遠方の報徳会宇都宮病院に連行され、強制入院させられたAさんとその妻(記者撮影)

精神疾患により医療機関にかかっている患者数は日本中で400万人を超えている。そして精神病床への入院患者数は約28万人、精神病床は約34万床あり、世界の5分の1を占めるとされる(数字は2017年時点)。人口当たりで見ても世界でダントツに多いことを背景として、現場では長期入院や身体拘束など人権上の問題が山積している。日本の精神医療の抱える現実をレポートする連載の最終第13回後編。

第13回前編:報徳会宇都宮病院に今も君臨する95歳社主の正体
第13回中編:報徳会宇都宮病院の「入院治療」あまりに驚く実態

「入院する前は、朝早くに起きて1日中仕事をし、夜勤もこなすほどでしたが、入院中にろくに説明もないまま飲まされた薬は強力で、飲むとボーっとなって昼間でもほとんど寝てしまっていました」


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「そのうち意識もおかしくなり、手が震えて字が書けなくなり、よろよろするようになりました。ついには口がうまく締められずよだれを垂らすようになり、トイレを我慢できず失禁するまでの状態に陥りました」

北陸地方で介護施設を経営していた、元警察官で70代男性のAさんは、精神科病院への1カ月強の入院で、自分でも信じられないほど、あっという間に衰弱してしまったと、当時の体験を振り返る。連載第4回「ある朝、精神病院に強制連行された男の凶体験」でも紹介した、この男性が入院させられたのが、報徳会宇都宮病院(栃木県宇都宮市)だ。

95歳オーナー医師の一方的な診察

「認知症で頭がおかしいから、これから病院に連れて行く」

2018年12月ある日の早朝6時45分。Aさんが妻とともに施設利用者の朝食準備をしていたところ、民間救急業者(同事業については連載第4回で詳述)の職員4人が土足で施設に立ち入りこう告げて、Aさんを羽交い締めにしたまま無理やり引きずり、宇都宮ナンバーのワゴン車に連れ込んだ。財布や携帯電話などを持つ時間の猶予すら与えられなかった。

屈強な男たちに連行される夫の姿に驚いた妻は、「お父さんに認知症なんてない。私はずっと看護師をやってきたからわかる」と強く主張したが、妻に行き先を告げることもないままワゴン車は走り出した。

約5時間半かかり、ようやく到着したのが報徳会宇都宮病院だった。精神疾患を有しておらず精神科への受診歴も皆無のAさんにとって、他県で遠方である同院にはもちろん一度も掛かったことはなく、その存在すら知らなかった。

民間救急業者の職員に連れられて診察室に入ると、高齢の男性医師が入ってきた。同院の「オーナー」である石川文之進(いしかわ・ぶんのしん)医師(95歳)だ。石川医師は手元の書類とAさんをいちべつするや、「認知症がある」「酒を飲んで暴れる」などと一方的に告げてきた。

Aさんは努めて冷静に、「認知症はありません。酒は飲むこともありますが暴れたりはしません。それは事実無根です」というと、石川医師は興奮して、「勝手にせい!もう行け!」と男性を怒鳴りつけ、入室して数分程度で出て行ってしまったという。


石川文之進オーナーのAさん診察時の診療録(カルテ)の一部。ごくごく簡単な記載のみだ(記者撮影)

次に女性医師の診察となったが、石川医師と同じ話を繰り返すばかりで、Aさんの話に耳を傾けることはなかった。「自分に認知症があるかどうかは、看護師であり一緒に暮らしている妻に聞いてほしいと懇願しましたが、まったく相手にしてくれませんでした」(Aさん)。

認知症テストもなく強制入院

「医師が診察したので、即入院だ」。Aさんはソーシャルワーカーにそう告げられると、看護師らによって小さな隔離室へと連れられた。「これ以上文句を言ったり騒いだりすれば、注射を打たれたり、何をされるかわからないのでおとなしくしていた」(Aさん)にもかかわらずだ。

隔離室は、「手の届かない高いところに小さな窓が付いた、外側から鍵をかけられた部屋でした。簡易ベッドとトイレのみが設置され、食事は小さな窓から出し入れするような、まるで独房のような扱いでした」(Aさん)。ここに問答無用で2日間入れられた。

