直ちに現場へ出動することもままなりません。万が一のケガや体力不足による立ち往生など、夏山期間中であれば直ちに重大事故に発展しないような事柄が、厳冬期には一瞬で命を奪う大事故につながる恐れがあります。

このように冬季の富士山は、人を寄せ付けない厳しい環境であり、その登山は経験を積んだ登山者であっても、危険が伴う行為であることは言うまでもありません。

他の山は開いているのに、なぜ富士山は「閉山」?

日本では、冬山シーズン中も山小屋が営業していたり、山岳警備隊が常駐するなど、冬季にも登山を楽しむことができる体制が整った山はいくつもあります。一方で、富士山の開山時期は前述のとおり、1年のうちで7月1日(山梨県側。静岡県側は7月10日)〜9月10日のわずか2ヶ月間のみです。この記事をお読み頂いている方の中には、「この前後でもう少し登れる期間を延ばせば、夏場の混雑もなくなるのでは?」と思う方もいらっしゃるかもしれません。

参考までに、開山直前の6月の登山道はどのような状況かというと、その年の天候によって差はあるものの、山頂付近には依然として数mの厚さの雪が所々に残っており、登山道は埋もれています。また、雪解け後に発生した落石が路面に山積しているため、整備なしでは登りにくい状況です。

あまり知られていないことですが、毎年6月頃にガイドが集められ、開山期間を前に登山道の雪かきと整備作業が行われます。作業を行う山頂直下は6月も気温は一桁台の寒さで、酸素の薄い環境での雪かきは、なかなかの重労働ですが、フィールドを整備するのもガイドの勤めです。

このように、火山の噴出物でできた富士山は崩壊しやすく、開山期間中に安全で快適な登山道を利用するためには開山前に一定期間、メンテナンスする必要があります。


6月の富士宮口山頂直下9合5勺での雪かき(筆者撮影)

ここまでご紹介した通り、山頂登山道の開山期間は、その気象条件や安全管理上の観点から、合理的な時期に設定されています。ですが、仮に雪が少ない年で、整備が早く終わったとしても、開山が早まることはありません。では毎年7月1日が開山日として固定されてきたのはなぜか?それは、かつて富士山が信仰の対象の霊山として登られてきた歴史があるためです。

江戸時代に「富士登山」が一般化

現代の富士登山は、日本一の山に登った達成感や、山頂からのご来光を見るレジャーとして、多くの方に楽しまれています。しかしかつての人たちにとって富士登山は、単なる物見遊山の目的のみではなく、山岳信仰の登山として行われてきました。富士山の山岳信仰の歴史は、世界文化遺産に登録された理由のひとつであり、文化遺産の構成要素は、富士山信仰に関わるものが多数を占めています。

古くから噴火を繰り返した富士山。この噴火は浅間大神の怒りの表れと考えられ、人々はその怒りを鎮めるために、浅間大社を建立しました。このため富士山は古来、神の宿る神聖な山域と認識されていました。信仰のための富士登山は平安時代末期から行われ、末代上人(まつだいしょうにん)という修行僧が登頂したとされています。富士山は当時、修験者(山岳信仰により、山にこもって修行した僧)のみが立ち入ることのできる、聖域として認識されていました。

開山期間はその山を開放し、広く一般の信仰者を受け入れる期間として設定されました。富士山では明治以前の旧暦6月1日がその開山日であり、明治時代以降、現在の7月1日(山梨県側。静岡県側は例年7月10日)を開山日として設定しています。また、山頂には富士山本宮浅間大社奥宮が建立され、富士山の8合目より上の土地は静岡県・山梨県いずれにも属さず、この浅間神社が所有・管理する境内となっています。


富士山山頂浅間大社奥宮

富士山の信仰登山が庶民の間に広まるのは、江戸時代の半ば頃からで、人々は「富士講」と呼ばれる富士山信仰の登山をする結社を組織していました。これは江戸とその近縁の町単位で組織されており、「江戸八百八町に八百八講」といわれるほど、当時は多くの講が存在していました。講とは、「団体」のことであり、富士講は富士山信仰を志す町内の人が集まったグループということです。

富士登山には多額の費用と時間がかかるため、富士講では富士登山にかかる費用を皆で積み立てし、毎年代表者を富士登山へと送り出すという仕組みをとっていました。富士山信仰では、登頂した個人のみの幸福ではなく、万民の幸福を追求するという教えであったということですね。

富士講の開祖とされる長谷川角行(かくぎょう)は、戦国時代に、現在の富士宮市にある人穴富士講遺跡の「人穴」と呼ばれる洞窟にこもり、1000日間の修行を成し遂げたとされています。その教えは「富士講」の信仰の基礎となり、江戸時代には、多くの登山者が富士山を訪れるようになりました。


人穴富士講遺跡(静岡県富士宮市)(筆者撮影)

江戸時代は「白装束&わらじ」で登山

かつての富士講の富士登山の様子や歴史を、豊富な資料や映像によって知ることができるふじさんミュージアム(山梨県富士吉田市)には、当時の富士講の登拝者が登山を行った服装が展示されています。白装束は、過酷な富士山を霊界と捉え、決死の覚悟で登るという覚悟の表れです。富士山を登ることが、命を危険にさらすことであることを認識し、霊山に登ることに対する畏敬の念が表れています。登山で重要な装備である足元は、当時はわらじでした。当時の登山者が使っていた金剛杖は、現代でも山小屋などで販売され、焼き印を山小屋ごとに押してもらいながら登るのは楽しみのひとつですね。


富士講の登山姿(写真左)。右は荷揚げの役を担った強力と呼ばれる人(ふじさんミュージアムで筆者撮影)

今でこそ高性能のレインウェアや登山靴を身に着けて登山することができますが、そんな現代の装備があっても、ときに厳しい顔を見せる夏山の富士山に、当時のような装備で挑むことは、文字通り決死の覚悟で取り組む「修行」であったのではないでしょうか。そのような苦労の先に登頂を成し遂げた当時の人々は、日本一の頂の上で、神に近づいた実感を持ったことだと思いますね。

今年の富士山も、コロナ禍の影響を受けなければ7月に例年通り開山される見通しです。富士登山に訪れる際には、登山道の麓の街にある、富士山信仰に関わる施設や寺社などをぜひ訪れてみてください。古くから人々を惹きつけてきた富士山の信仰の歴史を知ることで、富士登山がより感慨深い登山体験になること間違いなしですよ。

<参考文献>
『知られざる富士山 秘話 逸話 不思議な話』 上村信太郎 山と渓谷社
『知識ゼロからの富士山入門』 瓜生中 幻冬舎

<参考URL>
富士山登山道の情報(静岡県HP)

富士登山における安全確保のためのガイドライン(富士登山オフィシャルサイト)

ふじさんミュージアム