コロナ禍の最中に雇い止めに遭ったツトムさん(仮名、38)(筆者撮影)

新型コロナウイルスの感染拡大は日本経済に大きな打撃を与えている。経済的に困窮している人たちも多い中で、光が当たりにくいのが若者の貧困だ。市民団体などでつくるネットワーク「新型コロナ災害緊急アクション」はSOSを発した相談者のもとに駆けつけて支援する取り組みを行っているが、その駆けつけ支援の対象者の大半が20代、30代の若者だという。

その多くは非正規だが、東洋経済オンラインの連載「ボクらは『貧困強制社会』を生きている」の著者で、貧困問題の最前線を取材するジャーナリストの藤田和恵氏は「彼らや彼女たちの中には、正社員にはなりたくないと語る人もいる」と言う。いったいどういうことなのか。

貧困に陥った若者たちの実態に4日連続で迫る特集「見過ごされる若者の貧困」1日目の第2回は、若者が正社員を拒む背景について、藤田氏がリポートする。

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派遣労働者だったツトムさん(仮名、38)は、正社員にならないかという誘いを断ったことがある。その直前に病気で2カ月ほど仕事を休んだからだ。今から10年ほど前のことだという。


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当時の心境について、ツトムさんは「会社に迷惑をかけてしまったという負い目があったんです」と振り返る。

それからずっと同じ職場で派遣労働者として働いてきた。その後、新型コロナウイルスの感染爆発の兆しが見え始めた今年5月、雇い止めに遭った。

ほどなくして路上生活となったとき、ツトムさんの胸中にはどんな思いが去来したのだろうか。

仕事は倉庫内の家具家電などの搬出作業だった。労働基準法などまるで無視の職場で、月の残業時間が200時間近くになることもあった。睡眠をとる暇もなく、その代わり月収は多いときで60万円ほど。きつい肉体労働のうえ、異様な長時間労働だったので、派遣労働者は次々と入れ替わった。

一方で“生き残った”働き手同士の間には、正社員も含めて妙な仲間意識も生まれ、人間関係はよかったという。

派遣先の人事担当者から「正社員にならないか」

働き始めて数年、体のだるさとむくみに悩まされるようになった。検査を受けたところ、国が「指定難病」と位置付ける疾患であることが分かり、休職を余儀なくされた。

体調が回復すると、再び同じ工場に派遣された。派遣先の人事担当者から正社員にならないかと声をかけられたのは、ちょうどこのころのことだ。

しかし、難病が完治する見込みは低い。ツトムさんは「これからも長期間休むことがあるかもしれない」とその誘いを断った。これに対し、担当者は「休職は労働者の権利。必要なら制度を使って休めばいい」と言ってくれたという。長時間労働を野放しにする一方で、雇用形態を見直そうとする会社側の対応は極めて良心的だった。にもかかわらず、ツトムさんは最後まで正社員登用の話を固辞した。

このため、「同じ職場で3年を超えて働くことはできない」という派遣3年ルールが導入されてからは、倉庫内の担当メーカーを変えることで新たに採用したかのように見せかけた。脱法的だが、ツトムさんも同意のうえでの対応だった。

風向きが怪しくなったのは働き方改革が始まってから。残業時間が激減し、そこにコロナ禍が追い打ちをかけた。

手取りは月16万円ほどと、かつての3分の1以下に落ち込んだ。まさかそんな事態になるとは思っていなかったので、貯金もない。正社員にはある住宅手当などの福利厚生もない。家賃と通院費を差し引くと、手元に残る生活費は生活保護水準と変わらなかった。結局家賃を滞納。2020年の暮れからネットカフェ暮らしになったという。

そして5月の雇い止めである。理由は異動してきた上司と折り合いが悪かったからだと思う、とツトムさんはいう。上司の胸三寸次第でクビになるなど、正社員であれば少なくとも表向きにはありえない。

かつて正社員にならないかと熱心に勧めてくれた人事担当者が手を差し伸べてくれることはなかった。すでにネットカフェ暮らしだったツトムさんが路上生活になるまでにそう時間はかからなかった。

意外と耳にする「正社員になりたくない」という声

ツトムさんとは、市民団体でつくる新型コロナ災害緊急アクションの駆けつけ支援を取材する中で出会った。同アクションにSOSを発信してくる人の多くは派遣やアルバイト、契約社員といった非正規労働者だ。正社員だったというケースはほとんどない。ただ、正社員登用の誘いを断ったとか、あるいは正社員にはなりたくないという話は意外と耳にした。

大手チェーン系列のホテルで働いていた契約社員の30代の男性は、正社員にならないかという誘いを何度か受けたが、そのたびに断っていた。その理由を「正社員になると責任が生じるから」と説明する。

この男性は今年1月、コロナに感染したことを理由に解雇された。明らかに違法である。しかし、男性は「ユニオンや労働組合に相談して騒ぎ立てたくない。周りに迷惑をかけたくない」といって特に抗議や抵抗することなく、解雇通告を受け入れた。


寮付き派遣を雇い止めにされ、生活保護を申請したら悪質な無料低額宿泊所に放り込まれた20代の男性(筆者撮影)