閉鎖病棟内の4人部屋に移ってからも、財布も携帯電話もないため、同室の患者が不憫に思ってテレホンカードを貸してくれるまで、妻との連絡もできなかった。

Aさんを認知症だと診断し強制入院させるのにあたって、同院が行ったのは2人の医師によるごく短時間の問診だけで、長谷川式認知症スケールなどの客観的な認知症テストは、いっさい行われなかった。

入院形態は、精神科特有の強制入院の一つ「医療保護入院」だ。本人が入院に同意しなくても、1人の精神保健指定医(経験年数やレポート提出など要件を満たした精神科医)の診断と、家族など1人の同意があれば強制入院させられる。ある人を強制入院させたいと考える側にとって極めて使い勝手のよい制度だ。

実際、上記のような一方的な診察に加え、同意した家族というのは、20年近くも音信不通で、その後軌道に乗ったAさんの事業に参加してきたものの、金銭トラブルを起こしていた長男だった。

Aさんや妻、次男は何度も退院させてほしいと懇願したが、病院側は手続きをした長男が承諾しない限り退院をさせることはできないとの一点張りだった。

最終的に弁護士を伴い訪問したことで、ようやく退院に至ったが、「入院中の投薬により肉体的にも自由が利かず、精神的ショックも大きく事業経営を続ける気力を失ってしまいました」(Aさん)。廃業に追い込まれ、会社借入金の連帯保証人になっていたため多額の借金を抱え、夫婦の生活は困窮している。

「退院するときのお父さんは、歩くのもふらつき、車の乗り降りもやっとでした。うまくしゃべることもできず、肉体的に元の状態に戻るには半年ぐらいかかりました」。退院後のAさんの状況を妻はそう話す。

「一緒に住んでもいない長男からの連絡一つで、長年連れ添いベテランの看護師でもある妻とは一切話をしないで、こんな拉致・監禁がまかりとおるとは今でも信じられない。報徳会宇都宮病院の医師たちに、検査もしないで一方的に認知症だと決めつけられたことで、強制入院でたくさんの薬を飲まされ、身体はどんどんおかしくなりました」

Aさんは憤り、こう力を込める。

「私たちをこんな目に遭わせた報徳会宇都宮病院を、許すことはできません」

本件について報徳会宇都宮病院は、「現在、証拠保全手続がなされ、訴訟案件のようなので、取材・コメント等を差し控えさせていただきたい」としている。

急増する認知症での精神科入院

団塊の世代全員が、75歳以上の後期高齢者となる2025年。厚生労働省の推計によれば、認知症の高齢者(65歳以上)は約700万人となる。認知症予備軍にあたる軽度認知障害(MCI)まで含めると、確実に1000万人を超えるとみられ、高齢者の3人に1人となる。

発症予防の決め手はなく、今年6月にアメリカで承認された新薬「アデュカヌマブ」も、適用対象は認知症のうちアルツハイマー型の初期に限られるため、治療対象とされるケースは一部にとどまる。また年齢を重ねるほど発症リスクは高まるため、すでに超高齢化社会の日本では、認知症には誰もがなりうると考えたほうがいい。

もはや認知症は特別なことではなく、本人や家族としてはいかに備えたうえで普通に付き合っていくか、社会としてはいかに認知症の人が当たり前にいて、受け入れる体制を構築できるかが重要となってくるはずだ。

ところがAさんのように、認知症だと診断されたことで、突如として精神科病院への強制入院を余儀なくされるケースは決して少なくない。

厚生労働省の調査によれば、精神疾患を有する入院患者のうち、アルツハイマー型認知症は4.9万人(2017年)で、2002年の1.9万人から右肩上がりで増加している。最多である統合失調症が減少傾向にあるのとは対照的だ。

連載第12回(「神戸・神出(かんで)病院、凄惨な虐待事件から見えた難題」)で取り上げた、2020年に看護師、看護助手らによるおぞましい患者の集団虐待暴行事件が発覚した、精神科病院の神出病院(神戸市西区)。

厚労省の精神保健福祉資料(630(ロクサンマル)調査、2018年度)によれば、同院の医師1人当たりの患者数は45人以上、看護職員1人当たりの患者数は3.97人といった、「触法ぎりぎりの人手不足の運営実態」(兵庫県精神医療人権センターの吉田明彦氏)にもかかわらず、認知症の人が41%以上と多数を占めていた。

