「iモード」からみるDXの本質、そしてその中心人物「KADOKAWA社長・夏野剛氏」とは

今年の夏、KADOKAWAの新社長・夏野剛氏の2つの発言が物議を醸しました。ひとつは、オリンピック開催に関して、庶民の一般行事を「そんなクソなピアノの発表会なんて」と言ったこと。もうひとつは、マンガの性表現に関してGAFAの基準に合わせて「ネット時代にふさわしい基準を作り直さないといけない」としたこと。
最初の発言は五輪開催とコロナ対策で揺れる一般世間で、その尊大な態度が非難されました。
しかし、彼の立場からするとより深刻だったので、本業に直結するもうひとつ発言で、マンガ出版業界のあちこちから批判の声があがりました。本来なら表現の自由を守る立場にある、日本最大の出版社で特にオタク向けコンテンツに力を入れているKADOKAWAの社長が、作家や編集者の表現よりも、欧米グローバル企業の都合を優先するべき、としたのですから当然のことです。
こんな思慮のない発言をしてしまったのは、そもそも夏野氏が出版業界の人間ではなかったからでしょう。彼は作品作りには縁遠い、生粋のIT業界の寵児です。なぜ、そんな人物が日本の伝統的大出版社の社長になることになったのか。
「iモード」開発で名を上げた夏野氏が出版社の社長になった経緯
夏野氏は、1990年代にインターネットが一般で使われ始めた黎明期に注目をされた無料インターネット接続サービス「ハイパーネット」の副社長でした。同社が経営破綻すると、ドコモの契約社員に転身し、当時の貧弱な携帯電話でWebサービスの利用を可能にした「iモード」開発に関わって、名を上げました。彼が担当したのは、メニュー構成や課金の仕組みなどのビジネスサイドで、iモードビジネスの基幹ともいうべき部分です。
さらに夏野氏は、「ケータイだけあれば3日くらい暮らせるようにしたい」という野望から「おサイフケータイ」を実現し、電子マネーの時代をリード。「iモード」も「おサイフケータイ」も、世界に先駆けた実用的な日本のモバイルサービスで、当時の日本は本当に時代の最先端を行っていたのです。
当時、ドコモとマイクロソフトが提携し、当時マイクロソフトCEOだったスティーブ・バルマー氏が来日した記者会見を筆者は取材しました。その際、外国人記者が「今回の提携のモデルとなる米国のサービスがあると思うので教えて欲しい」と聞くと、バルマー氏は「ドコモのiモードのようなサービスは米国にはない」としていたのが印象に残っています。残念ながら、この提携が実を結ぶことはありませんでしたが。
彼のモバイルサービスに対するビジョンは常に明確だったと思いますが、ドコモで後ろ盾を失ってしまい、歯に衣着せぬ物言いも災いして、ドコモを去ることになったようです。夏野氏は活躍の場をニコニコ動画のドワンゴに移すことになります。
ドワンゴは、元々携帯電話向けの着メロで大成功した会社ですが、2007年にYouTubeにコメントを字幕で被せる実験的なサービスとしてニコニコ動画を公開。これが爆発的なヒットとなり、本格的に自社の独自サービスとして運営を始めました。丁度、初音ミクの発売と重なったこともあり、ニコニコ動画には日本中のクリエイターが集まって、さまざまな実験を繰り返し、日本独自のクリエイタープラットフォームとして確立しました。
夏野氏はニコニコ動画の「黒字化担当」の取締役として活躍し、数年で黒字化を達成します。ドワンゴの社長となった夏野氏はV字回復を実現し、続いてKADOKAWAの社長にまで抜擢。最初のハイパーネットこそ失敗しましたが、iモード以降の夏野氏は、ITサービスをマネタイズする場で常に力を発揮してきました。IT畑を歩み続けてきた人が歴史ある大出版社の社長になったのは、このマネタイズする力を買われてのことかもしれません。
黒字化の達人である夏野氏にしてみれば、KADOKAWAの歴史ある出版事業も、iモードの各サービスと同じコンテンツ群にすぎず、収益を上げるためのもので、そこに個々の作品への思い入れなどないようです。そのあたりの彼の意図と本音については、夏野氏と対談した中島聡氏が『週刊 Life is Beautiful 2021年8月31日号』で書いて明かしていました。
「iモード」に見たDXの本質とは?
中島聡氏は、IT業界では著名な開発者兼経営者です。学生時代にアスキーでアルバイトとして、日本初のマウスを使ったパソコン用CADソフト『CANDY』を独力で作ってしまった天才的開発者です。
夏野氏と中島氏は、ともにITの本質を深く知る経営者ですが、中島氏が、iモードこそが「DX(デジタル・トランスフォーメーション)のあるべき姿」と書いていたことも、興味深かったです。
DX=デジタルトランスフォーメーションは、単にITを使ってビジネスを効率化すること誤解されがちですが、DXの本来の目的は「デジタル技術によって従来のビジネスや組織を変革すること」で、「ビジネスの変革」がポイントなのです。
iモードは、重くてかさばるパソコンがなくてもインターネットを利用できるようにした、という点でユーザーにとってデジタル革命でした。同時に、iモードのサービスを提供する企業にとっても、新しい顧客に新しいサービスを提供するチャンスをもたらすビジネスの変革でした。
iモードの登場により、小売りの事業者は新たな販売経路を、出版事業者は新たな読者を、さらには地図サービスや価格比較サービスのような新しいビジネスも生まれましたし、女子高生が携帯電話で書いた小説が100万部のヒットとなり映画化までされる携帯小説のブームもありました。
既存のビジネスをデジタル化するのではなく、デジタルの力でビジネスを変革し、新しい構造を作る。それこそがDXの本質であり、道具を変えることよりも、意識そのものを変えることが大事なのだと思います。
炎上してしまった夏野氏ですが、過去の慣習や周囲の空気に囚われず、常に変革を起こし続ける。そういう彼の指向が一般社会や、歴史のある業界に受け入れられなかったのは、ある意味当然のことでしょう。
今後、大出版社KADOKAWAを舞台に、彼がどんな変革を起こすのか? 楽しみです。
【画像・参考】
※tkc-taka/PIXTA(ピクスタ)
※週刊 Life is Beautiful 2021年8月31日号