年収が上がるのに比例して、私たちはシアワセになれるのだろうか―?

ある調査によると、幸福度が最も高い年収・800万円(世帯年収1,600万円)までは満足度が上がっていくが、その後はゆるやかに逓減するという。

では実際のところ、どうなのか?

世帯年収3,600万の夫婦、外資系IT企業で働くケンタ(41)と日系金融機関で働く奈美(39)のリアルな生活を覗いてみよう。

◆これまでのあらすじ

子どもの教育と経済面を考え、米国カリフォルニア州への移住を決断した奈美とケンタ。代々木上原の自宅マンション売却に思いのほか手間取ったが…。

▶前回:「億ションなんて買わなきゃよかった…!?」世帯年収3,600万夫婦が、後悔した理由




Vol.7 米国なんて来なきゃよかった!?


「え、なんで?ここは、うちが契約しているスペースなのに、他の車が止まってるの?」

カリフォルニア州のアーバインに移住してから、3週間。

日本ではペーパードライバーだった奈美が、悪戦苦闘しながら車で息子の翔平をプリスクールに送り届けてアパートに戻ってきた。すると、駐車場に他の車が止められていたのだ。

― もう、こんなことばっかり、嫌になっちゃう!

トラブルは、今日に限ったことではない。

備えつけの乾燥機が故障して修理を依頼したが、3日経ってもやってこない。

引っ越してすぐに、ブラインドが壊れ、トイレの便座も外れた。

アパートのネット回線がダウンし、復旧に2日かかった。トラッシュルームの鍵がかかったままで、ゴミが捨てられない。

こんなことを気にしていたら、米国ではやっていけないことは、百も承知している。

でも海外暮らしが初めての奈美にとっては、その都度不慣れな英語で連絡することが、苦痛でしょうがない。

― 日本だったら、こんなこと絶対ありえないのに!これからずーっとこんな生活なのかな…。

消沈しながら、奈美は部屋に戻った。


憧れの海外生活は、初心者にとっては苦難の連続。思わずケンタに八つ当たりして…


夢の米国生活の現実とは…


「ただいま」

自宅に戻った奈美は、キッチンでコーヒーを入れているケンタに声をかける。彼は、今日はリモートワークの日なのだ。

「奈美、おかえり〜!」

渡米後、ケンタは日本で生活していた時とはうって変わって機嫌がいい。

良くも悪くも、すべてにおいて自己責任の文化が心地いいこと。また、日本では、米国時間でミーティングが入り、常に寝不足だったが、今はよく眠れているからだ。

ケンタは、時間と心に余裕ができたことで、パン作りにハマり「『天馬』のカレーパンを再現したい」と、夜な夜なパンを焼いている。

米国に来てから絶好調の彼を見ていると、奈美は、自分が日に日に退歩してるような気持ちになり、余計に気分が滅入ってしまうのだ。

事実だけ取り上げると、奈美にとっても十分満足のいく生活ができている。

「こんな優雅な生活をしていて文句は言えない」と奈美は、毎日自分に言い聞かせているのだが…。

まず、日本で住んでいた代々木上原のマンションは、売り出しから3ヶ月後に、購入価格より100万高い、1億2,180万円で売却できた。

不動産業者の営業マンからは、もっと時間をかければ希望価格で売れると言われたが、移住前に売却できて結果よかった。

今は、家賃約40万円、2ベッド・2バスルームの約120平米のアパートメントに住んでいる。共有部に、プール、ジム、ラウンジ、バーベキューグリル、パーティースペース付きで日本の家に比べると夢のようだ。

海も山も近くにあって自然が豊かだし、翔平ともゆっくり時間を過ごせるようになった。




「車の運転大丈夫だった?」

心配そうに声をかけてきたケンタ。

その言葉を聞いた瞬間、奈美は、これまで抑え込んできた気持ちが爆発してしまう。


今まで溜め込んでいた不満をすべて爆発させる奈美。ついに禁句を口にする…!?


「車の運転!?全然大丈夫じゃないわよ、毎日必死。そもそもあなたと結婚したせいで、しなくてもいい苦労をするハメになったの!」

一旦ネガティブな感情を吐き出した奈美は、言葉が止まらなくなった。

「15年以上続けた法人営業のキャリアが、全部無駄になったわ。産後たったの4ヶ月で、死ぬ思いしてフルタイム復職して努力してきたのに…。

今は『次のご飯は何を作ろう?明日のお弁当には何を入れよう?』って考えるだけの人!

だいたい、オンス、ポンド、フィート、マイルって何よ?温度はなんで華氏表記なの?スーパーも駐車場も、なんであんなにだだっ広いわけ?安くて美味しいものは、手に入らないの?そもそも、食べ物は何で無駄に量が多いの…?

とにかく、40歳目前にして、人生の強制リセットボタンを押された人の気持ちがわかる?全部ケンタのせいなんだから!」

一息で言い切った奈美の目には、涙が溢れて止まらなくなっている。

『言い過ぎたかも……』と一瞬思ったが、時すでに遅しだ。

しかし、ケンタは、奈美の肩を抱き寄せ優しく言葉をかけてきた。




「気持ちわかるよ。俺だって日本に住んだばかりの頃、めちゃめちゃ混乱したもん」

ケンタは米国で生まれ育ち、米国企業に就職したものの、30歳目前で異動希望を出して来日したのだ。久しぶりに日本に戻ったとき、数々の困難にぶちあたったことをケンタが話し始めた。

その話を聞きながら、少し落ち着きを取り戻した奈美は、ケンタに「ごめん、さっきはひどいこと言って」と謝る。

「奈美が頑張っているのは、よくわかってるよ。運転できるようになったし。なんだかんだ言いながら、英語で色々交渉してるし…」

「“頑張っている”か…。私ね、さっき取り乱したときに、気づいたことがあったの」

そう言って、奈美は深呼吸してから話し始めた。

「私、“家族のために”と決断して、こっちに来たけれど…。仕事を辞めたことが、ずっと引っかかってる。仕事が生き甲斐だったし、心底手放したくなかった」

「奈美が仕事が好きなのは、よく知っているよ」とケンタがうなずきながら言う。

「こんなこと思うなんて“妻失格、母親失格”って思って、自分の気持ちに蓋をしてきたけど…。でも、いつかはこっちでこれまでの経験を生かせる仕事を見つけたいなって、思い始めていたの。

それなのに、日常生活さえままならない自分にイライラするし。翔平のプリスクールは、フルタイムの枠に今は空きがないし。何をやるにしても、中途半端だなって。どうしたらいいのか、わからなくなってる」

「じゃぁ……今は、できる範囲でやりたいことをやってみたら?何かやりたいことないの?」

深く考え込んでから、奈美は答える。

「CFA(米国証券アナリスト)とか、USCPA(米国公認会計士)の資格をとることかな…?」

ケンタは苦笑しながら言う。

「それもいいと思うけど、一度金融から離れてみたら?金融機関で働くことだけが人生じゃないわけだし」

「金融から離れるって、簡単に言うけど…。他に何をしたらいいのかわからないわ…」

途方にくれる奈美にケンタが提案する。

「こっちで友達作りなよ!視野も広がると思うし、いろんな情報も入ってくるかもしれないよ」

「そうね…。境遇が似ている人もいるかもしれないし。プリスクールのママたちとも、交流してみようかな」

こうして奈美は、米国での友達作りのために行動を起こすことにした。

しかし、米国に住むさまざまな日本人女性たちに出会い、奈美の心はさらにかき乱されることになるのだった。

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