「精神科特例によって、他科に比べ医師は3分の1、看護職員も大幅に少なくて良いとされる精神科病棟に、医療ケア・介護ケアのニーズの高い認知症高齢者が増えれば違法隔離・拘束や虐待の危険が高まることは火を見るより明らかです。それが事件の背景にあったことは十分に考えられます」(吉田氏)

虐待の舞台となった同院の「B棟4階」は、重度の統合失調症患者とともに、認知症の人たちの病室でもあった。同院の患者の7割以上がAさんと同じ医療保護入院であり、本人同意のない強制入院の状態にあった。

認知症の人を、本人の同意なく精神科病院に強制入院させ、向精神薬を投与する。場合によっては隔離や、時に死にまで至る身体拘束を行う……。こうした日本の実情は、脱施設化の進む世界の認知症ケアの潮流とは、明らかに反している。

先進国の認知症ケアの潮流とは真逆

現在の日本の認知症対策の国家戦略は、政府が2015年に策定した「新オレンジプラン(認知症施策推進総合戦略)」だ。認知症の人の意思が尊重され、住み慣れた地域のよい環境で、自分らしく暮らし続けることができる社会の実現を目指すとするなど、当事者本人の声を重視する基本的な考え方は評価されてきた。

だが、各論に目を凝らすと、随所に認知症への精神科病院のかかわりが強められる内容が盛り込まれていることがわかる。

精神科病院の役割は、「介護サービス事業者等への後方支援と司令塔機能が重要」と明記されたことで、医療が介護に対して指揮命令権を持ち、優位に立つことが明確化された。また他科や他施設と異なり、精神科病院は精神保健福祉法により隔離・拘束などの行動制限への適正手続きが定められていると、さらにその優位性を強調している。

こうした認知症ケアにおいて精神科医療の重要性を評価するスタンスは、2013年度から進められてきた「(旧)オレンジプラン(認知症施策推進5か年計画)」と方向性がまるで逆だ。

この旧オレンジプランのスタート台となったのが、厚労省のプロジェクトチームが2012年に取りまとめた認知症レポート、「今後の認知症施策の方向性について」である。基本目標として、認知症の人は精神科病院や施設を利用せざるをえないという考え方を改めるとし、これまでの自宅→グループホーム→精神科病院などという不適切なケアの流れを変えるとした。


厚労省の認知症レポートの概要。脱施設化、脱精神医療化など世界の認知症ケアの潮流に沿うものだったが……(記者撮影)

認知症の人に対する医療の問題点を、「認知症の精神症状に対する抗精神病薬の投与については、先進諸国で、その悪影響について議論が行われ、ガイドライン等が策定されているが、日本ではまだガイドライン等が策定されてない。また不適切な薬物使用により精神科病院に長期入院するケースが見られる」「精神科病院への入院が必要な状態像として、治療上強制力が必要な場合に限定してはどうかという意見もある」などと厳しく指摘している。

ここに至って、ようやく欧米など先進諸国の認知症ケアと歩を合わせるようなムードが醸成されてきたにもかかわらず、結局、新オレンジプランでは再度の方針転換を余儀なくされた背景には、ある団体からの猛烈な反発があった。日本精神科病院協会(日精協)である。

圧倒的な病床数背景に積極提言

日精協は戦後、民間の精神科病院を中心として設立された。現在では、会員病院の病床数は、日本の精神病床総数の85%以上を占めている。その圧倒的な病床数を背景に、精神保健分野の厚生行政につねづね、積極的な提言・要望を行っている。

2012年の厚労省の認知症レポートに対しても、公表された翌月にすぐさま、「到底受け入れられる内容ではない」と反論。「認知症は早期より精神科医療が関わらなければならない疾患」「(認知症グループホームは監査体制が不十分であり)認知症患者の人権に対して格別の配慮を法的に行っているのは精神科医療だけである」との強い主張が並ぶ。

反論文は「精神科医療の関与がなくして認知症施策は成り立たないのである」との、強烈な自負をもって締めくくられている。

またほかにも、認知症サポート医養成研修の場で講師が「認知症は精神疾患ではない」と発言したことに正式な抗議文を発出したり、厚労相に対して精神障害者は身体障害者や知的障害者と違ってつねに医療を受ける必要があるためとして、障害保健福祉部(社会・援護局)から、医療系の医政局または健康局への担当所管替えを要望したりしている。