また、寮付き派遣で、大手自動車メーカーや精密機械関連の工場などを転々としてきた20代の男性はコロナ禍で仕事を失った。

寮からも追い出され、生活保護の申請をしたところ、劣悪な無料低額宿泊所に入居させられ、新型コロナ災害緊急アクションに「豚小屋のようなところに入れられてしまった」と助けを求めるメールを送ってきた。

散々な目に遭ったようにもみえるが、この男性はコロナが収まっても、正社員の仕事を探すつもりはないという。理由はやはり「正社員になると責任が生じるから」。

別の20代男性はさまざまな観光地のリゾート派遣で働く中で、正社員登用の話を持ち掛けられたが、「長く働き続けるかどうかわからないので、会社に迷惑をかけてはいけないと思い、断った」という。結局、コロナ禍の中で路上生活となった。

正社員の責任、会社に迷惑をかけたくない――。取材を続ける中で何度か耳にした言葉だ。

たしかに正社員の中には長時間労働や厳しいノルマを課せられながら、賃金水準や待遇は非正規労働者と変わらない“名ばかり正社員”もいる。ただ彼ら、彼女たちに正社員の責任とは何かと尋ねると、明確な答えが返ってくるわけではない。

責任というなら、非正規労働者だって出退勤時刻は決められているし、ある程度の作業効率も求められる。正社員になったとして管理職になるのが嫌なら、断ることもできる。もし異動が嫌だとしても、いつ路上に放りだされるかもしれないリスクと比べたら、まだましなのではないか。

会社に迷惑がかかるという理由にしても、無断欠勤や「今日辞めます」はご法度かもしれないが、ルールにのっとれば、辞める権利と自由は、いつでも、誰にでもある。

私がそう指摘すると、先ほど挙げた寮付き派遣を渡り歩いてきた20代の男性は少し考えた末にこう答えた。

「何もしなくても仕事を紹介してくれる派遣は正直楽というのもあるかもしれません。それに、中卒の僕にとっては派遣でも働き口があるだけありがたいです」

「正社員を雇うリスクも理解できる」と語る非正規

リゾート派遣で働いていたという20代の男性は「いろんな職場で友達ができるので派遣も悪くない」という。そのうえで「経営者の立場で考えたら、正社員を雇うリスクも、僕には理解できます」という持論を語った。

こうした若者たちに共通するのは、会社や企業に対してどこまでも対等であろうとする意識なのではないか。一見誠実にみえるが、ともすれば「働かせていただいている」という“下から目線”と紙一重でもある。コロナ禍のような不測の事態が起きても働き続けることは、企業や会社の温情によるものではなく、労働者の当たり前の権利である。

取材で出会った若者たちにもう1つ共通するのは、生活保護を利用することへ忌避感である。先述した大手チェーン系列のホテルで働く30代の男性はコロナ解雇で失業し、家賃が払えなくなってシェアハウスを追い出されても「周囲に知られたくない」という理由で生活保護の利用を拒んだ。

また、寮付き派遣を経て悪質無低に放り込まれた20代の男性は「生活保護を受けている人は、やっぱりそういう目で見られますから。寮付き派遣でもいいので1日でも早く仕事を始めたい」と訴えた。

新型コロナ災害緊急アクションにSOSを求めるほど追い込まれているにもかかわらず、労働者の権利もいらないし、「国民の権利」である生活保護の利用も拒む。その権利行使にネガティブな態度は若者の貧困、そして日本の貧困の背景にある特徴の1つでもある。

一方、冒頭で紹介したツトムさんは、新型コロナ災害緊急アクションの支援を受け、生活保護を申請。現在は賃貸アパートに入りなおし、仕事を探している。生活保護の医療扶助によって通院も再開することができた。

意外なことにツトムさんは2020年の年末から今年5月までの半年間のネットカフェ生活について、「不思議なもので、賃貸アパート暮らしをしていたときよりも楽でした」と振り返る。

ネットカフェ代は最低でも1泊1500円はかかるので、それまでの家賃よりも割高になった。かといって家賃の滞納歴があるので、新たに賃貸アパートを探すことも容易ではない。

「その日暮らしは慣れてしまうと気楽」

ツトムさんは給料日前に金欠に陥らないよう、月給制から日給制に変えてもらった。「手元にお金がなければ使いようがない」と考えたからだ。日給は8000円。週末は仕事がないので、1日に使えるお金は5000円ほどだった

結果、1日の食事をカップラーメン1つや、お菓子だけですませることが増えた。通院もできず、服薬も中断せざるをえなくなった。そんなネットカフェ暮らしのどこが楽だったのか。

「月給の中で家賃や光熱水費のやりくりを考えなくていいからですよ。目の前の1日を乗り切ればいいその日暮らしは、慣れてしまうと結構気楽でした。最近は、ネカフェも出入りが自由だったり、住民票が置けたり、郵便物を受け取れたりというところもありますし。高いですけど、カレーが食べ放題というとこもありますしね」。

ネットカフェで住居喪失者向けのサービスが充実しつつあるという。

ツトムさんは、正社員化の話を断ったことをどう思っているのか。今も後悔はないのだろうか。ツトムさんは迷いつつもこう答えた。

「(30代後半という)年齢や病気のことを考えたら、なれるんだったら、なっておいたほうがよかったかな。今はそう思っています」

(第3回は「親が学費負担放棄」学生を絶望させる新たな貧困

(藤田 和恵 : ジャーナリスト)