いま世の中で求められているのは「自分で決めて動く力」

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皆さんは、「自分で決めて動く力」持っているだろうか?

筆者が30何年生きてきた人生を振り返ると、「人生は選択の連続である」という既に使い古されたかもしれないが、やはり金言であると思うシェイクスピアの言葉を信じている。よって、その選択肢を考える能力があるかどうか、がキーになってくると思う。

駆け出しの編集者時代に身についた「考えて決める力」

雑誌の編集をしていた時の話である。

どうしても、筆者の人生には「雑誌の編集者」になることが必要だと何かに取り憑かれるように思っていて、ようやく30を超えて編集者になった。それも、ずっと憧れていた雑誌の。

しかし、筆者には編集の経験はない。全くの新しい世界での挑戦だった。もちろん分からないことばかりの毎日で、取材に行ったら想像していたものと全く違う状況に陥り、その場で状況を迫られて、あまりのプレッシャーにトイレに籠って泣いたこともある。

一番困ったのは、写真の良し悪しの判断。会社員として何年も働いていたし、雑誌はもちろん大好きで読者としてはたくさん読んでいた。しかし、いざ自分が作る立場になってみると何を判断基準にして選べば良いのか見当もつかない。今までの仕事の中では“収益性”とか“データ分析上”とか数字や根拠となるものがあって判断することが多かったが、写真は「なんとなくいい!」という感覚でしかない……と思っていた。

しかし、それは勘違い。もちろん感覚の部分も必要だが、「写真を通して見た人に何を伝えたいか」を因数分解していくと、ちゃんと判断材料になるものがあるのだ。推しの商品が一番目立つ並べ方だったり、器の良さを伝えるアングルだったり、背景の色、一緒に何を置いて撮るかによっても伝わるものが全く変わってくることに途中で気が付いた。「判断基準がない感覚的な“なんとなく”なもの」でないことが分かったのだ。

そんなことを思い出したのは、起業家の高岳史典氏と産業医の大室正志氏の対談記事「第3回 転職する!も、あした会議で発言する!も「自分で・決めて・動く」が大事 大室正志✕高岳史典」を読んだときだ。目的に向かって必要なことを見定め、自分で決断していくことの重要性について、改めて認識できた。

 この話で伝えたいことは、起業家の高岳史典氏と産業医の大室正志氏の対談にある「たまたま」とか「なんとなく」というものは、存在しないのではないかとういこと。きっとそれは、自分の責任の範囲ではないという無意識の意識づけであって、きっと頭を使ってみんな考えて答えを出しているし、環境要因もあるだろう。そこから目を背けているだけだ。

 だから、きっとこの多様性の時代・選択肢が山ほどある時代において、自分で決めて動くために、まずは自分の過去の選択を振り返り、「なぜその選択をしたのか」整理をしてみることが必要だ。そうすれば、自ずと自分の判断基準が明確になり、今後自分で決めて動くことの大きなヒントになると思う。

 人生は選択の連続だ。みんな何かを選びながら生きている。そこに気づけるか、気づけないかで生き方が変わってくるだけなのではなかろうか。

【画像・参考】
※StunningArt・fizkes/ Shutterstock
第3回 転職する!も、あした会議で発言する!も「自分で・決めて・動く」が大事 大室正志✕高岳史典