一貫してうかがえるのは、認知症施策においては、あくまで精神科医による医療モデルが「主」であり、介護など生活モデルは「従」であるというスタンスだ。

認知症は精神医療で対応

日精協が認知症に関して、先進諸国の潮流とは真逆とも思える主張を続けるのは、いったいなぜなのか。上に挙げたすべての提言・要望時の責任者であり、今年7期目に再選出され現在も組織を率いている、日精協の山崎學会長に尋ねた。

「高齢化が進む中、認知症に伴うBPSD(妄想・徘徊などの周辺症状)の患者は当然増えます。そのためには一定の病床数は維持しないと駄目だと思う。認知症のBPSDというのは精神科医でなくては治療できません。衝動行為とか幻覚・妄想だから、基本的に症状は精神疾患と全部同じ。高齢者だから、若干薬の量が違うというのはありますが」

やはり認知症は精神医療が主軸となり、今後も対応していくという考えだ。ただ、山崎会長は主体的にそうしているのではなく、あくまで周囲から精神医療が頼られるため、それに応じているだけだ、という点を強調する。

「認知症で精神科病院に来る患者は、ほとんど(介護)施設からです。BPSDには施設ではどうにも対応できないので、ちょっと薬でおとなしくしてくださいというニーズです。または老老介護でどうにもならなくなって、『もうおじいちゃんの面倒を見るのは嫌だ』というようなニーズもあります」

認知症の人の周囲で困っている人を助けるために、精神科病院への入院という選択肢を提供しているという趣旨だが、これは物議を醸した「保安」発言とも通底する。

今年7月末に放映された、NHKのETV特集「ドキュメント精神科病院×新型コロナ」番組内で、山崎会長の下記のようなコメントが紹介された。

社会秩序の担保と保安を担う精神科病院

「精神科医療っていうのは、僕はよく話をするんですけど、医療を提供しているだけじゃなくて社会の秩序を担保しているんですよ」

「町で暴れている人とか、そういう人を全部ちゃんと引き受けているので、医療と社会秩序を両方、精神科医療に任せてこの(診療報酬)点数なんですか?って言っているわけ」

「一般医療は医療するだけじゃないですか。こっちは保安までも全部やっているわけでしょう。精神科医療って。(入院を)断っていたらどこもとらないし、いちばん困るのは警察だと思うよ。警察と保健所が困るだけだよね」


日精協・山崎學会長の著書の目次の一部。「都立松沢病院解体論」「地域移行で幸せになれるのか」「社会的偏見を助長するのは誰か」など刺激的項目が並ぶ(記者撮影)

番組内での紹介がやや断片的だったこともあり、精神科病院が医療だけではなく社会秩序の担保と保安を担っているという、この発言の真意についても山崎会長に聞いた。

「(NHKの番組で)言っていること自体は、僕は間違っていると思ってないんです。精神科は今どうにかしてほしいという患者を家族や警察や保健所が連れてきて、精神保健福祉法に基づいて強制入院させるシステムです。たとえば心筋梗塞などで運ばれる患者とは違って、医療の提供の前に暴れている人をどうにかしなければなりませんが、そこに診療報酬上の評価が全然ないことを問題視しているんです。それが社会秩序の担保と保安機能を担っていることへの評価を、ということです」

「ただ精神科医療のこうした面(社会秩序の担保と保安)は、本来、政策医療として公的病院が担うべき話なのですが、それができないので民間病院にすべて丸投げされています。それはわれわれの仕事ではありません、と割り切るべきかもしれませんが、結局国はやらないし、現場が困っていると思えば、まじめな先生ほどやってしまうんです」

国が進める、長期入院患者の地域移行に関しても、山崎会長は一家言持つ。

「地域に出るということが、その患者さんにとって幸せだと思う? 僕は患者さんにとって余計なお世話だと思う。精神科病院で気の合った仲間とおしゃべりして一緒に晩ご飯を食べる生活と、独居のアパートでコンビニの冷たい晩飯を1人でテレビ見ながら食べる生活とどっちが幸せだと思う? しかも長期入院で社会生活の仕方もほとんどわからない人が地域に出て困惑するより、病院内の仲間と冗談言って、晩飯食べて、おやすみと寝て、病院に長期入院でいるほうが、僕は幸せな気がするけどな。僕ならそっちのほうがいいな」

こうした山崎会長ら日精協側の主張に対しては、当事者団体から反発の声が上がる。

「精神科医療の利用者を『町で暴れている人』と視聴者に同定させることで、精神障害者を危険視し、保安の対象であるとみなす偏見をあおる」

「精神科病院が保安のための収容施設と自認することで、現状の強制医療および劣悪な療養環境を居直ることは、精神障害者に対する人権侵害を助長するものだ」

先の神出病院の患者虐待事件を追及している、兵庫県精神医療人権センターは山崎会長の発言に対しても、上記の趣旨の抗議と申し入れを行っている。

確かに、本来国や自治体が担うべき政策医療の側面を、歴史的に民間病院へと押し付けてきた、国の精神医療行政の問題点に関する山崎会長の指摘は理解できる。ただ、認知症の話も含め、山崎会長の主張の前提には、精神科医、精神科病院への徹底した性善説があるが、これまでの連載で見てきたとおり、それは必ずしも当てはまらない。

・治療もないのに「社会的制裁だ」などとして4年間も強制入院させた精神科医(連載第1回「精神病院に4年閉じ込められた彼女の壮絶体験」)

・「捜査機関の奴らが認知症やら何やらで精神科に来たら問答無用で隔離室に放り込んで、徹底的に痛めつける」といったメールを送った精神科医(連載第2回「精神病院から出られない医療保護入院の深い闇」)

・身体拘束を「ものすごい羨望を集める特別待遇」などと言ってのける精神科医(連載第11回「14歳の少女が精神病院で体験した『極限の地獄』」)

……、など、本連載の中だけでも、問題事案は枚挙にいとまがない。

嫌がるひきこもり当事者を自宅から無理やり連れ出し、家族から高額な費用を巻き上げる「引き出し屋」の手先ともいえる役割を、結果的に精神科病院が果たしているケースもある(連載第10回「引きこもりの彼が精神病院で受けた辱めの驚愕」)。

また長期入院からの社会復帰を果たした当事者からは、山崎会長の認識(「病院に長期入院でいるほうが、僕は幸せな気がする」)とは異なる声があがる。

福島県内の精神科病院に約40年間入院した伊藤時男さんは、「社会に出て生活できる自信がなく『施設症』に陥っていたが、実際退院すると日常生活に支障はなく、今は自由な日々をのびのび過ごし、60歳からの青春を楽しんでいる途中です」と話す(連載第5回「精神病院40年入院、69歳男が過ごした超常生活」)。

神戸の神出病院に20年間近く長期入院していた60代の男性も、「入院生活中は看護師からつねに行動を監視され注意されることも多く、まるで医療刑務所にいるような気持ちでした。やはり自由に出かけられ、外食で好きなものも食べられる、自宅での生活がいちばんいいです」と力を込める(連載第12回)。

求められる患者本人の権利擁護

日精協は1949年の発足時、その設立趣意書で精神科病院を「常に平和と文化(と)の妨害者である精神障害者に対する文化的施設の一環」と表現している。つまり精神科病院への隔離収容は、精神病者に対する優生的処置の有効な方法というわけだ。

もし山崎会長の発言にあった、社会秩序の維持と保安を精神科病院の役割として強調しすぎると、とうに放棄したであろうこの趣意書の思想へと、精神医療は先祖返りすることになりかねないのではないか。

精神科医らからなる日本精神神経学会は今年6月、「精神科医師の倫理綱領細則」を制定した。

冒頭に掲げられたのが、「人間性の尊重」である。精神科医師は、いかなるときも精神を病む人びとの尊厳と人間性を尊重するとうたい、精神科医師は精神を病む人びとに対しいかなるときも不当な差別的取り扱いをしないと宣言する。

また末尾では、精神科医師は法を順守するとともに、法や制度を改善するよう努めるといい、既存の法を守るだけでなく、精神を病む人びとが法や制度の恩恵をよりよく受けられるよう積極的に行動すると明言している。

形式的な法の順守にとどまらず、患者本人の権利擁護のために、いかに自発的に積極的な行動へと踏み切れるか、今、精神医療関係者に問われているのは、まさにその一点である。(完)

本連載「精神医療を問う」は今回でいったん終了となりますが、引き続き精神医療に関する情報提供をお待ちしております。お心当たりのある方は、こちらのフォームよりご記入をお願いいたします。